第430話 ユミルの帰還

「ただいま、戻りました」


 楽園の屋敷に戻って一週間。〈方舟〉へ出張していたユミルが帰ってきた。

 いまは玉座の間で、ユミルから帰還の報告を受けているところだ。ここまで仰々しい出迎えをする必要はないと思うのだが、メイドたちはカタチから入るところがあるからな。これも様式美と言う奴だろう。

 彼女たちのなかにある拘りというか、美学のようなものだと俺は考えている。

 だから、俺も〈楽園の主〉として全力で応えることにしていた。

 メイドたちの期待に応え、主らしく振る舞うことも、俺の仕事の一つだからだ。


「よく戻った。ヘイズとレミルは一緒ではないのか?」

「はい、帰還したのは私だけです。詳細な報告は後ほどヘイズからあると思いますが、例の件で予期せぬトラブルがありまして――」


 例の件――と言うのは、恐らくシステム改修の件だろう。

 ヘイズには〈方舟〉のネットワーク構築以外にも、〈黒の原典クロノス〉を〈方舟〉のシステムにもう一度組み込むように頼んであった。

 元々〈黒の原典クロノス〉は〈方舟〉で使われていたことから、俺とアカシャのように演算領域リソースを共有できるのではないかと考えたからだ。実際、〈方舟〉は異世界からこの世界に時空間転移してきた訳だしな。

 世界を転移するのに〈黒の原典クロノス〉の力が使われたことは疑いようがない。だとすれば、現状では難しい時空間魔法のコントロールも〈方舟〉のシステムにサポートさせることで可能になるのではないかと考えた訳だ。

 そこで、ヘイズに〈黒の原典クロノス〉の写本を託し、システムの改修を頼んでおいたのだが……やっぱりトラブルが起きていたのか。写本だとダメなのかもしれないな。これは俺のミスだ。

 とはいえ、


「想定の範囲内だ」

「まさか、こうなることを予見されていたのですか?」

「ああ、当然(失敗する)可能性は考慮していた。だから、お前たちが気に病むことではない。近々、俺自ら出向くとしよう」

「さすがはマスターです。では、ヘイズにもそのように伝えておきます」


 実験に失敗は付き物だ。当然、こうなることも考慮していた。

 大事なのは実験を失敗のままで終わらせるのではなく、次に繋げることだしな。

 でも、本音を言うといけると思ったんだけどな。カドゥケウスの〈拡張〉を使って複製した写本とはいえ、能力的にはオリジナルと遜色がないからだ。〈技能の書スキルブック〉では〈原典オリジン〉の力を十全に扱えないと言うことなのだろうか?

 そう言えば、レミルの奴はなにをしに〈方舟〉へ行ったんだ?

 まさか、トラブルの原因ってレミルじゃないよな?

