第358話 親子喧嘩

「ここは……」

「学校の保健室よ。まったく、なにしてるのよ」


 柏木が目を覚ますと、そこは探索者学校の保健室だった。

 声のした方を振り向くと、ベッドの脇には制服を着た明るい髪の少女が座っていた。

 久遠くおん明日葉あすは。夕陽の親友にして柏木のだ。


「明日葉……お前、どうして……」

「どうしてもなにも、アタシここの生徒だから」

「なに!? 聞いてないぞ、俺はそんな話――」

「言ってないからね。どうせ反対されるのが分かってるんだから言うはずないでしょ?」


 驚きと戸惑いを隠せない様子の柏木を見て、やれやれと溜め息を吐く明日葉。

 両親は離婚していて明日葉は母親に引き取られたため、現在は母方の姓を名乗っている。そのため、ここ数年はまともに連絡を取り合っていなかった。

 と言っても、探索者学校の件を黙っていたのは、こうなることが分かっていたからだ。


「ところで、アタシがなんで怒ってるか分かる?」

「はあ? なにを……」

「はあ……本当になにも分かってないんだね」


 まるで理解していない柏木に、心底呆れる明日葉。

 明日葉が実の父親に対して、怒っている理由は明確だった。


「全部、菊池さんから聞いたよ。レミルちゃんのことを調べてたそうじゃない?」

「レミル……? それは確か〈楽園の主〉の……」

「そう、アタシの友達。そして、アタシの親友の恩人なんだけど?」


 理解が追いつかず呆然とする柏木。

 しかし、徐々に頭が冴えてきたのか、娘の話を聞いて――


「なに! 友達!? なら丁度いい。俺に紹介――」

「する訳ないでしょ! このバカ親父!」

「ぐは――」


 レミルを紹介してくれと詰め寄る父親の頬を、明日葉は引っぱたく。

 本気で怒っていた。心の底から激怒していた。

 見たことのない娘の態度に、頬を叩かれた柏木も呆気に取られる。


「どうしてくれんのよ? アンタの所為で、レミルちゃんにも、夕陽にも、先生にも合わせる顔がないじゃない!」

「お前、なにを言って……」

「バカだとは思ってたけど、ここまでバカだったなんて。ママが愛想を尽かすのも当然よ」

「お前、父親に向かって……」

「父親? 家族をほったらかしで散々好き勝手やってきておいて今更、父親面をしないでくれる?」


 ぐうの音もでない言葉を浴びせられ、たじろぐ様子を見せる柏木。

 どうして離婚に至ったのか? 自分のなにが悪かったのかは、柏木本人も自覚はあるのだろう。

 記者として信念を持って仕事をしてきたつもりだったが、明日葉の言うように仕事を理由に何日も家を空けることは珍しくなかった。それでも、きっと家族は理解してくれているはずだと思っていたのだ。

 しかし、探索支援庁の取材を続ける中で嫌がらせを受けるようになり、遂には家族にまで矛先が向かうようになってしまった。その結果、妻からは離婚を迫られ、明日葉も母親の姓に名前を変えて、転校を余儀なくされたと言う訳だ。

 それでも明日葉は父親のことが嫌いになれなかっった。

 だから両親が離婚した後も会社まで父親の様子を覗きに行ったり、気に掛けていたと言うのに――


「こんな裏切りにあうなんて……ほんと最悪」

「お前たちには苦労をかけて、すまなかったとは思っている……。だが、俺は……」

「あ、そ。なら、二度とアタシたちに関わらないでくれる? 勿論、レミルちゃんのことも、コソコソと嗅ぎ回るような真似はやめて」

「それは――」

「大人の事情に子供を巻き込むことが、アンタの言う真実の追究なの? そんなものがアタシとママを捨てた理由なの? だとしたら、アタシはアンタを軽蔑する」


 明日葉の言葉が柏木の胸に突き刺さる。

 娘から、ここまでのことを言われるとは思ってもいなかったのだろう。


「よかったね。夕陽が優しいから回復薬ポーションを分けて貰えて。レミルちゃんが気にしてなかったから、ロスヴァイセ先生も今回は大目に見てくれた。本当にが良かったと思うよ」


