第440話 王女の病

「エミリア様!」


 正面玄関から一人で入ってきたエミリアの姿を見つけ、カウンターの奥から声を上げて駆け寄る糸目の男。

 ビシッとしたギルドの制服に身を包んだ彼の名はジョン・スミス。

 ここグリーンランドの支部を預かるギルドマスターだ。


「お戻りになるのであれば、ご連絡を頂ければお迎えにあがりましたものを……」


 エミリアの元に駆け寄ると、どこか心配するように声をかけるジョン。

 エミリアはギルドの代表理事だ。ギルドの創設者にして、ギルドで最も権威のある人物。そんな彼女が護衛も伴わず一人で出歩くなど、ジョンのなかでは到底ありえないことだった。

 エミリアはジョンにとって、いやこの世界にとってなくてはならない存在だからだ。

 ましてや最近エミリアは月面都市と浮遊都市を行き来する生活を送っており、気が気でない日々をジョンは送っていた。そのため、せめてダンジョンまでの道程は警護を付けさせて欲しいとエミリアに言ってあったのだ。なのに一人で帰ってきたら驚くのも無理はない。


「ごめんなさい。急な話だったから予定を繰り上げて帰ってきたのだけど、その件で〈トワイライト〉から連絡は来ているでしょう?」

「はい。既に自治州政府への連絡は済んでおります」

「そう……それで、あの子たち・・・・・は?」

「楽園のメイドと共にホテルへ入ったようです。ですが……」


 報告の途中で表情を曇らせるジョンを見て、エミリアは大凡の状況を察する。


「〈楽園の主〉の行方が分からない、と」

「……はい。ダンジョンの街で姿が確認された後、消息が分からなくなっています」


 ジョンの話を聞き、やっぱりとエミリアは溜め息を吐く。

 慌てて帰ってきたのは、大方そんなことになっているのではないかと予想していたからだ。

 未来を視た訳ではないが、ある程度は予測できる。普通ならギルドに立ち寄って政府との会談など、いろいろと予定の擦り合わせを行うものだが、楽園のメイドたちは人間の都合など知ったことではないと言うのが基本スタンスだ。

 それに椎名も自由で、常識や慣例に縛られないところがある。

 そのため、真っ先に目的地へ向かうことは分かっていた。

 恐らく教え子たちをメイドに預け、〈方舟〉へ向かったのだとエミリアは察する。


「その件は私が対応するわ。それよりも、あれからイギリスはなにか言ってきた?」


 とはいえ、〈方舟〉の件はまだ公には出来ない。ジョンのことは信頼しているが、どこにがあるか分からないため、エミリアはこの件は自分が預かることにして話を逸らす。

 しかし、ジョンもバカではない。エミリアがなにかを隠していることくらいは気が付いていた。

 それでも敢えて触れないのは、エミリアのことを信頼しているからだ。

 エミリアには未来が視えている。その〈星詠み〉の力で皆を導き、ギルドをここまでの組織に育て上げた実績がエミリアにはある。話さないと言うことは、まだ自分たちが知るべき情報ではないと考えてのことだった。


「〈剣聖〉の件でしたら、いまのところは問題ありません。Sランクを〈月面都市〉へ出向させたことで一部の国が騒ぎ立てているようですが、その件は既に〈イギリス政府〉〈円卓〉〈トワイライト〉三者の間で協議が済んでおります。ギルドが仲介したこともあり、連合も静観する様子を見せています。ただ――」


 どの国でもSランクの出国は基本的に認めていない。

 と言っても、本気でSランクを止めることなど出来るはずもなく、あくまで建て前に過ぎないのが現状だ。それでも高ランクの探索者の出国を制限しているのは、他国に引き抜かれることを警戒していると言うだけでなく、それが戦争の火種となりかねないからだった。

 Sランクとは言ってみれば戦術核のようなものだ。

 一人で大国の軍事力に匹敵するような存在。そんな国家戦力とも呼べる存在を他国へ送り込めば、同盟であったとしても刺激することになるし、なにか問題を起こせば国家間の問題へと発展しかねない。だから高ランクの探索者の扱いには、どの国も慎重にならざるを得ないのだ。 

