第408話 聖人
「――これを公表しても構わないのですか?」
シャミーナから渡された資料に目を瞠るアイーシャ。
そこには、世界の常識を根底から覆すような内容が記されていたからだ。
公表すれば、世界が震撼する。混乱は必至の情報だ。
「神のご意向よ。ブリュンヒルデ様とレギル様の了承も得ているから問題はないわ」
神の意向だと聞いて、アイーシャの表情が引き締まる。
それが、どう言うことを意味するかを察したからだ。
「では、遂に……」
「ええ、ようやく務めを果たす時がきたのよ」
シャミーナが〈教団〉を設立したのは、この日のためだった。
神――〈楽園の主〉が表舞台に姿を現した時、〈教団〉が地上に楽園を築くための手足となる。神の名と威光を世に知らしめ、神の下で誰もが平等に機会を与えられる理想郷を築く。
それこそがシャミーナの願いであり、〈楽園の主〉より託された神託だと信じていた。
そして、いま新たな神託が下された。
「神託が下ったと信徒に告げなさい」
資料に添えられた写真。
朝陽と夕陽の写真にシャミーナは視線を落とし、
「聖女シャミーナの名において、ヤエザカアサヒとユウヒの両名を〈聖人〉に認定します」
世界中に散る信徒に向けて、神託を布告するのだった。
◆
各国の上層部は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
月に出現した新たなダンジョンは神の手によって創造されたものだと、月面都市のギルドが公表したからだ。
その神の名は――シーナ・トワイライト。
黄昏の錬金術師の名で知られる月の主。〈
「ダンジョンの創造だと……だとすれば、やはり〈楽園の主〉と言うのは……」
これまでにも〈楽園の主〉を神と崇める者たちはいた。
一つは生産系のスキルに目覚めた魔導具技師たち。
彼等が神と崇めるのは〈黄昏の錬金術師〉の名で知られる錬金術師だ。
世界中から集められた職人たちに自らの魔導書を開示し、錬金術の基礎を伝えた〈トワイライト〉の錬金術師。その正体が〈楽園の主〉であることは、公然の秘密となっていた。
そして、もう一つが〈教団〉だ。
教団はクランであり、ダンジョンを崇める宗教団体だ。
正確には彼等の崇める神と言うのは、この世界にダンジョンをもたらした神で、その正体を公にはしていなかったが〈楽園の主〉だと言うことは知る者は知る秘密となっていた。
しかし、実際に神の奇跡を目にしたことがある者はほとんどいない。
楽園の主が人類にない知識と力を持っていることは間違いないが、規格外と呼ばれる者であれば人間のなかにも存在する。そのため、ほとんどの者は半信半疑だったのだ。
だが、月の緑化にはじまり、グリーンランドの浮上。更には今回の事件だ。
荒野を緑に変えるくらいなら、魔法で実現が可能かもしれない。
島を浮かせることも、規格外と呼ばれるSランクであれば可能かもしれない。
しかし、ダンジョンの創造となると話は別だ。
教団が〈神の恩寵〉と呼ぶスキルは、ダンジョンが人類に与えた新たな力だ。即ち、Sランクの力もダンジョンによって授けられたものに過ぎない。ダンジョンは災厄の象徴であり、神の奇跡そのものと言えるものだった。
だからこそ、信仰の対象にもなっている。
それを生みだした存在など、神以外にありえないと言うのが人類共通の認識だ。
少なくとも神と呼ばれるだけの力を持った存在であることは否定できない。
「ダンジョンを造れるとなると、各国も対応を変えざるを得ないだろう」
新たなダンジョンが出現した以上、ダンジョン事変と〈楽園の主〉を無関係と考えるのは無理がある。当然、三十五年前の大災害を持ち出し、楽園の責任を追及する者も現れるだろう。
だが、問題はそんな次元の話ではなかった。
現代の人々にとって、ダンジョンとは欠かすことの出来ないものとなっている。
魔法が生活の一部に組み込まれ、ダンジョンで採れる素材や魔石は新たな資源として現代社会を支える重要な礎となっていた。つまり、ダンジョンなしには社会が成り立たないのだ。
ダンジョンとの関わりを捨て、嘗ての生活に戻ろうとしても国防の問題がある。
いまや探索者は近代兵器に変わる新たな抑止力として、国防を担う重要な力となっている。ダンジョンとの関わりを捨てても他の国が追従するとは限らない以上、国防の観点からもダンジョンを封印すると言った手段は取れなかった。
即ち、楽園を非難したからと言って解決する話ではないのだ。
むしろ、それは悪手だと総理は考えていた。
