第365話 ミノタウロス
(まったく困ったものね……)
口にはださないものの心の中で嘆息する雫。
実はここ最近ずっと悩んでいることがあった。朱理のことだ。
朱理だけでなく夕陽にまで非難の矛先が向かっていることに、雫は責任の一端を感じていた。
しかし、やめさせたくても打つ手が無いと言うのが正直なところだ。
彼女たちを非難している三年生の多くは、Dランク以下の学生――ランクを上げられず、将来に不安を抱えている学生に多い。そんな彼等からすれば朱理の行動は恵まれた才能を鼻にかけ、勝手気ままにしているように見えるのだろう。
はっきりと言ってしまえば、羨ましいのだ。
だから下手に自分が介入すると、更に状況を悪化させる可能性が高いと雫は考えていた。
それに――
(東大寺くんも悪い人ではないのだけど……)
悩みはもう一つあった。副会長、東大寺剛志のことだ。
朱理の件では強引なところがあったが、根は悪い人物ではないと雫は分かっていた。どちらかと言えば後輩の面倒見が良く、教師からの信頼も厚い。真面目で誠実なタイプの人間だ。
しかし、今回はその真面目さと正義感が裏目にでたのだと雫は考えていた。
力を持つ者が周囲の期待に応え、責任を果たすのは当然のことだと彼は考えているからだ。
剛志は体格に優れている訳でも、特別秀でた才能を持っている訳でもないが、幼い頃から常人の何倍も努力を重ねてきた。それは彼には
東大寺仁。警察やギルドに協力し、街の治安活動に貢献しているAランクの探索者。
そんな従兄の姿を朱理に重ね合わせて、あんなことを言ったのだろう。
気持ちは分からないでもない。しかし、雫の考えは違った。
そう言った周囲の期待を一身に背負ってきた姉の姿を見ているからだ。
(今回の件で、どれだけ自分がお姉様に守られていたのかが分かるわね……)
姉が――夜見が周りの期待に応え、理想の後継者を演じ続けてきたのは、自分のためだと言うことに雫は気付いていた。
天谷の使命に囚われず、せめて妹だけでも自由に生きられるように――
それが、夜見の願いだったからだ。
だから朱理が友人とパーティーを組むと自分の誘いを断ってきた時、本音を言うと雫は嬉しかったのだ。朱理にも周りの声など気にしないで、自由に生きて欲しいと思っていたからだ。
なのに、その結果がこれだ。
上手く行かない歯痒さを感じると共に、姉の凄さを雫は実感していた。
「みんな、警戒して。複数の足音が近付いてくる」
広瀬に警戒を促され、武器を構える生徒会メンバー。
雫も考えを一旦保留にして、腰に提げた刀の柄に手を掛ける。
「た、助けてくれ!」
しばらくして、通路の陰から姿を見せたのは探索者学校の学生たちだった。
数は十人ほどいるだろうか?
