第356話 後悔と誤算

『どう言うつもり? グリムゲルデ』


 念話越しだと言うのに伝わってくるロスヴァイセの苛立ちに、グリムゲルデは心の中で嘆息する。


『さすがにキミの目は誤魔化せないか』

『当然でしょ? どのような姿をしていようと、楽園のメイドわたしたちがご主人様を見間違えるはずがない。それよりも、その格好はどう言うつもり? 幾らあなたでも返答次第では、ただでは済まないわよ』


 ああ、そっちなんだとロスヴァイセが怒っている理由を察するグリムゲルデ。

 てっきり止めに入ったことに苛立っているのかと思っていたからだ。


『この格好のことなら、僕に怒るのは筋違いだよ。主から代役を頼まれたんだよ』

『ご主人様から――!』

『だから不本意だろうけど、僕のことを主だと思って接してくれないと困る。キミなら主の考えを察せられるだろう?』


 一瞬戸惑った様子を見せるも、すぐに理解するロスヴァイセ。


『やはり、ご主人様は表舞台に立つ決意を固められたのね』

『そう言うことだ。だから彼等を廃人・・にしてもらっては困るんだよ。目撃者がいなければ、主の威光を世に示すことが出来ないからね』


 楽園の情報が一般の人々にまで正しく伝わっているとは言えないのが実情だ。

 楽園の存在について懐疑的な声も上がっていて、楽園なんてものは存在せずアメリカが月のダンジョンを独占するために作りだした虚構の国だとする陰謀論も囁かれているほどだった。

 それは探索者にも言えることで、月面都市に招かれるほどの探索者ならともかく、ほとんどの探索者は噂話程度にしか楽園のことを知らない。だから、今回のようなことが起きる。

 都知事も元Bランクの探索者と言うことだが、楽園について正しい認識を持っていなかった。そのため、記者の情報に踊らされて愚かな行動にでてしまったと言う訳だ。

 各国の政府やギルドが楽園に関する情報を伏せているのが原因だが、楽園も積極的に自分たちの情報を発信してこなかったことに問題があると、グリムゲルデは考えていた。

 故に、正さなければならない。

 主の手を煩わせないためにも、正しい認識を人々に植え付ける必要がある。

 それが、主の理想を叶える計画の第一歩になるとグリムゲルデは信じていた。


「それで? この者たちは何者だ?」

「都市の代表と視察団です」

「代表?」


 グリムゲルデの視線に気付き、ビクリと身体を動かす風花。

 冷たい汗が頬を伝って床にこぼれ落ちる。


「たいした力は感じないが? この程度でおさが務まるのか?」

「この星の人間は脆弱ですから」


 風花は元Bランクの探索者だ。

 Bランクと言えば、高ランクの探索者に数えられる超一流の探索者だ。

 それだけに――


(まさか、こんな化け物だったなんて……)


 目を合わしただけで、絶望的な力の差を感じ取ってしまった。

 相手の力を見極められないようでは、ダンジョンでは生き残れない。

 強大なモンスターと対峙しているかのような力の差を、風花はグリムゲルデから感じ取っていた。

 下層のモンスターが可愛く思えるほどの魔力だ。

 なのに――


「ご主人様。少し力を抑えては頂けませんか? ただの人間では身体を動かすことは疎か、口を開くこともままなりません」

「人間は面倒だな。これでも随分と力を抑えているのだが……」


 まだ魔力を抑えた状態だと聞かされ、顔を青ざめる風花。

 皇帝が楽園に暗殺されたと言う噂を聞いているため、Sランクを超える力はあると思っていた。しかし、それでも想定が甘かったことを痛感させられる。

 いま感じている魔力でさえ、これまでに遭遇したどのモンスターよりも強大なのだ。それが力を抑えた状態なのだとすれば、〈楽園の主〉の力はSランクどころの話ではない。

 まさに――


(ありえない。神なんてものが実在するはずが……)


 頭に過った考えを振り払うように、風花は否定する。  

 楽園の主を神だと認めてしまえば、楽園に対する認識そのものを改める必要がでてくるからだ。

 しかし、


(まさか、政府はこのことを知っていて……)


