第433話 災厄の備え
「やはり、主様には敵わないわね」
ヘルムヴィーゲのことも、すべて察しておられたのだろうとレギルは考える。
暁月と天谷の行ったことに対して、ヘルムヴィーゲが不満を抱いていることは分かっていた。
いまは大人しくレギルの指示に従っているが、ちょっとした切っ掛けがあれば暴走しかねない。ヘルムヴィーゲは人間を嫌っていて、自分を抑えられないところがあるからだ。
そう判断したレギルは、ヘルムヴィーゲを日本の件から遠ざけることにしたのだ。
そこで主に協力を願えないかと思って相談を持ち掛けたのだが、主はすべてを見通していた。
未来すら見通す叡智。主に隠しごとは出来ないのだと、レギルは実感する。
「レギル。いま少し良いかしら?」
屋敷の廊下でユミルに声をかけられ、迷うことなく「はい」と頷くレギル。
ユミルの後を追うようにレギルはついて行き、執務室に通される。
必要なもの以外は何一つ置かれていない。
合理的で、飾り気のないユミルらしい部屋だ。
「かけて頂戴」
ユミルはソファーに腰掛け、レギルにも着席を促す。
そして、チラリとレギルの左手の薬指を一瞥して、話に入る。
「あなたもマスターから指輪を頂いたのね」
どことなく威圧を感じながらも、レギルは「はい」と答える。
これがスカジなら指輪のことを根掘り葉掘りと訊いてくるところだが、ユミルは基本的に感情を表にださない。だから、先程感じたプレッシャーのようなものも気の所為だろうと、レギルは考える。
「その指輪をマスターから贈られた意味を、あなたはちゃんと理解している?」
「当然です。これまで以上に商会の運営と楽園の管理に励むようにと、主様から激励を頂いたものと考えています」
「概ね間違ってはいないわ。でも、それだけでは少し足りないわね」
「……と、言いますと?」
なにか主の考えを読み間違えたのだろうかと、不安に駆られるレギル。
至高の叡智を持つ主の考えを、すべて見通すことなど誰にも不可能だ。
それでも主の意図を汲み、行動することが楽園のメイドには求められる。
特にメイドたちを統括する立場にあるユミルや〈商会〉の長として計画の遂行を任されているレギルは、メイドたちに主の考えをしっかりと伝える重要な役割を担っていた。
だからこそ、主の考えを読み間違えるなど絶対にあってはならないのだ。
「マスターは〈大災厄〉が再び起きることを危惧されているわ」
目を瞠るレギル。
ユミルの話が本当なら指輪を託された意味が変わってくるからだ。
「……それは天使の侵攻があると、主様はお考えと言うことでしょうか?」
「さすがね。ええ、その通りよ」
レギルの頭の回転の速さに感心するユミル。
一を聞いて十を知るとは、まさに彼女のためにあるような言葉だった。
しかし、それでも敬愛する自分たちの主には遠く及ばない。
それが分かっているからこそ、こうして情報を共有し、相談する必要があった。
一人では難しくとも二人で知恵を絞れば、少しは主に追いつけるかもしれないからだ。
「
改めて、主が抱いている懸念。そして、自分の考えを口にするユミル。
ユミルの話を聞き、主から指輪を託された意味をレギルは理解する。
天使に対する備えとして、この指輪を託されたのだと――
「申し訳ありません。ガブリエルから、もっと上手く情報を引き出せていれば……」
「あなたの所為ではないわ。恐らく天使には〈
だからレギルの責任ではないとユミルはフォローする。
ノルンの権能ですら情報を引き出すことが出来なかったのだ。
なら、誰がやっても結果は同じだったはずだ。
それよりも早急に対策を講じる必要があることをユミルは強調する。
「過ぎた事を悔やむよりも対策を講じる方が先よ。これ以上の失態は許されないわ」
「都市の防衛計画を練り直す必要がありますね」
「話が早くて助かるわ」
「だとすれば、月面都市の件も……」
「ええ、私も同じ考えよ。天使の襲撃に備えるため、ダンジョンの中に街を退避させたのでしょうね」
やはり主様は凄い御方だと、レギルは感嘆する。
どこまで先を読み、計画を練っておられるのか、想像も及ばない。
少しでも主に追いつくべく努力を重ねているが、いまだ目標は遠いことを思い知らされる。
それでも――
「主様がこの指輪を託してくださったと言うことは、まだ私たちに期待を寄せてくださっていると言うこと……」
