第429話 裏の思惑

「なるほど……上手く・・・考えたものね」


 日本の支社から届いた報告書に目を通し、レギルは愉しげな笑みを浮かべる。

 密かに日本政府とギルドの間で協定が結ばれ、鳴神市を特区に指定する動きがあることは知っていた。

 そうなるように仕向けたのは、レギルだからだ。

 すべては主の願いを叶えるため、地上に楽園を築く計画の一端に過ぎない。だからブリュンヒルデを通じてシャミーナに働き掛け、朝陽をSランクに推挙した。エミリアにもグリーンランドでの会談の際に密かに計画を打ち明け、協力を持ち掛けていたのだ。

 サンクトペテルブルクや浮遊都市に続き、日本の鳴神市もダンジョン特区に指定されれば、ギルドの影響力は一層高まることになる。そして、動きやすくなると言う意味では楽園も同じだ。

 双方にとってメリットのある話だからこそ、エミリアもレギルの話に乗った。レギルの思惑に気付いた上で話に乗ったのは、ギルドが関わることで交渉の余地を残そうとしたのだ。

 しかし、ここにきて予想だにしなかった出来事が起きた。

 それが――


「会長、随分と愉しそうですね。その報告書、例の件ですよね? なんと言ってきたのですか?」

「天谷と暁月が保有する鳴神市の土地を、八重坂朝陽に譲渡する用意があると提案してきたそうよ」

「ギルドや〈トワイライト〉にではなく、八重坂朝陽個人にですか?」


 鳴神市内の土地を、すべて朝陽に譲渡すると提案してきたのだ。

 この申し出をしてきたのは〈暁月〉と〈天谷〉の二家だ。表向きは日本政府は関わっていない。

 しかし、ギルドや〈トワイライト〉に土地の譲渡を持ち掛けてくるのならまだしも、朝陽個人を指名してきたことにヘルムヴィーゲは疑問を持つ。彼女は確かに〈トワイライト〉に所属しているが、ただの探索者に過ぎないからだ。

 だが、レギルの考えは違った。


「国が個人に報奨や特権を与えるには、相応の理由が必要となる。でも、個人や企業がSランクとの関係を構築するために、友好の証として贈り物をするのはおかしな話ではないでしょ?」


 朝陽はただの探索者ではなくSランクの探索者だ。

 楽園から見ればたいしたことはないが、人間たちにとっては世界に六人しかいない規格外の探索者なのだ。新たに誕生したSランクの探索者と友誼を結ぶために贈り物をする。それ自体はおかしなことではなかった。

 先に〈トワイライト〉へ話を持って来たのは、夜見の考えだろうとレギルは察する。朝陽を〈トワイライト〉から引き抜くための工作と捉えられないようにするためだ。

 霊薬の一件で、夜見は〈トワイライト〉を敵に回すことの愚かさを理解している。

 だから通すべき筋を先に通してきたのだろう。

 敵対の意志はないと強調するために――


「そういうことなら納得が出来ます。ですが、それだけのメリットがあるとは思えないのですが……」


 鳴神市の土地とは〈暁月〉と〈天谷〉が、ダンジョンの黎明期から押さえてきた土地のことだろう。

 そのなかには、ギルド周辺の土地も含まれているはずだ。

 これは事実上、ダンジョンに関わる権利を放棄すると宣言したに等しい。

 Sランクとの関係構築は確かに必要なことだろう。それでも、すべての利権を手放してまで得られるほどのメリットがあるとは、ヘルムヴィーゲにはどうしても思えなかった。

 それに――


「彼女の性格を考えれば、この話を素直に受けるとは思えません。仮に受けたとしても個人で管理できるようなものではありませんし、結局は〈トワイライト〉で面倒を見ることになるのでは?」


 そんなものを貰ったとしても、朝陽が喜ぶとは思えない。

 土地に関する専門的な知識などないだろうし、個人で管理できる範囲を超えているからだ。

 そんなものを与えられても持て余すだけだ。

 そうなれば結局、自分たちが管理することになるのではないかとヘルムヴィーゲは疑問を呈する。


「そこまで織り込み済みで、こちらに話を持ち掛けてきているのよ。特区を設立したとしても、新たな利権が生まれるだけ。人間が欲深く愚かな生き物だと言うことは、あなたもよく分かっているでしょう?」

