第434話 目指す頂き

「どうにか生きて帰れたわね……」


 肩まで湯船に浸かり、呆然と天井を見上げながら、そう呟く朱理。

 お湯の温かさが骨身に染みる。生きていると言うことを実感できる。

 そんななか――


「霊薬って、本当に腕が生えるんだね」


 ほら見て、と言わんばかりに腕を見せてくる明日葉に呆れる朱理。

 ドラゴンのブレスで明日葉の右腕は炭化し、治療を受ける前は見るも無惨な状態だったのだ。なのに、どうしてこんなにも明るく振る舞えるのかが分からないのだろう。

 夕陽が持っていた薬は尽き、あと少しでも救助が遅れていれば全滅していた。

 メイドたちに回収された時には、全員が半死半生の状態だった。

 それほど、大森林でのサバイバルは命懸けだったのだ。


「死にそうな目に遭ったのに、なんでそんなに元気なのよ……」

「でも、生きてるよね?」


 確かに生きてはいるが、そういうことじゃないと朱理は溜め息を漏らす。

 前から変に思っていたが、ただ肝が据わっていると言うだけでは説明が付かない。

 よくよく思い返せば、明日葉はずっとそうだった。

 ミノタウロスの特殊個体と対峙した時も、明日葉はいつもと変わらなかった。

 モンスターの氾濫を前にしても、冷静で平常心を失うことはなかった。

 そのことから、そもそも恐怖を感じていないのだと朱理は考える。

 人間ならあるべき感情が欠落しているのだ。

 しかし、明日葉が特別おかしいと言う訳ではない。探索者になるような人間は、どこかしら頭のネジが外れている者が多いからだ。

 探索者になるにはスキルに覚醒する必要があり、スキルを得るにはモンスターを殺す必要がある訳だが、普通の人は生き物の命を奪うことを忌避する。まずそこで多くの人が探索者になることを諦め、脱落する。

 モンスターを殺すことに成功し、探索者になることが出来たとしても、その先に待ち受けているのは死と隣り合わせの危険な仕事だ。

 上層と言えど、油断をすれば命を落とすことはある。それで得られる収入はサラリーマンの平均とほとんど変わらないか、むしろ下回るくらいだ。更に言えば、怪我をしても補償は一切ない。すべて自己責任だ。

 だから、より良い報酬を得ようと探索者たちはダンジョンの奥を目指す訳だが、当然のことながら深く潜れば潜るほどにモンスターの強さが増して行き、危険度は跳ね上がっていく。

 高額な報酬を得るには安全な場所にいるのではなく、より強いモンスターに挑み、命懸けの戦いに身を置く必要がある。だが、ミノタウロスから多くの学生が逃げ出したように、普通の人間は圧倒的な力を前にすると身体がすくみ、立ち向かうことなど出来ない。

 だから高ランクの探索者になると言うことは、人間らしさを捨てると言うことでもあると朱理は考えていた。

 そう言う意味では、明日葉も普通ではないと言うことだ。


「雫、足の調子はどう?」

「ええ、すっかりと元通りよ。前よりも調子が良いくらい」


 心配する夕陽に、問題ないと笑顔で答える雫。

 雫のスキル〈疾風迅雷〉は全身に雷を纏うことで超人的な速度を得ると言う特性上、身体に掛かる負担が大きい。いまは治療を受けて元通りになってはいるが、立って歩くことも困難なほど消耗を余儀なくされていた。

 しかし、それを言うのであれば、夕陽も同じはずだと雫は心配する。


「夕陽さんは、もう大丈夫なの?」

「はい。このくらいは慣れているので」


 明日葉のように腕を失った訳でも、雫のように立って歩くことも出来なくなるほど肉体を酷使した訳ではない。しかし夕陽はこの二週間、〈魔女の大釜ウィッチーズコルドロン〉を使い続けていたのだ。

 夕陽の〈魔女の大釜ウィッチーズコルドロン〉は効果の範囲内にいる対象から魔力を吸い上げると言う特殊なものだ。そのため、魔力切れの心配がなく長時間維持することも可能と言う特徴があるが、領域結界であることに変わりは無い。

 別名〈界〉とも呼ばれるスキルの到達点。神の領域へと至る力。

 夕陽のサポートがなければ、〈深層〉のモンスターと渡り合い、二週間近くも生き残ることは出来なかった。自分たちが生きて帰ってこられたのは、夕陽のお陰だと誰もが理解していた。

 しかし、そんなものを維持し続けて、なんともないはずがない。

 肉体的には問題なくても、精神の疲労は限界を超えていたはずだ。

 無理をしているのではないかと、雫が心配するのは当然のことだった。

 