 嫌な予感がしてきた。 


「……確認のために尋ねるのだが、レミルは?」

「既にお気付きかと思いますが、現在〈方舟〉にて眠りについております」


 眠っている? 冬眠でもしているのか? まだ夏だと言うのに……。

 状況がよく分からないが、迷惑を掛けていないのであれば、それでいい。

 まあ、寝る子は育つと言うし、放って置いても問題ないだろう。

 大方、遊び疲れて眠っているだけだろうし。


「マスター、なにか気になることでも?」

「いや、なんでもない。それより、ユミルに渡しておきたいものがある」


 頭を切り替え、こっちの用事も済ませてしまうおうと〈黄金の蔵〉から指輪を取り出すのだった。



  ◆



 主の退出した玉座の間で、ユミルは緊張を解きほぐすように溜め息を溢す。


「さすがはマスターね。私たちの考えていることなど、すべてお見通しなのでしょう」


 主の帰還を聞き、急いで楽園へと戻ってきたのだが、報告をするまでもなかった。

 未来すら見通す叡智で、すべてを〈楽園の主〉は察していたからだ。

 いや、実際に未来が視えているのだろうとユミルは考えていた。

 エミリアや〈青き国〉の巫女姫に出来ることが、自分たちの主に出来ないとは思えないからだ。


「ご主人様であれば、当然かと。ですが……」

「……ですが? 私の留守中になにかあったのかしら?」


 テレジアの態度に違和感を覚えたユミルは、怪訝な顔で尋ねる。

 自分が屋敷を留守にしている間に、なにか不測の事態があったのではないかと考えたからだ。

 一瞬、逡巡する素振りを見せるも、ユミルの問いにテレジアは答える。


「ご主人様は〈大災厄〉が再び起きることを危惧されているようです」

「な……」


 メイドたちの大半は記憶が欠落したままだ。

 それに〈狩人〉のメイドたちも戻った記憶は人間だった頃のもので、〈大災厄〉については記憶が欠落したままだった。しかし、テレジアやレティシアによって必要な情報は共有されていた。

 天国の扉ヘブンズ・ドアのこと、熾天使について――

 記憶の欠落を知識で埋めるように――

 大災厄が再び起きる可能性を考慮してのことだ。

 だが、聞いていた話と違うことからユミルは戸惑いを見せる。


「それは、確かなの?」

「はい。八重坂朝陽に神人であることを明かし、八重坂夕陽を含む四人の教え子たちも〈狩人〉の任務に同行させ、鍛えさせている模様です。恐らくは来たるべき日に備えるためかと……」


 大災厄が起きれば、地球は壊滅的な被害を受けることになるだろう。

 モンスターの氾濫スタンピードとは比較にならない規模のモンスターが、地上に溢れることになるからだ。しかも〈奈落アビス〉のモンスターは強力だ。現代の探索者では、対抗するのは難しいだろう。

 大災厄に備えるのであれば、質の向上は急務。だから――


(だからマスターは、日本で開催される大会に目を付けられたのね)

 

 探索者の大会に目を付けたのだとユミルは察する。

 方舟の件。そして、月面都市に出現した新たなダンジョンも、すべて主の計画に必要なことなのだと考える。

 それが、大災厄への備えだと言われれば、納得の行く話だった。

 しかし、


「〈天国の扉ヘブンズ・ドア〉の封印は正常に機能しているはず……」


 天国の扉ヘブンズ・ドアは楽園の地下に封印されたままだ。

 封印が解けなければ、大災厄が起きることはない。

 だから大災厄が起きる可能性は低いと考えていたのだ。


「ガブリエルの件からも、他の熾天使セラフィムが復活している可能性は高いと考えられます。だとすれば……」

「〈天国の扉ヘブンズ・ドア〉の封印を解くために、ここへ攻めて来る可能性が高いと……あなたはそう考えているのね」


 ユミルの問いに、テレジアは無言で頷く。

 先代が楽園の地下に〈天国の扉ヘブンズ・ドア〉を封印することを計画したのは、設備の経年劣化によって封印が解けるのを危惧したからだと推察できる。ダンジョンのなかであれば、魔力が含まれるものは状態が維持され、時間経過で劣化や老化することがない。

 そのため、自然に封印が解けるのを待ったとしても、その時が訪れることはない。ダンジョンが存在し続ける限り、永久に〈天国の扉ヘブンズ・ドア〉は楽園の地下に封印されたままだからだ。

 となれば、天使たちが取れる手段は限られる。

 天国の扉ヘブンズ・ドアの封印を解くため、楽園へ攻め入ると言うのは考えられないことではなかった。


「ご主人様に未来が視えているのだとすれば、大災厄が起きることを確信されているのかもしれません。それは即ち……」

「……ここが落とされる可能性を考慮されていると言うことね」


 主がなにを危惧しているのかを察し、ユミルは表情を歪める。

 例え未来が視えているのだとしても――

 自分たちの能力が疑われていると言うことに変わりはないからだ。


「だから、マスターは沈黙を破って自ら動かれた。私たちが不甲斐ないばかりに……」 


 到底、許容できる話ではなかった。

 メイドたちに任せていれば、最悪の結果を招くことになる。

 だから静観するのを止め、自ら動く決意をしたとも捉えることも出来るからだ。


「だとすれば、マスターがこの指輪を私に託されたのも……」

「はい。恐らくは……」


 左手の薬指に輝く指輪をじっと見詰め、ユミルは主の考えを察する。

 そして、自分はどう動くべきなのかを考えさせられるのだった。

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