第375話 探索者の意地

「夕陽……ここって、まさか……」

「うん、月のダンジョンの入り口だね」


 景色を眺めながら呆然とする朱理。彼女が驚くのも無理はない。

 いま朱理たちは地球ではなく、月のダンジョンの出入り口ゲートにいた。

 と言うのも、


「行き先が月のダンジョンに設定されたものしかなかったから、取り敢えず月に転移したけど安心して」


 夕陽が〈帰還の水晶リターンクリスタル〉を使用したからだ。


「サーシャちゃんかシオンさんに連絡が取れれば、日本へ帰してもらえると思うから」


 仲間を安心させようと、地球に帰るあてがあることを説明する夕陽。

 しかし、なんとも言えない複雑な表情を覗かせる朱理。そういうことを心配している訳ではなかったからだ。

 朱理が戸惑っているのは、ここが月だからだ。

 厳しい審査を通過しなければ、訪れることが困難な場所。それが、ここ月のダンジョンを擁する月面都市だ。

 探索者が月に訪れるには、まずギルドを移籍する必要がある。そして、必ずしも高ランクの探索者である必要はないが、月面都市のギルドに移籍するには国やギルドの推薦を得る必要があった。

 実績を認められた優秀な一部の探索者しか推薦を得るのは難しいことから、月のダンジョンで活躍するのは探索者にとって一種のステータスとなっている。そのため、一度は訪れてみたいと思っていたが、まさかこんなカタチで夢が叶うとは思ってもいなかったのだろう。

 第一〈帰還の水晶リターンクリスタル〉はギルドが厳重に管理しているため、個人で所有することなど出来ないはずだ。幾ら〈トワイライト〉と関係があると言っても説明が付かない。これだけでも、夕陽が特別な存在・・・・・であることが察せられる状況だった。


「あれが噂の月面都市? まさにSFの街って感じだね」


 遠くに見える街を眺めながら緊張感のない声を漏らす明日葉を見て、大きな溜め息を溢す朱理。この状況で景色を眺めて楽しめるほど、図太い神経は持ち合わせていないからだ。

 そう言う意味で、明日葉のポジティブさが羨ましくもあるのだろう。


「はは……夢だ。そうだ。俺は夢を見ているに違いない……」


 むしろ、これが普通の反応だった。

 現実逃避する斉藤を見て、自分がおかしい訳ではないと朱理は安堵する。

 それに、もう一つ素直に楽しめないと言うか、落ち着かない別の問題があった。


「物凄く注目を集めているわね……」

「たぶん、この服を着ているからだと思うよ。この街でメイド服を着ている人なんて、楽園のメイドさん以外にいないからね」


 ダンジョンのゲート前と言うことで探索者が大勢集まっているのだが、注目を集めていた。

 ここは日本ではなく月面都市――あの楽園のテリトリーだ。

 楽園の技術力。メイドの実力。それらを肌で感じ、知っている探索者たちが多い。

 そのため、メイド服が持つ意味の重さが地球とでは大きく異なるのだろう。


「あ、あの……会長……私たち、どうなるんでしょうか?」

「落ち着いて。心配しなくても大丈夫よ」


 脅える女生徒に優しく声をかけ、安心させる雫。

 戸惑っていると言う意味では雫も彼女と変わりがないのだが、


(やっぱり、八重坂さんは……)


 状況から夕陽の立場や隠している秘密に薄々と気付き始めていた。

 霊薬とマジックバッグに続いて〈帰還の水晶リターンクリスタル〉を使用できる立場の人間ともなれば、〈トワイライト〉の関係者と言うだけでは説明が付かないからだ。

 だから、この場は夕陽に任せておけば大丈夫だと判断したのだろう。

 とはいえ、


「それじゃあ、まずはギルドへ向かうね。モンスターのことを報告しておかないと」 

「ねえ、夕陽。全部おわったら観光してもいいかな?」

「……明日葉って、本当に動じないよね」

「悩んでも状況が変わらないなら、楽しんだ方がお得でしょ?」


 明日葉のように前向きに楽しむのは難しそうだと、雫は思うのだった。



  ◆



 総勢千人を超す探索者が、ダンジョン前に集結していた。

 その理由は――


「確認できているだけで、モンスターの数は一万以上。そして、いまもモンスターの数は増え続けている。このままではモンスターの氾濫スタンピードが起きるのも時間の問題って話だ」


