第426話 三大欲求

 長い銀髪のメイドが見晴らしの良い崖の上に陣取り、森の中でモンスターと戦闘を繰り広げる夕陽たちを観察していた。

 万が一の時は助けに入れるように見守っているのだろう。しかし、ギリギリまで手をださないようにと上司オルトリンデから厳命されているため、こうやって離れた場所から見守っていると言う訳だ。


「思ったよりも、やりますね。彼女たち――」


 ひとりひとりの実力は自分たちに及ばないが、パーティーとしての力はなかなかのものだと四人の動きを評価する。

 しかし、レッドオーガやデスハウンド程度に手間取っているようでは、実力の底が知れている。所詮は人間と言うのが、メイドが夕陽たちにくだした評価だった。

 それだけに――


「ご主人様が目をかけるほどとは思えないのですが……」


 自分たちの主人が目をかけるほどの人間とは、どうしても思えなかった。

 余り戦闘に長けていない〈書庫〉や〈庭園〉のメイドでさえ、その実力は探索者で言うところのAランクに相当する。〈狩人〉に所属するメイドともなれば、全員がAランクの上位。準S級と呼ばれるトップランカーと同程度の実力を備えているからだ。

 九姉妹ワルキューレに至っては、Sランクとも互角以上に渡り合えるほどだ。

 しかし、メイドから見た夕陽たちの実力は、Aランクにギリギリ届くかどうかと言ったところだった。

 人間のなかでは相応の実力者なのは間違いないが、〈楽園の主〉が目をかけるほどとは思えなかったのだろう。


「ヘイズ様が仰っていたけど、実験じゃないかって話だよ」

「実験?」


 どういうことかと、声をかけてきた短い髪のメイドに長髪のメイドは尋ねる。

 長い髪の猫のように釣り上がった目をしたメイドの名は、トカレフ。

 短い髪の少しおっとりとした口調のメイドは、マカロフ。

 二人とも〈狩人〉に所属するメイドで、オルトリンデ直属の配下だ。

 別働隊の指揮を任されるほどの実力者だった。


「うん。レギル様のところで働いてる明るい髪の子がいるでしょー? あの人間みたいに鍛えて、人が〈神の領域〉へ至るための研究をされてるんじゃないかって」


 マカロフの話を聞き、そういうことかと納得するトカレフ。

 同時に、さすがはヘイズ様だと感心する。〈楽園の主〉の叡智は未来すら見通すと言われている。そんな御方の考えを察するなど、〈原初〉の方々でなければ難しいと考えたからだ。


「ご主人様が過去の世界から連れて帰ってきた青い髪の子や、金髪のお人形さんみたいな子も不思議な力を使うって話だしねー。以前もモンスターを捕まえて研究なさっていたし、たぶんそういうことなんだろうね」

「なるほどね。それなら納得だわ」


 実験動物モルモットと言うのであれば、〈楽園の主〉が目をかけるのも納得の行く話だった。

 成長を観察し、記録することが目的なのだと察せられるからだ。

 しかし、そうと分かっていても黒い感情が湧き立ち、羨ましく思ってしまう。

 主から教えを乞う機会など、楽園のメイドにすらないからだ。


「ああ、出来ることなら私も主様のモルモットにしてくださらないかしら……」

「トカレフちゃん、本音が漏れてるよ……。気持ちは分かるけどねー」


 許されるのであれば、自分が実験動物モルモットになりたい。

 そんな風にトカレフが妄想に耽っていると――


「彼女たちの様子はどう?」


 どこか呆れた表情のオルトリンデが姿を見せるのだった。



  ◆



「まったく……ここはもういいから、あなたたちは森の掃除・・に戻りなさい。東の沼地にリザードマンが集落を作っているらしいわ。恐らくは〈キング〉がいるから他のメイドたちと合流して狩ってきなさい」