 最悪、、命を落としていても不思議ではなかったと言うのが明日葉の考えだ。


「はい、これ」 

「ネットの記事? それが、どうし――」


 自分の携帯をかざし、明日葉はネットの記事を柏木に見せる。

 そこには、異文化交流を促進。〈楽園の主〉が公の場に――初の演説。

 そう言った内容が記されていた。

 このニュースが、いま日本だけでなく世界中を駆け巡っている。


「これが、やりたかったんでしょ? でも、残念だったね」


 政府に情報の公開を迫り、楽園を表舞台に引き摺り出す。

 記事に記されていることはすべて、柏木がやろうとしていたことだった。

 最初から先生は――〈楽園の主〉はすべてお見通しだったのだと明日葉は考える。

 都知事と柏木の思惑を察して、彼等が行動にでる前に自ら表舞台に立つことでレミルを守ろうとしたのだと――

 異文化交流の一環だと言ってしまえば、留学の件も話がつくからだ。

 それに強引な取材を続けて異文化交流の話が流れてしまえば、楽園との交流に期待を寄せる多くの人たちからテレビや新聞は叩かれることになる。

 それは国内だけの話ではない。世界中から日本のマスメディアへの非難が殺到することになるだろう。そうなったらスポンサーも手を引くことは目に見えていた。

 だから、マスコミも慎重に動かざるを得ない。これまでのような強引な取材は出来なくなるはずだ。

 ここまで考えて、〈楽園の主〉は先手を打ったのだと明日葉は考えていた。


さよなら・・・・。もう、二度とここに来ないで」


 そう言って呆然とする父親を残して、明日葉は保健室を後にするのだった。



  ◆



「なにしてるの? 二人とも……」


 廊下にでたところで身を隠すように窓の下に座り込んでいる夕陽と朱理を見つけて、明日葉は呆れた眼差しを二人に向ける。

 ここでなにをしていたのか、大凡の察しが付いたからだ。


「聞き耳を立てるつもりではなかったのだけど、廊下まで聞こえてきて……」

「明日葉の怒ってる声、はじめて聞いたかも」


 朱理と夕陽の弁明に呆れながらも、明日葉は苦笑を漏らす。

 怒っている訳ではない。むしろ、二人には心配をかけたと反省しているからだ。


「ごめんね、二人とも。あとでレミルちゃんにも謝らないと……」

「明日葉が気にすることじゃないと思うけど。レミルちゃんも気にしてないと思うよ?」

「夕陽の言うとおりね。身内の暴走は他人事じゃないから気持ちはよく分かるけど……」


 夕陽の言うとおりだと思うが、明日葉の気持ちも痛いほどよく分かる朱理。

 先日の〈迦具土〉の件が頭を過って、他人事とは思えなかったのだろう。

 そのため、


「本当によかったの? あれで」


 朱理はこれでよかったのかと明日葉に尋ねる。

 怒っていたことは事実だろうが、父親に向けた言葉がすべて明日葉の本心とは思えなかったからだ。

 本当にどうでもいいと思っているのなら、関わろうともしなかったはずだ。

 赤の他人だと言い張って、無視することも出来た。 

 しかしそうしなかったのは、まだ父親のことを気に掛けているからだと朱理は考えていた。


「あのくらい強く言わないと分からないから、あれでいいのよ」


 そう話す明日葉を見て、やっぱり気にしてるんじゃないと呆れる朱理。

 とはいえ、自分も他人のことをとやかく言える立場ではない。

 明日葉がそれでいいならと、朱理は納得した様子を見せるのだった。



  ◆



「さすがは我が主と言いたいところだけど、事前に説明が欲しかったよ」

「そんなこと言って、ノリノリだったじゃない」


 グリムゲルデに自業自得だと言い放つロスヴァイセ。

 あの記者会見の所為で、都知事に偽物であることがバレてしまったのだ。


「でも、記憶を封印しなくてよかったの?」


 だから、都知事の記憶を封印するべきではないかとグリムゲルデは提案したのだが、ロスヴァイセは――


「彼女には利用価値があるわ」


 敢えて記憶を消さなかった。

 その方が利用価値があると判断したからだ。

 それに――


「私の〈封印〉は完全ではないわ。魔力量で勝る相手には効果が薄いし、時間経過で封印の効果は弱まっていく。なによりなかったこと・・・・・・にしてしまえば、同じことを繰り返すかもしれないでしょ?」


 ロスヴァイセが椎名より与えられた魔導具は、厳密には魔力を封じるものではなく〈封印〉に特化した魔導具だ。そのため、その気になればスキルを使えなくしたり、特定の記憶を思い出せなくすると言った封印処置も可能だった。

 しかし、自分よりも魔力量の多い相手には効果を発揮できなかったり、時間の経過によって効果が弱まっていくと言った問題を抱えていた。そのため、記憶を封じるのではなく駒として利用することにしたのだろう。


「でも、廃人にしようとしてなかった?」


 ロスヴァイセの〈封印〉には、確かに欠陥がある。

 しかし、使い方によっては対象を廃人にすることも出来る強力な魔導具だ。

 グリムゲルデが止めに入らなければ、あの場にいた人間は一人残らずロスヴァイセに記憶だけでなく人格やありとあらゆるものを封じられて、物言わぬ人形と化していただろう。

 そのことからロスヴァイセの魔導具は〈ゴルゴンの瞳〉と呼ばれていた。


「ご主人様がお戻りになる前に、報告書をまとめておかないと」


 仕事を理由に逃げるロスヴァイセ。

 子供のことになると冷静さを欠く短所は、本人も自覚しているのだろう。

 そんなロスヴァイセの背を見送りながら、やれやれとグリムゲルデは肩をすくめるのであった。

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