「慣れてるって……これまで、どんな訓練をしてきたのよ」


 それだけに朱理は疑問を持つ。

 生きて帰れたのが不思議なくらいの経験を慣れていると表現する夕陽が、これまでにどんな目に遭ってきたのか気になったのだろう。


「レミルちゃんと、いろいろと冒険・・したからね。大森林は確かに危険な場所だけど、〈深層〉には他にもっと危険な場所がたくさんあるから……」


 遠い目でそう話す夕陽を見て、顔を引き攣る朱理。

 既に地獄のような体験をしたのに、それ以上の場所があるなど考えたくもなかったからだ。


「でも、夕陽ほどじゃないけど、アタシたちも頑張ったよね? レッドオーガだけじゃなくてドラゴンも倒したんだし、ギルドに報告したら〈竜殺し〉を名乗れるんじゃない?」

「自分たちだけで倒したならともかく、あれじゃ胸を張れないわよ。私たちだけなら、普通に全滅してたわよ?」

「たぶん、あれはメイドさんたちの援護射撃だね。見守ってくれてたみたいだし」


 高速で空を飛翔するドラゴンに有効的な攻撃手段が見出せず、苦戦を強いられていた時のことだった。どこからともなく光の矢が飛んできたかと思うと、ドラゴンを撃ち落としたのだ。

 地上に落ちたドラゴンにトドメを刺したのは夕陽たちだが、その援護射撃がなければドラゴンを倒すことは叶わなかっただろう。

 とはいえ、


「あかりんは融通が利かないというか、真面目だよね。倒したことに変わりはないんだから、いまは素直に喜ぼうよ。ところで夕陽。あのドラゴンって、なんて言う種類なの?」

「私たちが倒したのは緑竜りょくりゅうだね」

「それって、ワイバーンの上位種?」

「ワイバーンは亜竜。同じく下層で確認されてるアースドラゴンも亜竜だね」


 ドラゴンの見分け方を説明する夕陽。

 亜竜と本物のドラゴンの違いは、その強さを体感すれば一目瞭然だが、名前にも特徴がある。ドラゴンの生息領域は決まっていて、平原や大森林に生息するのは緑竜と言ったように色の名前を冠していた。


「全部で六種類のドラゴンがいるらしいよ。赤、青、緑、紫、白、黒だったかな?」


 明日葉だけでなく朱理や雫も感心した様子で、夕陽の話に聞き入る。 

 学校では教えてもらえない。まず授業で習わないような話だったからだ。

 しかし、それも当然だった。ドラゴンが生息するのは〈深層〉だ。

 ダンジョンの〈深層〉には、まだまだ到達できるパーティーが少ないため、ほとんどなにも分かっていない。どのようなモンスターが生息しているのかも判明していない状況だった。

 各地に生息するドラゴンのことなど知るはずもない。

 明日葉のように、ドラゴンと亜竜の区別すらついていない探索者がほとんどだ。


「ねえ、夕陽。それって、かなり重要な話なんじゃ……」

「そうね。〈深層〉のモンスターの情報なんて、ほとんど出回っていないし……」


 そのため、朱理と雫が大丈夫なのかと不安に思うのは当然だった。

 信じて貰えるかどうかは別として、貴重な情報なのは間違いないからだ。


「先生の弟子を続けるなら、これからも同じようなことはあると思うしね」


 だから、いまのうちに知っておいた方がいいと夕陽は話す。

 また〈狩人〉の仕事に同行させられるかもしれない。今回は森だったが砂漠や雪山と言った更に過酷な場所で、サバイバルを強要される可能性も否定できないからだ。

 そうなった時、情報の有無は生死を分けることになる。

 いまのうちに〈深層〉のモンスターについて学んでおいた方がいいと言う夕陽の主張は真っ当なものだった。


「先生の弟子になったことを後悔した?」


 夕陽はくすりと笑い、どこか煽るように三人に尋ねる。

 いつもと違う夕陽の雰囲気に息を呑む三人。

 しかし、


「上等じゃない。このくらいで諦めると思ったら大間違いよ」


 ギリッと歯を食いしばり、朱理は虚勢を張る。

 ライバルと認めている夕陽に、ここまで言われて引き下がれるはずもないからだ。

 それに朱理は負けず嫌いだった。

 それが分かっているから、夕陽も挑発するような真似をしたのだろう。


「明日葉と雫は?」

「みんなと頑張るって決めたしね。アタシの考えは変わらないよ」

「まだ、なにも私は果たしていない。いま逃げ出したら、送り出してくれたみんなにも顔向けできないわ」


 明日葉と雫の答えも変わらなかった。

 諦めるつもりも、立ち止まるつもりもない。

 目的も、立場も、抱く思いも違うが、目指す頂きは皆同じだった。

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