第346話 友情と信頼

 日本には一汁三菜という言葉がある。

 日本人の主食であるご飯に、汁物とメインのおかず。副菜を二つ合わせた和食の基本構成だ。

 テーブルには、鮭の塩焼きに納豆。ほうれん草の和え物。大根の味噌汁に漬物までついた――これぞ、日本の朝食と言った定番料理が並んでいた。

 漬物も市販のものではなく、お祖母さんが漬けた自家製のものらしい。

 程よい酸味とコリコリとした食感がたまらない。ご飯の進む味だ。


「お口に合いましたか? 苦手なものがあれば遠慮なく仰ってください」

「いや、どれも美味い。毎日食べたいくらいだ」


 これは本心だ。楽園の料理の方が豪華なのは間違いない。

 しかし、どちらの料理を毎日食べたいかと言えば、俺はこっちを選ぶ。

 豪華な料理も毎日食べれば飽きるしな。

 メイドたちもメニューが被らないように工夫してくれているが、俺が求めているものとは微妙にズレているんだよな。


「先生、お祖母ちゃんを口説かないでください」

「ん? どう言う意味だ?」


 料理の味を褒めただけなのに、なぜか夕陽に注意された。解せない。

 しかし、


「お代わりなのです!」

「はいはい、いまよそいますね」


 レミルは本当によく食べるな。そして、遠慮というものを知らない。

 昨日も随分と料理が多いなと最初は思ったが、あれはレミルがたくさん食べることを計算に入れて用意してくれていたのだろう。

 毎週お世話になっていると考えると、やはりこのままと言う訳には……。

 かと言って、食費を渡そうとしても素直に受け取ってくれるとは思えないしな。

 そうだ。あれなら――


「夕陽」

「はい、先生。お代わりですか?」


 そうではないのだが空の茶碗を見て、ご飯をよそってもらうのだった。



  ◆



「着替えを貸してくれて助かったわ。さすがにあの格好のままは、ちょっとね……」

「御礼ならお姉ちゃんに言ってあげて。それ、お姉ちゃんの服だしね」


 朱理の胸と自分の胸を見比べながら、無表情でそう話す夕陽。

 本当は自分の服を朱理に貸そうと思ったのだが、サイズが合わなかったのだ。


「そう言えば、お姉さんは? 朝食の時もいなかったみたいだけど」

「朝早くから〈トワイライト〉の日本支社に行ってるよ」 

「企業所属の探索者も大変ね……」

 

 探索者は基本的に自営業扱いだが、企業所属の探索者は違う。

 ダンジョンで得た素材を優先して会社に納める代わりに、決まった年俸を得る仕組みだ。装備や消耗品なども会社の経費で用意してもらえ、安定した収入を得られることがメリットだが、探索者がやらないような仕事も任されることが多い。

 夕陽の姉、朝陽の場合で言えば、会社の広告塔としてメディアにも顔をだしているため、ダンジョンに潜っていない時の方が、どちらかと言えば忙しい日々を送っていた。

 GMTの開催が近いこともあって、なにかと忙しいのだろうと察しは付く。


「ところで、それなに?」

「先生から貰った魔物? モンスターの肉らしいよ」


 キッチンのまな板の上には、見たこともない巨大な肉が鎮座していた。

 新鮮で良い肉だと言うのは分かるが、なんの肉かが分からない。

 ただ一つ分かることは――


「……凄い魔力を感じるわね」

「うん、探索者でない人が食べたら大変なことになるね」


 薬も飲みすぎれば毒となるように、魔力も過剰に摂取すれば身体に変調を来すことがある。探索者であっても余りに長時間ダンジョンに居続けると調子を悪くしたり、回復薬の飲み過ぎで魔力酔いを起こすことがあるくらいなのだ。

 中国ではダンジョンのなかに探索者の街があると言う噂だが、他の国がそれを真似ないのは大半の探索者はダンジョンでの生活に耐えられないと分かっているからだ。

 一人前とされるCランクの探索者でも、ダンジョンのなかで過ごすのは一ヶ月ほどが限界。それ以上となると高ランクの探索者でなければ、ダンジョンに居続けることは出来ないだろう。

