第368話 生存者

「どうにか、撒くことが出来たようね……」


 ダンジョンの壁に背を預け、ほっと安堵の息を吐く雫。

 怪我こそ負っていないものの消耗が激しい様子が見て取れる。

 ミノタウロスの注意を引きながら、ダンジョンを疾走し続けたのだ。

 どこをどんな風に走ったのかも覚えていないくらいだった。

 しかし、どうにかミノタウロスの追跡を振り切ることは出来た。

 あとは静かに息を潜め、体力の回復を待って地上を目指すだけだ。


「みんな無事に逃げられたならいいけど……」


 そんな厳しい状況でも、雫の頭過るのは仲間の無事だった。

 自分でも無茶なことをしたと言う自覚はある。

 逃げ切れたのは運が良かっただけで、命を落としていた可能性の方が高い。

 それでも、あの場では自分が囮になるのが一番生存確率が高いと判断したのだ。

 探索者にとって最も重要なのは、危機的状況における判断能力だ。

 パーティーの生存を高めるために雫の取った行動は、探索者として間違いとは言えない。

 ただ――


「帰ったら、お姉様にこってりと絞られそうね……」


 きっと姉には呆れた表情で叱られるのだろうと雫は思う。

 雫が探索者学校に入ったのは、身を隠すためのカモフラージュに過ぎなかった。

 雫の姉――夜見が天谷の当主になることに反対する一派が、雫を担ぎ上げようとする動きがあったからだ。

 そう言った面倒事から雫の身を守るために、夜見が潜伏先として選んだのが探索者学校だったと言う訳だ。

 そのため、夜見も本気で雫が探索者を目指すとは思ってもいなかったのだろう。

 雫がランクを上げる度に一喜一憂しながらも、どこか複雑な表情を覗かせていた姉の姿が頭を過る。反対こそされなかったものの姉に心配をかけているという自覚は、雫にもあった。

 それでも雫は探索者になる道を選んだ。姉のようになりたかったからだ。


「会長?」


 暗がりから誰かに声をかけられ、まさかと言った表情を見せる雫。

 ダンジョンの中層。それも、こんな奥深いところに――


「やっぱり会長ですよね!? よかった。助けにきてくれたんですね!」


 まだ逃げ遅れている生徒がいるとは思ってもいなかったからだ。

 薄汚れたローブの隙間から、緑を基調とした制服が覗き見える。

 それに生徒会のメンバーではないが、見覚えのある顔だった。

 探索者学校の女生徒で間違いないと、雫は判断する。


「……あなた一人? 他に逃げ遅れた生徒は?」


 自分も厳しい状況に違いはないが、不安にさせまいと落ち着いて状況を尋ねる雫。

 他にも逃げ遅れた生徒がいるのであれば、見過ごすことは出来ない。

 姉のように人を助けられる探索者になりたい。

 それが、雫が探索者になると心に決めた理由だからだ。


「もう一人います。でも……」


 悲痛な表情で、岩陰に視線をやる女生徒。

 嫌な予感を覚えながらも、雫が岩陰を覗き見ると――


「これは……」


 そこには息絶えた男子生徒の姿があった。

 全身傷だらけで、魔鋼の胸当てだと思うが装備品も使い物にならないくらい傷ついている。

 男子生徒の傍らには、彼の使っていたものと思しき剣が転がっていた。


「突然、ミノタウロスが現れて、それで……逃げるのに足手纏いだからと置いて行かれたんです……。でも、彼が助けてくれて……」


 ミノタウロスから逃げるための囮にされたのだと知り、憤りを覚える雫。

 しかし、ダンジョンではありふれたことだ。

 仲間を見捨てて、時には囮にして逃げる探索者も少なくない。ダンジョン内でなにが起きたのかなど知りようがないし、他人の命よりも我が身が可愛いのは誰もが同じだからだ。


「必死に逃げて、逃げた先でトラップに引っ掛かって……」 

「なるほど……それで、こんな中層の奥深くに……」


 転移系のトラップに引っ掛かったのだと雫は察する。

 運が良かったと言えるのかは微妙なところだが、こうして彼女は生きている。

 ミノタウロスに殺されなかったのは、不幸中の幸いと言えるだろう。


「それで救援を待とうと言うことになって、彼と二人で安全な場所を探していたんですが……今度は別のモンスターに襲われて……」


 男子生徒は自分を庇って重傷を負ったのだと、涙ながらに女生徒は説明する。

 どうにかここまで逃げてきたが、傷が深くて〈回復魔法〉も効果がなく息を引き取ったと言う話を聞き、雫は悲痛な表情を覗かせる。 

 回復魔法と言うことは、彼女はヒーラーなのだろう。治癒系のスキル持ちは高価な回復薬を節約できるためパーティーでは重宝される存在だが、全体的に数が少なく探索者にならずとも引く手数多のために態々危険な仕事を選ぶ者は少ない。

 それに治癒系のスキル持ちは攻撃手段を持ち合わせていないことが多いので、自分の身を自分で守ることが難しいのだ。だから危険な状況に陥ると、真っ先に切り捨てられることが多い。