 スタンピードの兆候が確認されたためだ。

 夜見は〈楽園の主〉に原因の調査を依頼し、一旦地上へ帰還。

 モンスターの氾濫を防ぐために、探索者たちへ緊急依頼をだしたと言う訳だ。

 集められた探索者のランクはC以上。二年半前の作戦に参加した者も少なくないのだろう。 

 ギルドマスターの――夜見の話に険しい表情を覗かせる。

 しかし、


「だが、安心しな。楽園の協力を得ることが出来た」


 楽園の協力を得られたと聞き、探索者たちの表情が和らぐ。

 最低でもAランクに相当すると噂される楽園のメイドが力を貸してくれるのであれば、これほど心強い味方はいないと安堵したのだろう。


「でも、それでいいのかい?」


 だが、安堵する探索者たちに夜見は尋ねる。


「楽園の協力を得られれば、勝利は確定したようなものだ。だが、本当にそれでいいのかい?」


 もう一度、念を押すように尋ねる。

 楽園の力を借りることが出来れば、スタンピードを食い止めるのは難しくないだろう。

 しかし、それでは楽園のメイドさえいれば、探索者は不要と言うことになる。


「臆病な奴は、ここに残って防衛ラインの構築でもしてな。楽園のおこぼれを頂くといいさ。だが、少しでも探索者の誇りが――プライドが残っているのなら、アタシについてきな」


 夜見の言葉にプライドを刺激され、ある者は怒りに震え、ある者は闘志を滾らせる。


「ここはアタシたちの国だ。誰がこの国を守る? 楽園かい? 違うだろ」

「そうだ! ここは俺たちの国だ! 俺たちがやらないでどうする!」

「楽園のメイドがなんだ! 探索者の意地を見せてやれ!」


 夜見の演説に奮い立ち、威勢の良い声を上げる探索者たち。

 すべて夜見の狙い通りだった。

 

(少しは活躍しないと、楽園に頼ってばかりもいられないからね)


 日本の探索者の平均レベルは決して高いとは言えない。〈戦乙女〉や〈勇者〉と言った世界的に有名な探索者もいるが、高ランクの探索者の数がダンジョンを擁する他の国と比べても劣っているからだ。

 だから、いざイレギュラーな事態が発生しても、すぐに対処できる探索者が少ない。ギルドの召集に応じた探索者の数はCランクが千三百名。Bランクが二十八名。Aランクに至っては、夜見を含めて僅か三人だ。

 首都近郊でギルドに登録している探索者の数は百万人を超え、ここ鳴神市でも常に十万人を超える探索者が生活を送っているが、そのほとんどはDランク以下という有様だった。

 ダンジョンの開放に湧き立った黎明期の名残と言うのもあるが、いまもスキルを獲得するためだけにダンジョンに潜ったり、レジャーやファッション感覚でライセンスを得ようとする一般人が少なくないためだ。

 実際にダンジョンで生計を立てている探索者の数は一割にも満たないだろう。そのため、非常召集の対象となるCランク以上の探索者の数が、圧倒的に足りていないと言うのが実情であった。

 上層はともかく中層や下層で活躍できる探索者が少ないため、モンスターを駆除したくても手が足りていない。現状では企業が求める量の魔石や素材の確保も難しいことから、ダンジョンの管理を楽園に頼らざるを得ないというのが、この国の実情だ。

 しかし、楽園に頼ってばかりもいられないというのが、ギルドマスターとしての夜見の考えだった。

 今回のモンスターの氾濫スタンピードは二年半前のものと違って、中層に限定されたものだと分かっている。ならCランクの探索者でも、どうにか対処は可能のはずだ。

 出来る限り楽園に頼らず、この国の問題はこの国の探索者の手で解決したい。

 それが、探索者たちの成長と自信に繋がると夜見は考えていた。

 それに――


(ごめんよ、雫……)


 楽園だけに任せることが出来ない理由は、もう一つあった。

 探索者学校の学生がダンジョンの中層に取り残され、いまも行方不明になっているからだ。そのなかには、夜見の妹もいた。

 しかし、生存は絶望的と言っていい。イレギュラーだけでも学生には厳しい相手だと言うのに、スタンピードに巻き込まれて無事な可能性はゼロに等しいからだ。

 だから、楽園にだけ任せることは出来なかった。

 せめて自分の手で妹の仇を討たなければ、気持ちの整理をつけることが出来ないからだ。


(覚悟は出来ていたはずなのに……情けないね)


 雫に限った話ではない。

 昔に比べれば死亡率が下がっていると言っても、五体満足で引退できる探索者など全体の半数に満たない。人知れずダンジョンで命を落とす探索者は、後を絶たないのが現実だ。

 特にギルドに登録して二年から三年くらいが、最も命を落とすリスクが高いとするデータがでていた。上層で命を落とす探索者は余り多くないが、中層以降から一気に死亡率が跳ね上がるからだ。

 二年、三年目となると実力もある程度身につき、自信がついてくる頃だ。そのため、無茶をして大怪我をする若者が少なくないのだろう。しかし、あの子なら――雫なら大丈夫だと思っていた。

 それが、大きな間違いであったことを夜見は気付かされる。

 絶対に大丈夫なんてことはない。どれほどの実力があろうと、どれだけ気を付けていようと、死ぬ時はあっさりと死ぬ。それがダンジョンと言う場所だ。

 改めて、ダンジョンが危険な場所だという認識を思い知らされる。

 頭では理解しているつもりで覚悟が足りていなかったのだと夜見は後悔していた。

 だから、せめて――


(アンタの仇は、アタシがとってあげるから)


 妹の無念は自分の手で晴らしたい。

 最愛の妹の死は、夜見の心に暗い陰を落とすのだった。

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