第442話 トップモデル
夕陽たちが案内されたのは、ヌークにある五ツ星のホテルだった。
元は〈レッドグレイヴ〉が経営するホテルだったのだが現在は〈トワイライト〉の資本が入り、改修工事を経て高ランクの探索者や富裕層向けのホテルとして運営されていた。
一番安い部屋でも日本円で一泊百万円以上する超高級ホテルだ。
夕陽たち四人が通された最上階のロイヤルスイートルームに至っては、一泊で一千万円以上と信じられないような価格設定が設けられていた。
しかし、それも実際にホテルを利用すれば納得が行く。
「これは凄いですね……」
天谷の家に生まれ、幼い頃から様々な催しに参加し、大企業の令嬢として多くの経験をしてきた雫をもってしても、感嘆の息を呑むほどの光景が目の前には広がっていたからだ。
恐らくはミスリルとオリハルコンだとは思うが、金と銀で彩られた調度品の数々があちらこちらに見受けられる。金や銀ではなく一目でミスリルとオリハルコンだと分かったのは、魔力を帯びていたからだ。
恐らくは、ただの調度品ではなく魔導具の類なのだと察せられる。
最低でも数千万円。下手をすると数億から数十億の値が付くようなものが無造作に置かれている状況には、さすがに驚きを隠せない。勿論、盗難対策はしているのだろうが、正直目を疑うような光景だった。
それにレストランの料理も想像を遙かに超えていた。
少量ずつ皿に盛られて提供される料理は宝石のように輝いていて、芸術の域に達した品々に目を奪われる。そして、舌でも驚かされる。
稀少なダンジョンの素材が惜しげもなく料理に使用され、素材を扱う料理人の技術も超一流。見事に調和の取れた味は、まさに楽園の料理と呼ぶに相応しい。全身が感動と喜びで震えるほどだった。
飲み物も普通ではない。楽園のカフェのメニューにもあったドライアドの果実水が飲み水の代わりに提供され、ほのかな甘みが口のなかに広がり、全身に染み渡るように旅の疲れを癒してくる。
回復薬と同等の効果があると過程すれば、この水一杯で下手をすると数十万円の値がつきかねない。もはや、驚きを通り越して言葉もでない贅の限りを尽くしたサービスだ。
「部屋も豪華だし、料理も美味しいし、先生の生徒になってよかったー」
「現金なものね。でも、明日葉の気持ちは分かるわ」
料理を口一杯に頬張り、満面の笑みを浮かべる明日葉。
現金なものだと思いつつも、朱理の表情もほころんでいた。
豪華な部屋に美味しい食事。
こんなもてなしを受ければ、笑顔になるのも当然だ。
しかし、
「最後の晩餐かもしれないんだよね」
ポツリと漏らした夕陽の言葉に、フォークとナイフを手にした三人の手が止まる。
思い出したのだ。
自分たちが、どうして浮遊都市に連れて来られたのかを――
「これが
「確かに普通は体験できないようなことだとは思うけど、楽園でも同じような体験はしたでしょ? ここでしか出来ない体験とは言えないよね」
出来ればそうであって欲しいという朱理の願いを、夕陽は無情にも打ち砕く。
しかし、考えて見れば夕陽の言うとおりだった。
確かに凄いが、ここでしか体験できないと言うほどのものではないからだ。
むしろ、このホテルは楽園から持って来た料理やサービスを提供しているだけと考えた方が良いだろう。
だとすれば、本命は別にあると考えるのが自然だ。
浮かれた雰囲気から一転して場の空気が重くなった、その時だった。
「あら? あなたたちは――」
ホテルの客と思しき女性に声をかけられたのは――
波打つ亜麻色の髪。青みを帯びた瞳。楽園のメイドにも見劣りしない容姿と、抜群のプロポーションをした艶やかな女性だった。
黒いドレスの隙間からは、白い胸元と太股が覗いている。
艶めかしいと言うよりは、華があると言った方が的確かもしれない。しかし、女性の方は夕陽たちのことを知っている様子だが、夕陽、朱理、雫の三人は女性の顔に見覚えがなかった。
