第374話 絶望と希望

 階層を隔てるゲートには、モンスターの侵入を阻む結界が張られている。

 そのため、本来であれば下の階層のモンスターが上がってくることはないのだが、


「中層と上層を隔てる結界が崩壊しかけています」


 モンスターの数が一定の値を超えると結界が崩壊し、モンスターが溢れ出す。それがスタンピードだ。

 二年半前に起きたモンスターの氾濫でも、同様の現象が確認されていた。あの時は事前に兆候を掴むことが出来たため、各国に注意を促すことが出来たのだが、今回みたいに突発的な現象は初めてだ。


「なんの兆候も掴むことは出来なかったのか?」

「はい……申し訳ありません」


 責めている訳ではないのだが、シュンと肩を落として落ち込むスカジ。

 モンスターを間引くのが〈狩人〉の仕事とはいえ、ここは日本のダンジョンだしな。スカジが悪い訳ではないと言うのは理解しているつもりだが、聞き方が悪かったようだ……。


「責めている訳じゃない。モンスターの氾濫スタンピードが起きるにしても早すぎると思っただけだ」


 あれからまだ二年半しか経っていないことを考えると、幾らなんでも早すぎるように思う。

 前回のスタンピードが起きるまで、ダンジョンの出現から三十年以上の空白があったのだ。そのことからも、二年やそこらでモンスターが溢れるほど増えると言うのは考え難い。

 それにギルドの設立当初と比べれば、探索者の数・質ともに大きく向上しているはずだ。むしろ、モンスターを狩るペースが上がっているはずなので、次のスタンピードまでの間隔が広がっていないとおかしい。

 となれば、他に原因があると考えるのが自然だが、


「このままにしておけないか」


 放って置く訳にもいなかった。

 これから異文化交流も控えていると言うのに、スタンピードが原因でイベントだけでなく大会も中止になったら目も当てられない。さすがに見て見ぬ振りは出来ないと判断する。


「スタンピード……それじゃあ、雫は……」


 声を震わせるギルドマスターを見て、そう言えばと思い出す。

 中層に探索者学校の生徒が取り残されていると言う話だったな……。

 しかし、まだ死んだと決まった訳ではない。まずは安否を確かめるのが先だ。

 とはいえ、それも簡単ではないのだが……。基本的にダンジョンは階層を進むに連れて広くなっていくからな。

 便宜上、上層、中層、下層、深層と分けて呼んではいるが、厳密にはダンジョンは縦穴構造ではなく入り口と同様にゲートと呼ばれる穴で階層が区切られている。そのため、一つの階層がとにかく広大な造りとなっていた。

 上層でもちょっとした島くらいの広さがあるし、中層はその数倍――四国くらいの規模があると思ってくれていい。下層に至っては、日本列島がすっぽりと入るくらいの広大な面積を誇っていた。

 深層に至っては、ユーラシア大陸と同等くらいの広さがあるからな。

 更にその先〈奈落アビス〉に至っては地球よりも広大で、いまだに全容が掴めていない。

 そんな場所で遭難した人間を探し出すのが、どれだけ大変かは理解してもらえると思う。


「契約に従い、我が声に応えよ――」


 なので、ここは最適な人材に力を借りようと思う。

 黄金の蔵から取り出した宝石・・に魔力を注ぎ込み、詠唱を口にする。

 これは〈精霊石〉と呼ばれるもので、精霊を召喚するために用いられる触媒だ。

 そして、俺が仮契約・・・をしている精霊と言うのが――


精霊召喚エレメントコール


 スカジと同じ〈原初はじまり〉の名を持つメイドの一人にして、世界樹の大精霊。

 イズンであった。



  ◆



「お呼びでしょうか、ご主人様」

「ああ、中層に学生が取り残されているらしいから手を貸してくれるか?」

「お任せください」


 イズンを呼び出した理由は簡単だ。

 彼女は世界樹の大精霊。ようするに精霊の母たる存在だ。

 だから精霊の目を通して、離れた場所の様子を窺い知ることが出来る。精霊は魔力のある場所にならどこにでも存在するため、こう言ったダンジョン内の捜索には打って付けと言う訳だ。