命からがら逃げてきたと言った様子で、必至の形相が見て取れる。
「アイツ等、なんでこんなところに!」
大石が驚くのも無理はない。中層で活動するのに必要な適性はCランクとされている。一方で探索者学校の生徒の多くは、Dランク以下だ。
三年生でもCランクに達しているのは極一部で、学校全体でも二十人に満たない程度の数しかいない。生徒会のパーティーが中層での活動を認められているのは、それだけの実績があるからだ。
しかし、逃げているなかにCランクの学生の姿はない。
いずれもDランク以下の資格しか持たない学生ばかりだった。
「ミノタウロスだと!?」
大石に続いて、副会長――東大寺剛志の声が響く。
逃げ惑う学生たちの後ろに、牛の頭を持つ二足歩行の怪物――ミノタウロスの姿が確認できたからだ。
身長二メートル近い大石ですら見上げるような巨大な怪物だ。
本来は中層のこんな浅い場所に現れるモンスターではない。
それに――
「黒いミノタウロスなんて聞いたことがありませんよ!?」
山田の言うように黒いミノタウロスなんて、噂にも耳にしたことがなかった。
そのことから一つの可能性が頭に過る。
本来こんなところに現れるはずのないモンスター。
そして、見たこともない個体。そこから導かれる答えは――
「まさか、
絶望に満ちた声が、広瀬の口から漏れるのであった。
◆
「大石くんは盾でみんなを守って! 東大寺くんと広瀬さんは負傷者の救助を――」
「会長、待っ――」
剛志が制止する間もなく、目の前から雫の姿が消える。
次の瞬間――
「秘剣――」
ミノタウロスの懐に潜り込み、剣技を放つ雫の姿があった。
天谷には、千年に渡って継承される古流剣術が存在する。古流剣術の使い手と言えば〈勇者〉の二つ名を持つ
若干十七歳にして〈印可〉を与えられるほどの剣術の天才。
「
天谷流剣術の正統継承者――それが、天谷雫だ。
全身を切り刻まれ、巨大なミノタウロスの身体から血飛沫が舞う。
一瞬にして無数の斬撃を放ち、敵を切り刻む天谷流の技の一つだ。
並のモンスターであれば、この一撃で決着がつくが――
「――――ッ!」
雄叫びを上げながら巨大な斧を雫の頭上に目掛けて振り下ろすミノタウロス。
受け止めるのは無理だと判断した雫はミノタウロスの攻撃を紙一重で回避し、
「流水――
流れるような動きでカウンターを放つ。
今度は背中に強烈な一撃を受け、膝をつくミノタウロス。
ミノタウロスと言えば、中層で最強の一角に数えられるモンスターだ。
並の武器では攻撃が通らない鋼の肉体と、素手で岩をも砕くパワーが特徴だが、
「傷が回復――いえ、再生している?」
再生能力はないはずだった。
まるでトロールを彷彿とさせる回復力に雫は目を瞠る。
「会長、離れてください!」
ミノタウロスが膝をついた一瞬の隙を突き、山田が魔法を放つ。
彼のスキルは〈重力制御〉――風や水と言った自然現象を操るスキルと違って、魔力の消費が大きく制御の難しいスキルだ。
しかし、
「
その力を山田は上手く使いこなしていた。
ミノタウロスの周囲の空間に重力波を放ち、押し潰す。
グラビティは指定した空間内の重力を操作し、何十倍にも引き上げる魔法だ。
並のモンスターであれば、そのまま押し潰すだけの力がある。
なのに――
「嘘だろ……」
ミノタウロスは倒れることなく耐えていた。
膝をつきながらも魔法に抵抗し、立ち上がろうとするミノタウロスの姿に山田は驚愕する。
いま放った魔法が、彼が放てる全力の一撃だったからだ。
しかし、効果がない訳ではなかった。
ミノタウロスの動きが止まっている隙に――
「いまのうちにキミたちは逃げろ! 広瀬は先生のもとへ!」
「わかった! すぐに助けを呼んでくるから!」
上層には、二年生を引率している教師たちがいるはずだ。
誰かが時間を稼いでいる間に生徒たちを逃がし、助けを呼ぶしかない。そして最短で助けを呼ぶのであれば、レンジャーの広瀬を行かせるのが適任だと剛志は考えたのだろう。
それでも、分の悪い賭けだと思う。
ただのミノタウロスでも厄介なのに、相手は特殊個体だからだ。
「たくっ、とんだ厄日だ。イレギュラーに遭遇するなんてよ」
「原因は彼等だろう。大人数での探索はイレギュラーを引き寄せる」
「あれ、ただの噂じゃなかったのかよ……」
過去のデータから警戒を促されているだけで確証がある訳ではない。そのため、大谷も半信半疑ではあったのだろう。
しかし、実際にミノタウロスの特殊個体が目の前にいる以上、ただの噂話と切り捨てることは出来なかった。
「とにかく時間を稼ぐ。少しでも奴の注意を引くんだ」
救援がくれば、勝機はある。
時間稼ぎに徹すると言う剛志の案に頷くと――
「おい、牛頭! こっちを向きやがれ!」
大石はミノタウロスに向けて、
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