第352話 対話と交渉

「それじゃあ、あとのことはよろしく頼む」

「僕にお任せください。しっかりと主の代役を務めて見せます!」


 随分と張り切っているが、大丈夫だよな?

 グリムゲルデの変装は完璧だし、まずバレる心配はないと思うのだが……。

 まあ、心配しても仕方がないか。

 ロスヴァイセもいることだし、たぶん大丈夫だろう。


「スカジ。〈空間転移〉を使うから近くに――」

「はい、主様」


 スカジに声をかけると〈技能の書スキルブック〉を取り出し〈空間転移〉を発動する。

 空間転移を成功させるコツは、転移先のイメージを明確に持つことだ。

 とはいえ、人間の記憶なんて曖昧なものなので完璧にイメージすることは難しい。だから場所の特徴をしっかりと捉えることが大事だ。

 そこに補足となる情報を付け加えることで精度を上げていく。俺の場合は、頭の中で地図を描くようにしている。そうすることで転移先の座標を可能な限り正確に割り出し、条件を絞る訳だ。

 あとは必要な魔力を込めて、発動してやれば――


「到着だ」


 目的地まで一瞬で転移可能と言う訳だ。簡単だろう?

 慣れは必要だと思うが、空間転移はそれほど扱いの難しいスキルではないしな。

 ネックとなるのは魔力量で、そこさえ解決してしまえば誰にでも扱えるスキルだと考えていた。


「――誰だ! ここがどこかを知って――」


 あれ? 建物の外に転移したつもりだったのだが、首相官邸の玄関ホールに転移してしまったみたいだ。偉そうなことを言っておいて、俺の〈空間転移〉も精度がまだまだ甘いな。

 転移の際に発せられる光で気付いたのだろう。警備員がゾロゾロと集まってきた。

 総理に会うから今日はいつもの黒い外套を着てきたのだが、逆効果だったらしい。

 侵入者に間違われたのだろう。


「主様の前で、頭が高いですよ?」


 見えない力で全身を押さえつけられ、警備員たちが一斉に平伏す。

 見えない力の正体は魔力だ。魔力を手足のように扱い、物体に干渉する技術。テレジアが得意とする戦闘技術だが、スカジくらい魔力操作の技術に長けていれば真似をするのは難しくない。実際、俺も出来るしな。

 とはいえ、


「そこまでだ、スカジ。解放してやれ」

「主様がそう仰るのであれば」


 やり過ぎだ。話し合いにきたのに喧嘩を売ってどうする。

 警備員は仕事をしようとしただけで、建物のなかに転移した俺が悪いしな。

 しかし、これどうしよ……。

 全員、気を失っているみたいだが、死んではいないよな?