 しかし、


「申し訳ありません。中層に人間の姿を確認できませんでした」


 最悪の答えが返って来る。

 その可能性を考えない訳ではなかったが、既に全滅した後だったみたいだ。


「そんな……どうして、こんなことに……」


 絶望するギルドマスターを見て、さすがにかける言葉が見つからなかった。

 探索者とは、命懸けの仕事だ。ダンジョンに挑むと言うことは学生と言えど覚悟はしているはずだが、だからと言って大切な人が亡くなれば誰だって悲しい。頭では理解していても感情は別だしな。


「イズン。モンスターが溢れそうになっているのは中層だけか?」

「はい。下層に影響はないようです。ですが、これは……」

「なにかあるのか?」

「魔素の濃度が尋常ではありません。恐らくは下層……いえ、深層にも匹敵する濃度の魔素が中層に溢れています。前回の氾濫でも、ここまでのものは確認されていません」


 大量の魔素が溢れているってことか。

 魔素と言うのは、魔法を使用した際に生じる魔力の残りかすのようなものだ。基本的には無害なものだと思っていいが、魔素を長期間浴び続けると動物にも影響を及ぼすことが確認されている。

 魔物がそうだ。あれは地上の動物が魔素を浴びることで、長い歳月をかけて変異したものだと考えられていた。

 動物に変化をもたらすのであれば、モンスターに影響があっても不思議ではない。むしろ、身体が魔力で構成されているモンスターの方が強い影響を受けると言ってもいいだろう。


『マスターの推察通り、氾濫の原因は大量の魔素であると推測されます。ダンジョンが吸収しきれなくなった魔素から新たなモンスターが生まれ、暴走を引き起こしたのではないかと』


 やっぱり、そう言うことか。でも、そんなに大量の魔素をどこから……。

 もしかして、ミノタウロスの特殊個体が?


『切っ掛けの一つと考えられますが、原因は別にあるものと推察されます。本来、中層でイレギュラーが発生することは稀です。ですが、今回その稀な現象が発生した。そこには他の要因があると考えるのが自然です』


 ようするに順序が逆ってことか。

 大量の魔素を発生させている原因は他にあり、特殊個体が発生したのは魔素が原因であると――

 そうすると原因の特定もしておきたいところだ。

 また同じようなイレギュラーが発生するかもしれないからな。


「……陛下。日本支部のギルドマスターとして、楽園に協力を要請します。スタンピードを食い止めるために、ご協力頂けないでしょうか?」


 目を腫らしながら、協力を要請してくるギルドマスター。

 モンスターが地上に溢れ出せば、更に犠牲者を増やすことになる。

 だから悲しむよりも前に、いまは氾濫を食い止めるのが先だと判断したのだろう。

 本当によく出来た人だと思う。それだけに、なんとかしてやりたいと思うのだが、


『イズン、死体の回収も難しそうか?』

『捜索を続けていますが、それらしいものは発見できていません。ただ、探索者のものと思しき折れた刀を発見しました』

『そうか……なら、遺品を回収して捜索は続けてくれ。死体さえあれば、蘇生が可能かもしれないからな』

『畏まりました』


 念話で指示を送ると、一礼してイズンの姿が消える。遺品の回収に向かったのだろう。

 亡くなっていたとしても遺体さえあれば、蘇生は可能だ。

 余り時間が経過すると難しくなるが、そこはイズンに期待するしかない。


(こういうこともあると分かってはいるけど、やるせないな)


 こういう時は自分の不甲斐なさを痛感する。

 気の利いた言葉の一つも思い浮かばないんだからな。

 とはいえ、下手な慰めは逆効果だろう。

 蘇生できるかどうかも遺体を回収してみなければ、分からないしな。

 いま俺に出来るのは――


「スカジ。〈狩人〉を集めてくれ」


 ギルドマスターの要請に応え、スタンピードに備えることだけだった。

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