第367話 緊急要請

 ダンジョン内に響く轟音。

 理性を失った獣のように暴れ狂うミノタウロスから、逃げるように立ち回る雫たちの姿があった。


「くそ! しつこい野郎だ!」

「見逃してくれる気はなさそうだな……」


 時間稼ぎに徹しているからとはいえ、既に一時間近くが経とうとしている。

 いまはどうにか逃げることが出来ているが、体力は限界に近い。

 このままでは、ミノタウロスに追いつかれるのも時間の問題だろう。

 それだけに大石と剛志の表情にも焦りが見える。

 その上、


「山田くん、顔色が悪いけど大丈夫そう?」

「正直に言うと限界が近いです……」


 魔力も尽きかけていた。特に山田の消耗が激しい。

 ミノタウロスの動きを鈍らせるために、山田は重力魔法を放ち続けていた。

 そのことから、体力だけでなく魔力も限界に近いことが察せられる。

 このまま全員で逃げきるのは難しいだろう。

 そう判断した雫は――


「……大石くん。山田くんを抱えて逃げられそう?」

「まあ、そのくらいの体力なら残っているが……」

「なら、お願い。副会長は大石くんのサポートを。できるだけモンスターがいないルートへ誘導してあげて頂戴」


 大石に山田を抱えて逃げるようにと指示し、剛志に後のことを託す。

 全員が助かる道は、これしか思い浮かばなかったからだ。


「会長、まさか――」

「地上で会いましょう」


 剛志が止めようとするも踵を返し、ミノタウロスの元へと走る雫。

 力を振り絞り、折れた刀を手に〈疾風迅雷〉を発動する。


「裂空」


 まさに雷の如き速さで、ミノタウロスを切り刻む雫。

 最後の斬撃を放つと共に向きを変え、仲間とは別の方向へと走り出す。


「あなたの獲物・・はこっちよ。ついてきなさい」


 怒りの方向を上げ、雫を追いかけるミノタウロス。

 そして雫は、ミノタウロスと共にダンジョンの奥へと姿を消すのだった。



  ◆



 中層に向けて疾走する一団のなかに探索者学校の教師、斉藤さいとう修武おさむの姿があった。

 先頭を走るのは、生徒会パーティーのレンジャー広瀬だ。

 そして、その後ろに続く朱理、明日葉、夕陽の姿も確認できる。

 

(ああ、もう本当に今日は厄日だ!)


 心の中で愚痴を溢す斉藤。

 いまのこの状況は斉藤にとって、まったく予期せぬ出来事だった。

 地上では今頃、大騒ぎになっていることだろう。探索者学校の生徒が命からがら中層から逃げて来たと言うだけでなく、特殊個体イレギュラーの発生が確認されたからだ。

 イレギュラーとは、その階層では現れるはずのない強力なモンスターのことだ。

 放って置くと犠牲者が増えることから、イレギュラーが発生すると安全が確認できるまでダンジョンは一時的に封鎖される。その後は調査を兼ねた討伐パーティーが結成され、高ランクの探索者が対処する流れとなっていた。

 なので、本来はギルドに任せるべき案件なのだが――

 そうも言っていられない切迫した状況があった。

 まだ取り残された生徒が中層にいると、広瀬から聞かされたからだ。


「中層のゲートが見えてきました!」


 それでも、本来であればギルドの救援を待つべきなのだろう。

 教師たちも最初はそう言って、広瀬を説得しようとしたのだ。

 斉藤もどちらかと言えば、他の教師たちと同じ考えだった。

 しかし、


「斉藤先生、ありがとうございました」

「……気にするな。教師として生徒を見殺しには出来なかっただけだ」


 その場に朱理たちがいたことが、斉藤の不幸の始まりだった。

 ギルドの救援を待つべきだと主張する教師たちに対して、それでは間に合わないと朱理が反論したのだ。

 実際、緊急依頼がだされ、討伐隊が結成されるまでに早くとも半日は掛かる。ギルドの救援を待っていては、中層に取り残された生徒たちは助からないだろう。

 朱理と教師たちの意見が対立する中、最終的な判断を求められたのが斉藤だったと言う訳だ。Bランクの斉藤なら、朱理を上手く説得してくれると教師たちは思っていたのだろう。