 トカレフとマカロフに指示をだすオルトリンデ。

 命令に頷くと逃げるように立ち去る二人を見送って、オルトリンデは溜め息を溢す。


「あの子たち、前はあんな感じじゃなかったのに……やはり、これも記憶が戻った影響なのかしら?」


 イギリスの一件で、前世の記憶を取り戻したメイドは五十人以上いる。

 トカレフとマカロフも、そのなかの一人だ。

 すべてを思い出したと言う訳ではないのだが、やはり前世の記憶は人格に影響を与えるのだろう。

 あの二人を見ていると、そうとしか思えなかった。


「本来、ホムンクルスに備わっていない欲求が、人間だった頃の記憶を取り戻したことで呼び覚まされた。そう考えるのが自然なのでしょうね」


 ホムンクルスと言うのは錬金術によって生み出された人形で、主の忠実な下僕しもべでしかない。そのため、感情が稀薄で人間で言うところの三大欲求がない。魔力さえあれば活動が可能で、食事も睡眠も必要としないからだ。

 それが椎名との生活のなかで徐々に感情が豊かになって行き、人間の技術や文化に興味を持つ者まで現れ始めた。メイドたちが新たな知識と技術を求めたのは、主のためでもあったのだろう。

 しかし、これまで命令がなければ自発的に動くことのなかったメイドたちまで、主の役に立ちたい。喜んで欲しいという一心で、自らの考えと意志で行動を始めたのは過去に例のないことだった。

 オルトリンデもそうだ。主の偉業を記録した伝記を執筆しているのだが、昔の彼女であれば、そんな行動を取らなかっただろう。椎名との出会いが、メイドたちを変えたのだ。

 そして、イギリスの一件だ。

 前世の記憶を取り戻したメイドたちには、目に見える変化が現れていた。

 自分たちは主人の道具・・であるという固定観念が、メイドたちのなかにはある。それが揺らぎ始めたのだ。

 主への忠誠心が揺らいだとか、そういう話ではない。むしろ、逆だ。

 主の特別になりたい。可能であれば、お情けを頂きたい。

 そう言った情欲――人間らしい・・・・・感情があらわれはじめたのだ。

 だから、嫉妬・・する。これまでのトカレフであれば実験の道具だと言われれば、そこで納得して夕陽たちに興味を失っていただろう。

 しかし、彼女は夕陽たちに嫉妬した。自分が彼女たちのようにありたいと願ってしまった。

 それは本来、ホムンクルスが持ち合わせない欲求だった。

 人間だった頃の記憶が戻ると言うのは、恐らく人の持つ三大欲求を取り戻すと言うことでもあるのだろう。

 オルトリンデも例外ではなく、主と触れ合いたい。

 主の傍にいたいと思う気持ちが、以前よりも大きくなっているのを感じていた。


「このような感情……ご主人様に抱くと言うこと自体、畏れ多いと言うのに……」


 抱いてはならない願いだと、オルトリンデは自制する。

 しかし、同時に思うことがあった。〈狩人〉の長、スカジのことだ。


「長は以前から、ご主人様に特別な感情を抱いておられた。だとすれば……」

 

 人間だった頃の記憶が残っていたのかもしれないと、オルトリンデは考える。

 そう考えれば、スカジの行動にも納得が行くからだ。


「そう言えば、長の身体をご主人様は気に掛けておられた。もしかして、お気付きに?」


 楽園の主であれば、十分に考えられる。

 だとすれば、尚更この感情は秘するべきだとオルトリンデは考える。

 まだ、楽園の主がどういう判断を下すかが分からないからだ。

 楽園のメイドにとって死よりも恐ろしいのは、主に必要とされないことだ。

 仮に失敗作だと判断され、主に必要とされなくなれば生きてはいけない。

 慈悲深い主に限って、そんなことはないと信じたいが、


「長が焦っているのも、ご主人様に必要とされなくなることを恐れているのかもしれない……」


 主に見放されれば、楽園のメイドは存在意義を失う。

 そうならないためにもっと強くなる必要があると、オルトリンデは決意を新たにするのだった。

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