第345話 天谷の姉妹
「え……今日は戻らない?」
「はい。ですので、また後日お越しください」
気は進まないが政府からの依頼と言うことで椎名の帰りを探索者学校で待っていたのだが、ロスヴァイセから「ご主人様はお戻りになりません」と聞かされて、複雑な表情で理事長室を後にする天谷夜見の姿があった。
「四時間も待たされた挙げ句、追い返されるなんて……」
校舎の廊下にカツカツと夜見の足音が響く。
足音から荒々しさを感じられるのは、それだけ苛立ちを募らせているのだろう。
しかし、相手は楽園だ。
しかも、頭を下げて頼みごとをする立場にある以上、文句は言えない。
「これもすべて、政府のクソッタレどもの所為だ!」
そのため、怒りはすべて政府へと向かう。
そもそもの原因は、政府に厄介事を押しつけられたことにあるからだ。
不満の一つも漏らしたくなるのは当然だった。
「そんなところで、どうかされたのですか?」
今日は土曜日だ。学校も休みだし、もう夜の七時を回っている。
この時間なら誰もいないと思っていたのだろう。
校舎のエントランスで夜見がストレスを発散していると、いないはずの生徒に声をかけられる。
見知った声に、もしかしてと夜見が振り返ると、
「シズク!」
夜見は歓喜の声を上げた。
「ああ、もう――丁度良いところで会ったわ。充電させて」
「お、お姉様!?」
夜見に抱きしめられ、頬を赤く染めて狼狽える黒髪の少女。
少女の名は、
と言っても後妻の娘で、血は半分しか繋がっていない。
歳も一回り離れていて、
「会長そんなところで、なにを――失礼しました」
「誤解だから! 待って、東大寺くん――」
探索者学校で生徒会長をしていた。
昨年の秋の選挙で圧倒的な支持を得て、生徒会長に就任した才女だ。
長く伸びた黒髪。上品な言葉遣いと、淑やかな佇まい。それだけでも人気の理由を窺えるが、探索者としての実力も学年一で学生の身でありながらBランクの資格を得ている本物の天才だった。
ユニークスキルなしでBランクの資格を得た学生は、ほとんどいない。
夜見の知る限りでは、探索者学校が創設されてから雫で
そう言う意味でも、特別な存在と言えるだろう。
「ギルドマスター。会長も困っていますし、校内でそう言った行為は控えて頂けると助かります」
「はいはい。相変わらず、あの筋肉バカの親類とは思えないくらいの優等生ね」
姉妹のスキンシップに割って入ってきた男子生徒を、半目で睨みつける夜見。
男子生徒の名は
怪力無双の二つ名で知られるAランク探索者、東大寺
と言っても二メートル近い身長のある仁と違って、剛志の身長は百八十センチほどしかない。大入道に例えられることもある仁がムキムキのマッチョなのに対して、どちらかと言えば剛志は細身な体型をしていた。
そのため、女生徒からの人気が高い。密かにファンクラブがあるほどだ。
「それより、こんな時間まで二人でなにしてたの? まさか、あなたたち……」
「お、お姉様! 東大寺くんとは、そういう関係では――」
顔を真っ赤にして反論する雫。勿論、夜見の言っていることは冗談だ。
本当に雫に手をだしていたら、剛志は生きていないだろう。
そのくらい夜見は妹を溺愛していた。
「本当に違いますから! 選抜トーナメントまで二ヶ月しかないので、その準備で遅くなっただけで――」
雫の話を聞き、そう言えばそんなものもあったなと思い出す夜見。
最近はそれどころではなかったため、すっかりと頭から抜け落ちていたのだろう。
「あなたたちも出場するの?」
「はい、見ていてください。必ず出場枠を勝ち取ってみせますから」
握り拳を胸の前で作りながら自信に満ちた表情で話す妹に、夜見は普段の姿からは想像もつかない優しい笑みを見せる。夜見にとって妹の雫は、たった一人の家族だった。
正確には多くの親族がいるし、両親も生きている。しかし、夜見が家族だと思っているのは雫だけだ。
雫以外の天谷の人間を身内だと思ったことは一度もなかった。
だから楽園と取り引きをした。妹のために天谷を――楽園に売ったのだ。
「頑張りなさい。立場上、応援はできないけどね」