 しかし、


「斉藤先生なら、真っ先に反対すると思ってたから意外かな」 

「失礼だよ。明日葉」

「夕陽だって、エリート意識が高いから斉藤先生のこと苦手って言ってたじゃない」

「う……それは……と言うか、エリート意識が高いって言ったのは明日葉だよね? 私そこまでのことは言ってないよ?」

「そうだっけ?」


 斉藤は自分が同行するからと、反対する教師たちを説得したのだ。 

 それもそのはずで、いまの斉藤の立場は楽園のでしかないからだ。

 自分に求められている役割とは、朱理たちの障害を取り除くことだと斉藤は理解していた。正しくは成長の妨げになるものから子供たちを守るようにと、ロスヴァイセに命じられたのだ。

 そうすれば、これまでのことは目を瞑って・・・・・やると――

 断ればどうなるかなど、想像に難くない。だから斉藤に選択肢はなかった。

 そして今回の場合、子供たちの邪魔をしているのは、成長の妨げとなっているのは教師たちだと察することが出来る。だから斉藤は危険を承知で、朱理たちの味方をしたと言う訳だ。

 楽園のメイドに逆らうくらいなら、まだイレギュラーの方がマシだと判断したからでもあった。


「あれは――副会長!」


 中層へと続くゲートを抜けたところで、声を上げる広瀬。

 ゆっくりとゲートに向かって歩いてくる仲間の姿を見つけたからだ。


「よかった。お前たち、無事だったんだな」 


 保護対象の無事を確認して、ほっと安堵の息を吐く斉藤。

 最悪、既に全滅している可能性も考慮していたため、安堵したのだろう。

 しかし、


「……会長は?」


 会長の――雫の姿がないことに気付く広瀬。

 山田を背負う大石はそっと目を逸らし、剛志は悲痛な表情で――


「会長は……ダンジョンの奥に……まだミノタウロスと戦っている」


 広瀬の質問に答える。

 思いも寄らなかった答えに目を瞠る広瀬。そして、


「あなたたち、会長を見捨てて逃げてきたの!?」


 剛志の胸倉を掴み、怒りを顕わにする。

 まさか、三人が雫を見捨てて逃げてきたとは思ってもいなかったからだ。


「違うんだ。副会長は悪くない……俺たちを逃がすために会長は囮になって……」


 そんな広瀬の誤解を解こうと、必死に弁明する大石。

 彼にとっても雫を囮にして逃げるのは、苦渋の決断だったのだろう。

 しかし、あのままミノタウロスから逃げていれば、間違いなく全滅していた。

 魔力の尽きた山田などは、真っ先に犠牲になっていただろう。


「そんなのって……」


 大石の話を聞いても、納得の行かない様子を見せる広瀬。

 いや、頭では理解しているのだろう。その場にいなかった自分に彼等のことを責める権利がないと言うことも分かっていた。

 それでも、頭で理解することと納得が行くかは別の話だ。


「大石先輩。生徒会長と別れた場所を教えてもらえますか?」

「あ、ああ。ここから先に少し進んだところに開けた場所がある。そこで――」


 大石から雫と別れた場所を聞く夕陽。

 大石の話を聞き、雫の向かった方角に大凡の見当を付けると、なにかを探るように意識を集中する。

 そして――


「夕陽、場所は分かりそう?」

「うん。ミノタウロスの魔力を追えば、どうにかなりそうかな」


 明日葉の問いに、大丈夫だと夕陽は答える。

 魔力探知でミノタウロスの魔力を探ったのだろう。三人のなかで、最も魔力探知に長けているのは夕陽だからだ。

 本来、モンスターの索敵はレンジャーの仕事なので明日葉の仕事を奪っているとも言えるのだが、彼女たちの場合は従来のパーティーにおけるポジションの考えは当て嵌まらない。

 生徒会のように五人ではなく三人でパーティを組んでいるのは秘密を守るためと言うのも理由にあるが、三人で役割が足りているからだ。


「広瀬先輩は副会長たちを地上まで送ってあげてください」

「え……でも……」

「私たちなら大丈夫です。斉藤先生・・・・が一緒ですから」


 斉藤を引き合いにだすことで、広瀬を安心させる夕陽。

 後輩の自分たちが前にでるよりも、斉藤を立てた方が納得を得やすいと考えたのだろう。

 戸惑う様子を見せるも、いまの自分たちでは足手纏いにしかならないと判断し、

 

「会長のこと、よろしくお願いします」


 広瀬は頭を下げ、あとのことを夕陽たちに託すのだった。

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