「はい。ですからサンクトペテルブルクでは人間たちに人間たちを管理させるため、現地の組織を利用しました。スカジ様がスカウトしたヴィクトルと言う人間は、とても役に立っております。会長が〈天谷〉の懐柔を指示されたのは、それが理由ではないのですか?」


 表は〈トワイライト〉が、裏はサンクトペテルブルクのギルドマスターにしてマフィアのボスでもあるヴィクトルが担うことで、楽園の支配を受け入れやすい環境を整えてきた。

 だからサンクトペテルブルクと同様、鳴神市でも〈天谷〉に〈トワイライト〉の裏を担わせるつもりなのだとヘルムヴィーゲは考えていたのだ。


「ええ、そのつもりだったわ。でも、彼等はそれだけで満足しなかった」


 トワイライトに協力すれば、特区が設立されても天谷の立場は盤石だろう。

 しかし、それではただ〈トワイライト〉の――楽園の支配を受け入れるだけだ。

 自由があるようで自由がない。それに朝陽を日本へ繋ぎ止めるための特区だと言うのに〈トワイライト〉に主導権を握られていては、いざと言う時に頼りに出来ないかもしれない。

 だから――


「だから、を打とうと考えたのよ」


 保険を欲したのだと――

 これは朝陽を特区に繋ぎ止めるための楔だと、レギルは説明する。


「ただ、土地を譲ると言っているのではないわ。サンクトペテルブルクが〈皇帝〉によって支配されていたように、特区を八重坂朝陽が治める地として認めると、日本の裏を担ってきた二家が認めたのよ」


 そうすれば、朝陽は日本を――

 正確には、特区をモンスターから守る責任が生じる。彼女の性格から言って、見捨てたりは出来ないだろう。楔を打つとは、そう言うことだ。

 トワイライトが朝陽に協力することは織り込み済み。その上で、すべての権利を手放してでも朝陽を特区に縛り付ける楔を用意した。それが、この提案の狙いだとレギルは説明する。


「人間らしい浅はかな思惑ですね」


 レギルの話を聞き、苛立ちを顕わにするヘルムヴィーゲ。

 朝陽のことなど、どうでもいい。自分たちの計画が、逆に利用されたことが気に入らないのだろう。

 それに、朝陽に庇護を与えたのは〈楽園の主〉だ。だからこそ、レギルは朝陽を〈トワイライト〉に招き入れた。将来、なにかの役に立つと考えてのことだ。そして、朝陽は見事その期待に応えて見せた。

 あの時から主には、この未来が視えていたのだとヘルムヴィーゲは考える。

 だからこそ、気に食わないのだ。

 いまや、あの人間――八重坂朝陽は〈楽園の主〉の所有物だ。日本のSランクなどではない。それを理解せず、主の持ち物に手をだそうとする愚かな人間たちの考えが許せなかった。


「ご命じ頂ければ、この愚かな計画を企てた者たちを始末してまいりますが?」


 人間たちには立場を分からせる必要があると考え、ヘルムヴィーゲは進言する。

 しかし、


「忘れたの? 〈暁月〉に手をだすことだけは絶対に認められないわ」


 レギルはヘルムヴィーゲを止める。

 この案を考えた人間については察しが付く。楽園のことを理解している夜見がこのような企てを考えるとは思えないことから、彼女の協力者――暁月真耶がこの筋書きを描いた黒幕だと。

 しかし、ヘルムヴィーゲに〈暁月〉を始末させる訳にはいかなかった。


「それは……主様の生家だからですか?」

「そこまで分かっているのなら、私の言いたいことは理解できるでしょ?」


 レギルに睨まれ、「失礼しました」と謝罪するヘルムヴィーゲ。

 ただ人間が嫌いと言うだけで、ヘルムヴィーゲがこんなことを言っているのではないと言うことはレギルも分かっていた。

 それでも、主の意に反する行動を取る訳にいかない。それがレギルの考えだった。

 それに――


「それに〈天谷〉にも、まだ利用価値があるわ」


 夜見もバカではない。このような提案をすれば不興を買うことは理解しているはずだ。そのリスクを冒してでも必要なことだと判断したから、暁月真耶の提案を呑んだのだろう。

 だから――


「いずれ、相応の対価を払ってもらうわ。でも、いまは――」


 勝手な真似をしないようにと、レギルはヘルムヴィーゲに釘を刺すのだった。

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