 Aランクでさえ、余程の事情がなければ出国の許可が降りないほどに、探索者は国に厳しく管理されている。なのにクロエは国を出て、月へと向かった。欧州の国々が懸念を抱くのも無理のない話だった。

 それを抑えるために、ジョンはエミリアの指示で密かに動いていたのだ。


「ただ?」

「王室関係者が〈トワイライト〉に接触を図っているようです」


 ジョンの様子がおかしかったことから、てっきりクロエの件だと思っていたエミリアは予想外の話を聞かされ、目を丸くする。


「政府ではなく王室が?」


 イギリス政府ではなく王室が〈トワイライト〉に接触していると聞き、訝しむエミリア。イギリスは立憲君主制の国で、国を動かしているのは王ではなく選挙によって国民に選ばれた政治家たちだ。

 基本的にイギリスの王室は象徴的なものであり、実質的な顕現を持たない。そう言う意味では日本の皇室とほとんど変わらない。君臨すれども統治せず――それが、現在の王室の立場を如実に現していた。

 だからこそ、王室が政府を通さず〈トワイライト〉に直接接触したことにエミリアは疑問を持ったのだろう。

 と言うのも、女王が即位の際に〈楽園の主〉から〈神の酒ソーマ〉を贈られたと噂されるほど、イギリス王室と楽園は良好な関係にあるからだ。直接の面識があると言う点では、アメリカの大統領よりもイギリスの女王陛下の方が〈楽園の主〉との繋がりが深い。

 そんな女王が軽はずみな行動を取るとは思えない。

 実際、レッドグレイヴの件にもイギリス王室は介入してこなかった。

 なのに、どうして今になって――と、エミリアは疑問を持つ。


「どうやらシェリル王女の容態が思わしくないようです」


 ジョンの話を聞き、エミリアは事情を察する。

 シェリル王女とは現在の女王の孫に当たる少女で、十七歳の誕生日を迎えたばかりの王女だ。

 ダンジョンで魔力に目覚めた訳ではなく魔力を持って生まれてきた新世代の子供ニュージェネレーションで、〈円卓〉の第十二席ウェインと同様に将来を期待されていた少女だった。

 しかし、ダンジョンでスキルに目覚めた後、病気を発症したのだ。

 魔力欠乏症を――


「目的は〈万能薬〉ね」

「はい」


 別名〈アゾートの秘薬〉とも呼ばれる万病の秘薬。ありとあらゆる病を癒すと噂される幻の秘薬で、市場に出回ったことは一度しかない。〈霊薬〉以上に貴重な代物だった。

 魔力欠乏症はすぐ死に至る病ではないが体力を奪われ、徐々に身体が弱っていく病気だ。少しずつ眠る時間が長くなって行き、最終的には目覚めなくなると言った病だった。

 シェリル王女が病にかかり、病床に伏せるようになったのは一年前のことだ。いまになって〈トワイライト〉に接触を図ったと言うことは、症状が悪化したのだと推察できる。まだ数年は猶予があると思っていただけに、これはエミリアにとっても想定外の出来事だった。


「その件で〈円卓〉から第七席と八席、それに……三席が派遣されてきています」

「七席と八席は分かるけど〈赤の大鬼あのこ〉も来てるの?」

「……はい」


 最も交渉事に向かない人選に、どういうつもりなのかと訝しむエミリア。

 第七席と八席は理解できる。しかし、お世辞にも〈赤の大鬼レッドオーガ〉の二つ名で知られる第三席は交渉事が得意とは言えなかった。むしろ、そう言ったことが不向きなことは火を見るよりも明らかだ。

 恐らく交渉の要は第八席だろう。クラン発足の立役者の一人でもあるからだ。

 第七席が一緒なのは〈赤の大鬼レッドオーガ〉のお目付役だと察せられる。


「……分かった。その件も、こちらで引き受けるわ」 


 面倒事にならないことを祈りながら、エミリアは〈万能薬〉の件を自分の預かりとするのだった。

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