第369話 限界突破

「これは……」

「いざと言う時のために取っておいた結界の魔導具よ」


 もしもの時のためにと、姉から渡されていた魔導具を女生徒に渡す雫。

 光の結界を発生させる古代遺物アーティファクトだ。古代遺物アーティファクトのなかでは比較的オーソドックスなもので、それなりの数が発見されているものでもあった。

 主に遠征に用いられる魔導具で、モンスターを寄せ付けない効果がある。ミノタウロスのように強力な個体には効果が薄いため確実とは言えないが、結界の中に籠もっていれば半日程度は息を潜めていられるはずだ。

 運が良ければ、救援が来るまで凌ぐ程度のことは出来るだろう。


「会長は、どうされるのですか?」

「ミノタウロスの注意を引くわ。並のモンスターは結界のなかに入って来られないけど、恐らくアイツには効果がない。だから、誰かが注意を引く必要がある」


 そして、それが出来るのは自分だけだと話す雫。

 本音を言えば厳しい状況だが、それでも自身に満ちた表情を見せる。


「大丈夫よ。私は最強・・の生徒会長だから、あんな奴に殺されたりしない」


 だから迎えが来るまで、ここで待っているようにと女生徒を安心させる。

 そして、


「この剣を借りるわね」 


 男子生徒の傍らに落ちた剣を手に取り、再びミノタウロスに挑むのだった。



  ◆



「はああ――ッ!」


 使い慣れた刀ではなく不慣れな剣であるにも関わらず、ミノタウロスを相手に一歩も退くことなく互角に立ち回る雫の姿があった。

 いや、互角に見えているだけで、雫の方には余裕がなかった。

 折れた刀と同様、魔鋼の武器ではミノタウロスにダメージを与えるのは難しいからだ。

 それに――


「――流水!」


 体力も限界に近付いていた。

 少しは休んで回復したとは言っても、魔力の方も限界に近い。

 動きに繊細さを欠き、余裕で回避できていた攻撃も徐々に凌ぐのが精一杯の状況に追い込まれていく。

 しかし、


(もっと引き離さないと……)


 まだ倒れる訳には行かなかった。

 ミノタウロスを引き離さなければ、次はあの女生徒が狙われるかもしれない。

 せめて彼女だけでも守らないと、その一心で剣を振るう。


「あああああああああッ!」


 気力を振り絞り、限界を超えて、魂で剣を振るう雫。

 その気迫に、ミノタウロスも圧倒されるかのような反応を見せる。

 モンスターに感情はない。言葉を交わすことは出来ず、知性の欠片もない。

 人間を見れば見境なく襲ってくる。モンスターにあるのは殺戮と闘争本能のみだ。

 だから、ただの見間違いなのだろう。 


「奥義――」


 それでも、雫の剣はミノタウロスに届いていた。

 

「雷鳴一閃」


 本来は刀で行う抜刀術を、抜き身の剣で放つ雫。

 雷を纏うことで超音速での戦闘を可能にする〈疾風迅雷〉だが、その能力が持つ本来の効果は〈加速〉にある。〈雷鳴一閃〉は鞘を発射台に見立て、抜刀を加速・・することで電磁砲レールガンのような一撃を放つ技だ。

 だが、必ずしも鞘が必要な訳ではない。理論上は振り下ろす剣を加速させることも可能だ。

 しかし、この能力は制御が難しい。雫が剣術にスキルを応用しているのは使い慣れた得物と技でなければ、攻撃を命中させることが難しいからだ。


「――――ッ!」


 本来は使い慣れた刀でなければ制御の難しい技を、雫は完全に使いこなしていた。

 生死を分けた極限状態の戦いが、彼女を一つ上の領域ステージへと成長させたのだろう。

 剣が折れると同時にミノタウロスの巨大な身体が宙を舞い、弾け飛ぶ。

 しかし、


(さすがに……限界みたいね……)


 それも限界。もう気力も保ちそうになかった。

 言葉を口にする体力どころか、剣の柄を握る指先の感覚すらない。


(お姉様、ごめんなさい……)