特定の選手に肩入れすることは、ギルドの長として出来ない。
しかし夜見は姉として、密かに妹を応援するのだった。
◆
「……それで、どうしてアタシがアンタの車に乗ってるんだろうね?」
「それは校門で
白々しいと真耶の言葉を切り捨てる夜見。
こんなところで偶然、出会うはずもない。
校門で待ち伏せていた暁月の執事に、半ば強引に車に乗せられたのだ。
「逃げようと思えば逃げられましたよね?」
「……逃がす気があったのかい?」
「いえ、その場合はギルドまで押し掛けていたと思います」
真耶の言うように、逃げようと思えば逃げられた。
しかし、そうしなかったのは逃げても無駄だと悟ったからだ。
むしろ状況を悪化させる可能性が高いと考えて、夜見は黙って従った。
そして、そこまで計算に入れて、こんな真似をしているのが目の前の女だと、夜見は真耶の手口をよく知っていた。
学生時代からの旧い付き合いだからだ。
「懐かしいですね。あなたと詩音さん、それに私の三人でパーティーを組んでダンジョンに潜っていた頃のことを思い出します」
「いい加減、本題に入ったらどうだい? 昔話をするために、こんな真似をした訳じゃないんだろう?」
せっかちですね、と溜め息を漏らしながら真耶は一枚の写真を夜見に差し出す。
「こいつは……」
「秋葉原で撮られたものです。そのメイドに心当たりがありますよね?」
真耶が自分の前に姿を見せた理由を、一枚の写真から夜見は察する。
写真にうつっていたのは、楽園のメイド――スカジだったからだ。
「ここで待ち伏せてたってことは、もうとっくに調べがついているんだろう?」
「はい。〈楽園の主〉が探索者学校でしたことは概ね……」
もう少し時間を稼げると思っていただけに、さすがは暁月だと夜見は感心する。
「大切なお嬢様が関わっている以上、アンタがでてくることは想定済みだったけどね。でも、随分と早かったじゃないか」
「楽園のメイドがどうして〈
「……なにがあった?」
勿体振った真耶の話し方から、なにかあったのだと夜見は察する。
ロスヴァイセから〈楽園の主〉の不在を告げられた時点で、厄介事の予感はあったのだろう。
「明日、〈迦具土〉のビルに〈楽園の主〉がいらっしゃいます」
「は? なんで、そんなことに……」
「目的は分かりません。ですが、
「話が見えないね。対価ってことは、なにか贈り物でも貰ったのかい?」
夜見の問いに険しい表情で、別の写真を差し出す真耶。
それはアキバに建設中のアリーナを観客席から撮った写真だった。
「その会場に使われている素材は、すべてアダマンタイトだそうです」
「は……?」
一瞬、真耶がなにを言っているのか理解できなかったのだろう。
呆けたまま動かない夜見を見て、真耶はもう一度繰り返す。
「だからアダマンタイトです。壁も床も、光っている黒いものはすべて、アダマンタイトで出来ているそうです」
「いやいや、ありえないだろう!? アダマンタイトがどれだけ稀少なものか理解してんのかい!?」
「そのありえないことを為すのが〈楽園の主〉――世界中の
確かに真耶の言うとおりだった。
天谷に見切りを付けたからこそ、夜見は楽園につくことを決めたのだ。
もっとも、それだけが
「もっとも、十二年前のことを後悔しているのは、あなただけではありませんが――」
「それ以上、言ったらアンタでも許さないよ?」
「……失言でしたね。忘れてください」
口にでかけた言葉を撤回する真耶。
十二年前のことは、夜見だけでなく真耶にとっても忘れられない過去だった。
戒めとも言っていい。だから夜見は家を出て、自らのクランを設立した。
天谷を――いや、自分を許せなかったからだ。
「それで、アタシになにをさせる気だい?」
状況が切迫していることは分かった。
真耶が自分の力を――いや、正確には天谷の力を必要としていることが――
その上で、夜見は尋ねる。なにをして欲しいのか、と。
「この国のため、どうか力をお貸しください。天谷家四十七代当主、天谷夜見様」
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