そんななか、
「あ……もしかして、ローズ・ベルナール?」
明日葉だけが女性を見て、知っているかのような反応を見せる。
いや、知っていたのだ。
「あら? 日本にも、私のことを知ってくれている子がいたのね」
「フランスを代表するトップモデルですから、知らない方がおかしいですよ。去年、公開された映画も見ました。すっごくよかったです!」
「嬉しいわ。あの映画を見てくれたのね」
明日葉とローズの会話が、朱理と雫の胸にグサリと突き刺さる。
夕陽は気にしていない素振りだが、朱理と雫は自分たちが
普通の女子高生なら有名なモデルや女優であれば知っていてもおかしくないのかもしれないが、朱理と雫は青春をダンジョンに捧げてきた。一流の探索者になるべく、余計なものを切り捨てて人一倍努力を重ねてきたのだ。
そのため、友達と遊びに出かけたことなど、ほとんどない。ファッションや映画と言った流行に気を配る余裕もなかった。雫に至っては一緒に遊びに行く友達すらいなかったのだ。
日本の芸能人の名前すら知らないのに、海外のモデルのことなど知るはずもない。
「はい。これで、よいかしら?」
「大事にします!」
いつの間に色紙を用意したのか?
ちゃっかりとサインをもらっている明日葉に呆れる朱理。しかし、その視線はローズに向けられていた。
油断なく、どこか訝しむように――
明日葉がローズのことを知っているのは分かったが、ローズが自分たちのことを知っていた理由は分からないままだからだ。
「あなたたち、日本の学生代表でしょ?」
その視線に気付き、ローズは確認を取るように尋ねる。
朱理がなにを警戒しているのか、察してのことだった。
「ニュースで見たのよ。〈戦乙女〉に一矢報いた期待の新星。日本最強の学生チームってね」
凄いわ、と感心した様子で笑みを浮かべるローズ。
その表情からは、夕陽たちに対する興味と関心が見て取れる。
「あなたが、ユウヒね。〈戦乙女〉の妹ちゃん。そして――」
――黄昏の薬神。
その名をローズが口にした瞬間、朱理と雫の視線が鋭くなる。
探索者の街と言うことで、夕陽の正体に気付いて接触してくる人間を警戒していたからだ。
夕陽が〈黄昏の薬神〉の正体であると言うことは、公にはなっていないものの月面都市の一件で噂になっている。各国の首脳や高ランクの探索者には、既に知れ渡っている状況だ。
だからこそ、警戒していた。
教団や〈トワイライト〉が後ろ盾についていると言っても油断は出来ない。
危険を冒してでも夕陽を取り込もうとする勢力はいるはずだからだ。
「ごめんなさい。こんなところで会えると思っていなかったから、少し話が出来ればと思っただけなのだけど……警戒させてしまったようね」
「朱理、雫、いいよ。たぶん、この人は大丈夫」
両手を挙げて謝罪するローズを見て、夕陽は二人に警戒を解くように言う。
夕陽もバカではない。二人が警戒しているように、相手が悪人かどうかくらいの見分けは付く。これまで多くの悪意に晒されてきたからこそ、自分に向けられる悪意には敏感だった。
だから、分かるのだ。
なにか目的があるのは察せられるが、少なくとも悪人ではないと――
「でも、私になにか用があるんでしょ?」
だから、尋ねる。まっすぐにローズの眼を見据えて――
目を丸くするローズ。
こんな風に直球で返されるとは思ってもいなかったのだろう。
だが、それが
「子供と思って侮っていたようね。心から謝罪するわ」
頭を下げ、侮ったことを心から謝罪するローズ。
もう、夕陽のことを子供だとは思っていなかった。
自分と対等な存在だと認め、その上で――
「少し、時間をもらえるかしら?」
相談を持ち掛けるのだった。
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