 魔力を持たない一般人が、こんな魔力の塊のような肉を口にすれば、どんな異常を身体に来すか分からない。しかし、探索者であれば――


「……まさか、食べるの?」 

「うん、私たち・・・の食事のメニューに組み込むつもり」

「私たちって言った? え?」

「最速でAランクを目指すんだよね? そのつもりで先生はこの肉をくれたんだと思うよ」


 それを言われると反論できず、納得するしかない朱理。

 そもそも最速でAランクを目指すと言いだしたのは、朱理だからだ。

 まさか、こんな得体の知れない肉を口にすることになるとは思ってもいなかったが、夕陽がなにを考えているのかは察しが付いた。


「なになに、お肉?」

「うん、先生から貰ったモンスターのお肉だよ」

「モンスターって倒したら消えるんじゃないの?」

「そう思ったけど、先生が言うなら間違いないだろうし……」


 感じ取れる魔力からも普通の肉でないことは間違いない。

 モンスターの肉だと言われれば、納得するほどの魔力を纏っていた。


「でも、モンスターの肉を食べるのはじめてだし、ちょっと楽しみかも。お昼はこれ料理するの?」

「……明日葉が本当に大物に見えてきたわ」


 好奇心に満ちた目を謎の肉に向ける明日葉を見て、本当に大物になるかもしれないと朱理は思うのだった。



  ◆



「改めて自分の目で確認すると、とんでもないね」

「いまでも夢であって欲しいと思っているくらいだもの。その反応は当然ね」


 秋葉原に建造中のアリーナの観客席に、夜見と真耶の姿があった。

 実は昨晩から不眠不休で、二人は今回の対応に当たっていた。

 ありとあらゆる可能性を考慮し、楽園からどんな要求を突きつけられても対応できるようにと案を練り、暁月と天谷のコネクションを最大限に活用して関係各所に根回しを行っていたのだ。


「それで、政府はなんて言ってきたんだい?」

「すべて、こちらに任せるそうです。対応をギルドに丸投げしようとした官僚たちは叱責を受け、総理は体調を崩して病院に行かれたとか」


 真耶の話を聞いて、良い気味だと笑う夜見。

 総理には同情する点もあるが、部下の手綱も握れないようでは先が思いやられる。

 総理の立場も理解できるが、固定観念を捨てなければ楽園の相手は務まらない。

 本当に大切なことなら自ら動くべきだ。これは日本の悪いところだと言えるだろう。

 アメリカが楽園とのファーストコンタクトに成功したのは、当時の大統領が探索者だったと言うのも理由にあるが、大統領を頂点としたトップダウンにあると夜見は考えていた。

 日本の総理大臣を学級委員長に例えるのであれば、アメリカの大統領はガキ大将と言ったところだ。

 周りの意見をまとめて調整するのが総理大臣の仕事だとすれば、アメリカの大統領は自分の考えを政策に反映しやすい立場にあると言っていい。これが、日本とアメリカの違い。どちらが優れていると言う話ではなく、アメリカのやり方が上手く噛み合ったと言うだけの話だと夜見は考えていた。

 とはいえ、いま楽園と対峙しているのはアメリカではない。日本だ。


「まあ、政府のことはいいさ。余計な口を挟んでこないのなら、むしろ助かるってもんだ」

「辛辣ですね。概ね同意しますが……」


 いまの日本政府では荷が重いと言うのは、真耶も同意見だった。

 無能とまでは言わないが、余りに楽園との相性が悪すぎるからだ。

 楽園は〈楽園の主〉がすべての決定を握っているため、即断即決が可能だ。一方で日本は総理にすべての決定権がある訳ではない。総理と言えど、議会を通さずに勝手な真似が出来ないのが日本の法制度だ。

 これまで日本がやってきたように言葉を濁し、待ってくれる相手であれば、それでもいいだろう。しかし、楽園に遠回しな外交は通用しない。怒りを買うのがオチだと、夜見と真耶は考えていた。


「お金で解決できるのであれば、それが一番なのですが……」

「払えるのかい? 日本の国家予算でも足りると思えないけどね」

「無理でしょうね。ですから、これを用意しました」


 そう言って、書類を取り出す真耶。それは土地や建物の権利書だった。


「アリーナを楽園に譲渡するってことかい?」

「それしか手がないかと……。このようなもの〈迦具土〉は勿論、政府でも管理できませんから」


 自分たちの手に負えないのであれば、手放すのが一番簡単な方法だ。

 この窮地を建物一つで脱せられるのであれば、むしろ安いとも言える。

 ただ問題は――


「楽園がこちらの条件を呑んでくれるのが前提の話になりますが……」 


 楽園の目的が分からないことだった。

 楽園が欲しているものが別にある場合、この交渉は上手くいかない可能性が高い。

 だからこそ、暁月だけでは難しいと考え、天谷に協力を求めたのだ。


「アタシに任せたら、この国を楽園に売り飛ばすかもしれないよ?」


 天谷みたいにね、とクツクツと笑いながら話す夜見に、真耶は呆れた様子で溜め息を漏らす。


「前提条件が違うでしょ? 天谷一つの犠牲で、この国を――妹の居場所を守ることが出来るのならと、あなたはそう考えたはずよ。だから天谷をあっさりと切り捨てた」


 夜見が天谷を切り捨てたのは、父親との確執だけが理由ではない。

 それが、この国と妹のために最善と判断したからだと、真耶は考えていた。

 女帝などと呼ばれ、横柄な態度が目に付く彼女だが、実際には友人のために涙を流せるほど情の厚い人物だと言うことを真耶はよく知っているからだ。


「アンタのそう言うところ、好きになれないんだよね」

「そう? 私はあなたのそういうところ好きよ」


 だからこそ、信頼できると――

 真耶は屈託のない笑みを、親友に向けるのだった。

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