 ミノタウロスの怒りの咆吼が響く中、雫は覚悟を決める。

 一歩も身体を動かせない。もう逃げることも叶わないだろう。

 ドシドシと大地を踏みしめるミノタウロスの足音が聞こえる中、雫の脳裏に姉の姿が過った、その時だった。


「――雷光」


 一筋の光が戦いに割って入り、ミノタウロスを弾き飛ばしたのは――



  ◆



 光の正体はメイドだった。

 状況が分からず呆然とする雫の目に、メイド服に身を包んだ少女の姿が映る。

 ツーサイドアップにまとめられた赤毛の髪。鷹のように鋭い双眸。

 右手には、雷がそのままカタチをなしたような剣が握られていた。

 

「夕陽、会長を見てあげてくれる?」

「うん」


 メイドの正体は朱理だった。

 後から追いついてきた夕陽が雫の身体を支えながら、ゆっくりと回復薬を飲ませる。


「身体の疲労が抜けて……嘘、魔力まで回復してる?」


 傷が塞がるだけでなく、体力や魔力までも回復していることに雫は驚く。

 普通の回復薬は傷を治療するだけで、失われた体力まで元通りになることはない。魔力も当然、通常のポーションでは回復せず、マナポーションと呼ばれる専用の回復薬が必要だ。

 それが、すべて同時に回復する薬など聞いたことがなかった。

 それに、この回復力。

 自分の身になにが起きているのか分からず、呆然とする雫を見て、


「夕陽……あなた、なにを飲ませたのよ」

「えっと、霊薬エリクサー? かなり危ない状態みたいだったから」

「まったく、あなたは……」


 朱理は夕陽に尋ね、返ってきた答えに呆れる。

 二人の話について行けず、放心する雫。

 霊薬と言えば部位の欠損すら癒やし、死んでいなければどんな怪我も回復するという完全回復薬のことだ。オークションに出品されれば、一瓶で数億ドルの値がつくことも珍しくない古代遺物アーティファクト級の回復薬だった。

 確かに霊薬であれば、先程の回復力にも説明が付く。

 しかし、


「え、あの……まさか、本当に?」


 戸惑を隠せない様子を見せる雫。

 幾ら危険な状態だったからと言って、気軽に分け与えるような薬ではないからだ。


「天谷先輩。夕陽は〈トワイライト〉の関係者なので」


 朱理にそう言われて思わず納得しそうになるも、それでも納得が行かない様子を見せる雫。幾ら〈トワイライト〉の関係者だからと言っても、そんな貴重な薬を融通してもらえるとは思えなかったからだ。

 しかも、少しも躊躇うことなく他人に使うなんて信じがたい行為だった。


「いまは、そういうものだと理解してください」


 厳しい言い訳だと言うのは朱理も理解していた。

 秘密を守ってもらうためにも、あとで雫には事情を説明する必要があると考える。

 それに――


「斉藤先生。言わなくても分かってると思いますが……」

「大丈夫だ。ここで見たことは誰にも言わない……まだ死にたくはないしな」


 探索者学校の教師なら夕陽のことも少しは聞かされていると思うが、それでも念のため、釘を刺す朱理。これは斉藤の身を案じてのことでもあった。

 このことが噂になって〈楽園の主〉に迷惑を掛けるような事態になれば、間違いなく楽園のメイドが動く。そうなったら情報の出所を探られ、この場にいる全員に危険が及ぶ可能性があるからだ。


「なにか事情があるみたいね。私も誰にも言わないと誓うわ」

「そうして頂けると助かります。それと、これからここで見ることも出来れば、秘密にして頂けると助かります」


 そう話す朱理の視線の先には、ミノタウロスの姿があった。

 ダメージを負っている様子だが、既に朱理のつけた傷は回復を始めていた。

 加勢しようと折れた剣を手に立ち上がる雫だったが、


「大丈夫ですよ。朱理と明日葉なら――」


 必要ないと夕陽は、雫を制止する。

 夕陽がなにを言っているのか理解できず、困惑する雫。

 幾ら朱理がユニークスキルを持っていても、あの怪物を一人で相手するのは無理だと思ったのだろう。

 いや、


「アスハ?」


 夕陽は朱理だけでなく、もう一人の名を口にした。

 そう言えば、彼女たちのパーティーは三人だったはずだ。

 しかし、もう一人の姿が見当たらないことに雫は気付く。

 次の瞬間――


「え……」


 ありえない光景を雫は目にするのだった。

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