「こ、これは……! ひぃ!」


 騒ぎを聞きつけて人が集まってきた。

 どうするんだよ、この騒ぎ……。

 倒れている警備員を見て、腰を抜かした人もいるんだが。


退け! 退くんだ! すぐに道を空けろ!」


 どう騒ぎを収拾したものかと悩んでいると、怒鳴り声が聞こえてきた。

 人垣を掻き分けながら、こちらに走って来る人影。

 見覚えのある顔だなと思っていると――


「はあはあ……ご、ご無沙汰しております。随分と早いお着きで……」


 総理だった。



  ◆



 ここは以前、総理と会談を行った首相官邸の会議室だ。

 しかし、部屋には重々しい空気が漂っていた。

 俺だけが席に座って総理や日本政府側の人間が全員立って頭を下げているって、どう言う状況なんだ。これ……。


「も、申し訳ない。非公式の会談であったため、情報がしっかりと伝わっていなかったようで……」


 行き違いがあったことを謝罪する総理。

 そこまで必死に謝ってもらわなくてもいいのだが、こっちも悪いしな。


「こちらも従者がやり過ぎてしまったしな。気にする必要はない。それよりも座ったらどうだ?」 


 着席を促すと顔を見合わせ、どこか観念した様子で席に座る総理。

 相変わらず苦労の絶えない人みたいで、表情からも疲れが垣間見える。

 ストレスの一端は、先程の騒動もあるのだろうが……。

 その騒ぎを起こした張本人は、何食わぬ顔で俺の後ろに立っていた。


「本日は招待に応じて頂き、感謝します」

「気にするな。そろそろ連絡が来る頃だと思っていた」

「それは……」

「どのみち挨拶・・には向かうつもりだったしな」


 アリーナの件がなかったとしても、挨拶には伺うつもりだった。

 急な話だったのに日本への訪問を快諾してくれた日本政府の対応には感謝しているが、またメイドたちが無理を言ったのではないかと心配していたからだ。


「これは手土産だ」


 総理に会ったら渡そうと思っていたお土産を〈黄金の蔵〉からだして床に置く。

 世界樹の酒が入った酒樽を三つだ。

 以前は一つだけ置いていったのだが、今回は迷惑料も含んでいるからな。

 正直これでも足りないくらいだと考えていた。


「き、貴重な物を感謝します」


 どうやら気に入ってくれたようだ。

 朱理の祖父さんも酒に目がなかったし、総理も酒好きなのだろう。

 これだけあれば、政府のみんなで分けても十分行き渡るはずだ。


「ギルドマスターから話は聞いている。話があるのだろう?」

「……では、率直にお伺いします。訪日の目的を教えては頂けないでしょうか?」


 え? そっち? アリーナの件を聞かれると思っていたのだが……。

 しかし、目的と言われてもな。レミルの様子を見に来たのと、探している漫画とアニメを入手するのが目的だった訳だが、もうそれは既に達成――ああ! レティシアから頼まれたリストのことを忘れてた。

 昨日は、いろいろとあったからな。そんな暇もなかったし……。


「ただの探し物だ」

「その探し物の内容を教えて頂く訳には……協力できるかもしれません」


 嬉しい申し出だが、さすがに気が引ける。

 焼きそばパンを買ってこいとか、そんなパシリみたいなことを総理にさせられない。

 とはいえ、折角の申し出を遠慮するのもな。

 なにか良い方法がないかと考えていると、


「なら、相談したいことがある」


 ふと名案が浮かぶのだった。



  ◆



「異文化交流か……どう考える?」


 一旦休憩を挟むことになり、総理は補佐官と共に別室で相談を行っていた。

 楽園の主から持ち掛けられた相談。それは異文化交流についてだった。

 手始めに日本の食文化について学びたいので、リストに記した料理を用意してくれないかと頼まれたのだ。


「そのままの意味と捉えたいところですが……」


 楽園の主がそれだけのために日本へやってきたとは思えない。

 別の目的があるはずだが、これ以上の深入りは危険だと考える。


「リストのものは揃いそうかね?」

「はい。特にこれと言って変わったものはないので……。ですが、料理の品目が多種に渡っていまして、もしかするとこれは……」

「なにか気付いたことがあるのなら、なんでもいい。言ってくれないか?」

「〈楽園の主〉が興味を持ったのは日本の食文化そのものではなく、この星の歴史そのものにあるのではないかと……」

「多種多様な料理を欲しているのは、その調査の一環だと?」

「はい。この国ほど、食の多様性に富んだ国はありませんから」


 補佐官の言葉に、確かにと納得した様子で頷く総理。 

 それに地球の歴史に関心を持っていると言うのは、考えられる話ではあった。

 敢えて探索者学校に滞在しているのも、そうした調査の一環である可能性が高いと考えられるからだ。


「やはり、楽園はこの世界の国ではないのかもしれんな……」

「総理。それは……」

「楽園の存在が確認されたのは、ダンジョンが出現した後だ。だとすれば、ダンジョンと共に現れたとする考えが正しいように思える」


 既にそうした議論は幾度となくされてきた。

 しかしアメリカが楽園に対して真相を確かめようとしないのは、様々なリスクを考慮してのことだと察しが付く。

 真実を明らかにすることが、正解とは限らないからだ。


「楽園は、遥かいにしえの時代から月は楽園の領土であると主張している。これが仮に真実であったとすれば、どう考える?」

「何千、いえ、何万年も昔から楽園は存在していたと言うことでしょうか? だとすれば、ダンジョンも……」

「アメリカもその可能性を考慮しているのだろう。だから、楽園に真実を問うのを躊躇っている。この世界の常識が覆る可能性があるからだ」


 遥か太古の時代になにかが起きて、楽園はダンジョンと共に姿を消した。

 そして、現代になってダンジョンと共に再び姿を現したのだとすれば、楽園の主張にも説明が付く。

 それに――


「私は〈楽園の主〉は太古の時代から存在している可能性を考えている」 


 それが、総理の考えだった。

 何万年も生きられる人間が存在するとは思えないが、それは〈楽園の主〉が人間であった場合の話だ。

 ダンジョンを創造したのが〈楽園の主〉なのだとすれば――

 楽園の主とは、本当に神と呼ばれる存在なのかもしれない。


「至急、リストにあるものを揃えてくれ」


 そんな存在と対等な交渉など出来るはずもない。

 しかし、交渉は難しくとも言葉が通じるのであれば対話は可能のはずだ。

 楽園とどう向き合っていくのか?

 この会談から見えてくるものが、この国の未来を左右すると総理は考え、


「とにかく対話を試みるしかない。〈楽園の主〉の正体がなんであれ、為すべきことに変わりはないのだから――」


 楽園の主との会談に臨むのだった。

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