 探索者にとって死とは身近なものだ。

 探索者学校が出来てから探索者の死亡率は下がっていると言われているが、それでもダンジョンで命を落とす探索者は後を絶たない。現役のまま引退できる探索者は全体の半数もいないだろう。

 そして、


「あなたの勇気を讃えます」


 臆病な者ほど生き残り、勇敢な者ほど早死にする。

 それが探索者の常識でもあった。

 しかし、雫は男性生徒の勇気を讃える。彼のしたことは、誰にでも出来ることではないからだ。

 命の危険が迫った状況ほど、人間の本性は顕わになる。

 命惜しさに我先にと逃げる者が大半で、他人のために命を懸けられる人間は少ない。どのような理由があるにせよ、中層に挑んだことは無謀としか言えないが、彼女を守るために命を落とした彼の勇敢さは讃えるべきだと雫は思ったのだ。


「でも、ごめんなさい。あなたを連れて帰ってあげることは出来そうにない……」


 出来ることなら彼も地上に連れて帰ってあげたいが、その余裕は今の雫にはなかった。

 だから――


「あなたの意志は私が継ぎます」


 手を合わせると遺体から持ち物を確認して探索者証明書ギルドカードと生徒手帳を回収する。


「これは、あなたが持っていなさい」


 そして、その二つを女生徒に手渡す雫。

 これは彼に命を救われた彼女が果たすべき役割だと考えたからだ。それに彼の意志を継ぐと決めたからには、彼女を地上まで連れて帰る義務が自分にはあると雫は考えていた。

 そのためにも、彼女が持っておいた方がいいと思ったのだろう。

 最悪の状況も考えられるからだ。


「出来ることなら、すぐにでも地上に連れて帰ってあげたいけど……私もあのミノタウロスから逃げてきたのよね……」

「会長でも……敵わなかったのですか?」

「でも、安心して頂戴。少し休めば、あなたを地上に送り届けるくらい――」


 なにかに気付き、女生徒を押し倒すように岩陰に身を潜める雫。

 突然のことに戸惑い、声を上げようとする女生徒の口を雫は手で塞ぐ。


「静かに」


 接近する気配を感じ取ったからだ。

 この強大な魔力と荒々しい気配……見間違えるはずがない。


「本当にしつこいわね……」


 雫は岩陰に身を潜めながら、黒いミノタウロスの姿を確認するのだった。



  ◆



「モンスターが襲って来ないのは楽でいいけど、これって……」

「うん、ミノタウロスが暴れた跡だと思う」


 明日葉の疑問に対して、荒れ果てた周囲の状況を確認しながら夕陽は答える。

 ミノタウロスの仕業だと断定したのは、魔力の残滓がダンジョンの奥へと続いたからだ。


「かなりの大物みたいだね。下層のモンスターに匹敵するかもしれない」

「ここまで来ておいてなんだけど、それ……アタシたちでどうにかなる?」

「無理なら最初から反対してたよ。逃げるだけならはあるしね。それに――」


 明日葉の問いに答えながら、チラリと朱理に視線をやる夕陽。


「朱理の攻撃なら下層のモンスターにも通用するはずだよ。たぶん、いまの朱理ならレッドオーガにもダメージを与えられるんじゃないかな?」

「……それ、深層のモンスターよね?」


 オーガの上位種。深層にしか存在しないモンスターを引き合いにだされ、どう反応して良いのか分からないと言った表情を見せる朱理。

 少しは成長している実感はあるが、訓練をはじめてまだ一ヶ月と経っていない。

 そこまで強くなっている自覚はないのだろう。

 しかし、身に付けている装備や個々の能力を考えれば、この三人なら対応が可能だと夕陽は考えていた。


「夕陽……その言い方だと、見たことがあるの?」

「あ、うん……レミルちゃんに連れられて、何度か……」

「……非常識なのは分かってたけど、想像以上ね」

「おかしいのはレミルちゃんで、私は普通だよ? レッドオーガが相手だと、逃げるくらいしか出来ないし。お姉ちゃんは倒せるみたいだけど……」


 深層のモンスターから逃げられる時点で普通じゃないと、思わずツッコミを入れそうになる朱理。夕陽がどこかズレているのは分かっていたが、ここまでとは思っていなかったのだろう。

 そんな彼女たちの近くで、両手で耳を塞いでいる斉藤の姿があった。


(俺はなにも聞いてない! 聞いてないぞ!)


 明らかに自分が聞いていい話ではないと察したからだ。

 レミルの友人と言う時点で察するべきだったが、やはり彼女たちも普通ではないのだと悟る。そもそも〈楽園の主〉との模擬戦の時点で、夕陽と明日葉のランクに疑問を持っていたのだ。

 二人の実力は明らかにランクを逸脱している。特に夕陽に関しては、実力の底がまったく見えない。得体の知れなさで言えばレミル以上だと、斉藤の直感が訴えていた。


「とにかく先を急ぎましょう。幾ら天谷先輩でも、下層クラスのモンスターを相手に一人では危険よ」


 朱理の言葉に頷き、再びダンジョンの奥へと足を進める夕陽と明日葉。

 そんな彼女たちの後ろを、斉藤は重い足取りで追いかけるのだった。

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