 楽園の主の正体に気付いていたから、日本政府は情報を伏せていたのではないかと言う考えが風花の頭を過る。

 こんなことを公表すれば、世界の常識が覆るからだ。


「このくらいで十分だろう」


 部屋を支配していた圧から解放され、ほっと安堵の息を吐く記者たち。

 しかし、風花はそれどころではなかった。


(計画を変更せざるを得ない。早く、ここを立ち去らないと……)


 これ以上、深入りするのは危険だと察したからだ。

 いまになって記者の同行を許したことを後悔しているくらいだった。

 彼等がここで見聞きしたことを記事すれば、どのような事態を招くか容易に想像が付くからだ。いや、それどころか〈楽園の主〉の怒りを買えば、生きて帰れるかも怪しいと考える。


「あー。少し、よろしいですか?」


 だと言うのに、手を挙げて取材をしようとする記者を風花は睨み付ける。

 その記者とは、柏木だった。

 どうして平然と取材を続けられるのかが、風花には分からなかった。

 先程のやり取りで相手が常識の通用しない化け物だと分かったはずだからだ。

 なのに――


(魔力を感じ取ることが出来ないから、探索者じゃないから気付かないんだわ!?)


 違う。理解していないのだと、風花は気付く。

 他の記者たちも呆然としていて、自分たちの身になにが起きたのかを理解していない様子が見て取れる。魔力持たない一般人からすれば、普通の探索者も〈楽園の主〉も違いが分からないのだろう。

 そして、彼等はこう考えているはずだ。

 楽園の人間だと言っても、自分たちを傷つけることは出来ないはずだと――

 確かに、探索者が一般人に危害を加えることは厳しく制限されている。すべての探索者がルールを守っている訳ではないが、探索者が罪を犯すと厳しく罰せられると言うのが一般人の常識だ。

 しかし〈楽園の主〉は探索者でなければ、楽園はギルドにも加盟していない。


(早く彼等を止めないと、大変なことに――)


 柏木が手を上げたことで我先にと他の記者たちも手を挙げる。

 出遅れてなるものかと、


「毎朝新聞です! 訪日の目的をお聞かせ願えますか?」

「旭日テレビです。〈GMT〉について、一言コメントを――」


 楽園の主に質問を浴びせる記者たちを見て、顔を青ざめる風花。

 取材の邪魔をすることで、記者たちの不満の矛先が自分に向かう可能性はある。

 それでも止めなければ死人がでると考え、記者との間に風花が割って入ろうとした、その時だった。


「ロス姉! レミルも大会にでたいのです!」


 廊下の壁を吹き飛ばし、レミルが理事長室に飛び込んできたのは――



  ◆



「まったく……」 


 床に転がる人間たちを見て、嘆息するロスヴァイセ。

 柏木などは扉の下敷きになって、白眼を剥いて床に倒れていた。


「お嬢様。部屋に入る時は扉をノックするようにと、いつも注意していますよね?」 

「あ……」


 周囲を見渡し、自分のしでかしたことに気付くと、誤魔化すように視線を逸らすレミル。

 ドアをノックとか、そういう次元の話ではないが――


(な、なんなの。この子……)


 風花はそれどころではなかった。

 レミルを見た瞬間から、身体の震えが止まらないからだ。

 感じ取れる魔力は自分とそう変わらないはずなのに、強大なモンスターを前にしているかのような錯覚を覚える。

 そのことから――


(柏木の言っていた子供。〈楽園の主〉の娘が……)


 目の前の少女が〈楽園の主〉の娘なのだと、風花は確信する。

 不幸中の幸いは、いまの衝撃で視察団の多くが気を失ったことだ。

 柏木以外の記者たちも気を失っていたり、意識はあっても混乱している様子が見て取れる。

 とにかく一度出直して、計画を練り直す必要があると――


『速報です! これから政府の緊急記者会見が催されます!』


 風花が思考を巡らせていた、その時だった。

 どこからか見知らぬ女性の声が聞こえてきたのは――

 声の発信源は床に転がった〈魔導式補助端末マギアギア〉だった。先程の衝撃で記者の持っていた〈魔導式補助端末マギアギア〉のアプリが起動し、テレビ中継と繋がったのだろう。空間に投影された映像には、首相官邸の記者会見室が映し出されていた。

 壇上には総理大臣の姿が、そして――


『現れました! これまで公の場に一度も姿を見せることのなかった〈月の主〉が、遂に我々の目の前に――』

「あ、お父様なのです」


 グリムゲルデと同じ黒い外套を纏った人物が、テレビに映し出されるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る