ダンジョンを生み出せると言うことは、逆の可能性も考えられなくはないからだ。
ダンジョンが消えるようなことになれば、その国の経済は破綻し、崩壊する。しかし、楽園と友好的な関係を築くことが出来れば、自国にダンジョンを出現させることが出来るかもしれない。そんな淡い希望が頭を過る。
これまでは確信がなくて動けなかったが、楽園との付き合い方を大きく見直す国も出て来るだろう。
これこそが、いまになって楽園が情報を開示した理由なのだと総理は察する。
それに――
「死者蘇生など……」
問題はダンジョンの件だけではない。
総理が頭を抱えているのは、死亡したとされる百十四名の探索者と学生が生き返ったと言う報告をギルドから聞かされたためだ。
死者蘇生。それが事実なら、霊薬や万能薬どころの話ではない。
死者を蘇らせるなど、まさに神の奇跡だ。
「だが、これで合点が行った。〈聖女〉は知っていたと言うことか。だから……」
聖女は――〈教団〉は〈楽園の主〉が人間ではなく神そのものだと確信していた。
だから夜見を通じて、日本政府に提案を持ち掛けてきたのだと総理は察する。
「……聖女の提案を呑まざる得ないか」
だとすれば、断る理由はなかった。いや、断れないと言った方が正解だろう。
交渉とは、立場が対等だからこそ通用するのだ。
相手が本物の神。それもダンジョンを生み出せる存在と分かった以上、これまでのようにはいかない。
楽園との付き合い方。〈楽園の主〉との接し方を根本的に見直す必要があった。
それに――
「〈教団〉にとって、あの姉妹は神に選ばれた存在。即ち、聖人と言うことだ」
朝陽と夕陽の立場もこれまでと変わって来る。
これが、総理が〈聖女〉の提案を受けざるを得ないと考えた最大の理由だった。
日本は国教を定めておらず、国家が特定の宗教に肩入れすることを禁じる政教分離方式を取っている国だ。
そう言う意味では〈教団〉と関係を持つことは好ましくないのだが、どんなことにも表と裏が存在する。政教分離で禁じているのは国家が特定の宗教を優遇したり冷遇することであって、宗教団体の活動を制限するものではないからだ。
人々が共通の宗教観に基づいて結成されたものが宗教団体だ。だからこそ、法律だけでは解決できない――救いあげることの出来ない人たちの受け皿となっている側面がある。
ようするに〈聖女〉の提案とは政治的な部分は日本政府に任せ、宗教や思想の絡む問題に関しては〈教団〉が請け負うと言うものだ。
朝陽と夕陽を〈聖人〉に認定したのも、そのためだろう。〈教団〉が介入する口実を作ったのだ。
ここまで話が大きくなると、日本政府だけで対応できる問題ではない。
だが、それは〈教団〉も同じなのだろう。だから政府に提案を持ち掛けてきた。
となれば、その提案に乗らざるを得ないと言うのが、総理のだした答えだった。
それに、最初に日本へ話を持って来たのは、朝陽と夕陽が日本人だからと言う理由だけではないと考えられる。
日本は多くの宗教を受け入れ、共存してきた稀有な国だ。これは日本人特有の宗教観に由来するところが大きいのだろう。
神道と仏教が融合し共存する関係――〈神仏習合〉の歴史からも、そのことは学び取れる。だから〈教団〉の教義についても、日本であれば比較的受け入れられやすいと考えたのだろう。
『総理。少しよろしいでしょうか?』
政務室に籠もって一人で考えごとに耽っていると着信音が鳴り、総理はデスクに備えつけられたボタンを押す。
ギルドが使っているものと同じ〈
光魔法を応用した立体映像が浮かび上がり、補佐官の姿が現れる。
「どうかしたのかね?」
『ギルドの代表理事の使いを名乗る方がいらしています』
「代表理事の使い? まさか……」
総理の頭に一人の人物が過る。
ギルドの代表理事を知らない政府関係者など存在しない。
そして、代表理事の代理を任される人物など、限られるくらいしかいなかった。
グリーンランドのギルドマスターと、もう一人――
「すぐにお通ししろ」
世界で最も稀有なスキル〈星詠み〉の覚醒者。ギルドの代表理事には、未来が視えていると言う。
だとすれば、このタイミングで代表理事の使いが現れたのは、いままさに対応を考えていた件だと察する。
「突然の訪問、失礼いたします」
「いえ、よくきてくださいました。〈
補佐官に案内されやってきた黒髪の女性――
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