「ええ、だから私たちはマスターの期待を裏切る訳にはいかない。私たちが為すべきことは理解しているわね?」
「はい。ただちに手の空いているメイドたちに招集をかけます」
「ああ、ヘイズに関しては構わないわ。彼女には別にやってもらうことがあるから」
「ですが、防衛計画の見直しについては〈工房〉の協力が不可欠ですが……」
「ゲールヒルデに任せましょう。彼女なら問題はないでしょう」
承知しましたと一礼し、レギルは席を立つと部屋を退出する。
一分一秒でも惜しいのだろう。
レギルを見送ると、背もたれに体重を預け、天井を仰ぐユミル。
「
脳裏に浮かぶのは、炎に包まれる世界。
大樹の根元で少年を抱きかかえ、悲痛な叫びを上げる
椎名にも言ったように、記憶の欠落が見られると言うのは本当だ。大災厄の前後については、ほとんど記憶にない。残っている記憶と言えば、ダンジョンを封印する前、別れ際に先代の〈楽園の主〉――アルカと交わした短い会話だけだった。
しかし、それとは別に前世の――〈暁の錬金術師〉と呼ばれてた頃の記憶を、ユミルは取り戻しつつあった。正確には、天使に対する憎しみ、怒りを――魂が記憶しているのだ。
自分の中にいるもう一人の自分が、奴等を殺せと訴える。
世界を焼き、大切なものを奪った天使を許すなと訴える。
そして、災厄の元凶――ダンジョンを創造した神を許すなと訴える。
「本当に人間の記憶と言うのは、厄介なものね」
そう呟くユミルの表情は、どことなく憂いを帯びていた。
◆
あれから五日経ち、オルトリンデたちが大森林から帰還した。
いつものように玉座に腰掛け、威厳たっぷりにメイドたちを労う。
「よくぞ、戻った。ご苦労だったな」
「身に余るお言葉。私たちは為すべき仕事をこなしただけに過ぎません」
片膝を突いたオルトリンデが恭しく頭を下げると、他のメイドたちも一斉に頭を下げる。
一糸乱れぬ動き。こう言った何気ない所作を見るだけでも練度の高さが窺える。
彼女たちは楽園のメイドのなかでも戦闘能力に長けたメイドばかりを集めた精鋭部隊だ。末端の隊員でも深層のモンスター程度であれば、後れを取ることはない。複数でかかれば、ベヒモスも狩れるほどの実力があった。
だが、そんな彼女たちでも大森林の掃除は一仕事だ。
楽園をぐるっと囲むように広がる大森林は、深層のなかで最も広大なフィールドを誇る。多種多様なモンスターが生息し、様々な素材を採取することが出来るが、それだけに苦労する。
楽園のメイドは全員合わせても千人ほど。たったそれだけの人数で、広大な森を管理するというのは無理がある。だからモンスターの氾濫を許すことになってしまったのだ。
いまもこうして定期的にモンスターの掃除を行っているが、その間にもじわじわとモンスターは数を増やし、強力な個体が生まれている。いずれ、また
こればかりは仕方がない。各国の探索者が成長し、深層の攻略を進めてくれることを祈るしかなかった。〈狩人〉たちのやっていることは、それまでの時間稼ぎと言ったところだ。
それに――
「なにか変わったことはなかったか?」
「キングリザードが誕生し、巨大な集落を形成していました」
「特殊個体か。それって――」
「既に討伐済みです。後ほど〈王種〉の素材は、主様に献上させて頂きます」
彼女たちがモンスターを狩ってくれるから素材に困ることがない。
稀少素材は俺の元に届けられ、それ以外の素材は〈工房〉に届けられる。
そこで生産したものを商品として〈商会〉が販売している訳だ。
「そう言えば、預けた四人はどうしたんだ? 見当たらないようだが」
「主様の前にお連れするには見苦しい状態でしたので〈工房〉に回収してもらいました」
まあ、森の中で二週間近く過ごしていた訳だしな。
恐らく〈工房〉で検査と治療を受けているのだろう。
オルトリンデたちは平気そうだが、これは経験の差が大きいと思われる。
「なら彼女たちには、後ほど俺の部屋に来るように伝えてくれるか?」
「畏まりました」
方舟の件を伝えておかないといけないしな。
頑張ったご褒美に四人を労ってやろうと計画するのだった。
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