第343話 暁月の鬼子

「朱理様、ご無事で安心しました。マイスターも安心なされると思います」

「無事もなにも……心配するようなことは、なにもないわよ?」

「はい?」


 やっぱり誤解してたと溜め息を漏らす朱理。

 椎名と真耶の会話を横で聞いていて、なにかがおかしいと思っていたのだ。


「私たち、先生に弟子入りしたのよ」

「え? 先生?」


 意味が分からず、尋ね返す真耶。

 朱理の言う先生と〈楽園の主〉が瞬時に結び付かなかったのだろう。

 だが、無理もない。あの〈楽園の主〉が弟子を取るなど、思いつくはずもないからだ。


「朱理様……その先生と言うのは〈黄昏の錬金術師〉様のことでしょうか?」

「ええ、そうよ。本当は黙っておきたかったのだけど、このままだと先生にも迷惑をかけそうだから、あなたたちには特別に話したのよ?」


 黒崎の質問に答え、「この意味が分かるわよね?」と釘を刺す朱理。

 これは三人で相談した結果でもあった。

 自分たちだけでは、いざという時に対処しきれない問題に直面するかもしれない。

 だから信用のできる大人を味方につけようと、事前に話し合っておいたのだ。

 そんな時、都合良くやってきたのが真耶であったと言う訳だ。


「では、拉致された訳でも人質になっている訳でも……」

「ある訳ないでしょ。むしろ、私の方から案内を買ってでたのよ。夕陽の家にお邪魔することになったのも、私から頼んだことだから先生は関係ないわ」


 そんなこととは知らず、肩の力が抜ける真耶。

 最悪の事態も想定していただけに、緊張の糸が切れたのだろう。

 生きて帰れない可能性も考慮していたからだ。


「でも、どうしてそのようなことに……」

「話をすると長くなるのだけど……」

「フフン、三人で力を合わせて先生に一撃いれたんだよね。それで実力を認めて貰えたって感じ?」

「明日葉は話がややこしくなるから黙っておいてくれる?」

「酷い!」


 自信に満ちた表情で話に割って入った明日葉を、問答無用で黙らせる朱理。

 この調子で明日葉に話をさせていたら、更に誤解を生みそうだと思ったのだろう。


「元々、私が二年くらい前から先生に錬金術を教わっていたんです。それで二人とパーティーを組むことになって、先生が魔法の基礎を教えてくれるという話に――」


 事の経緯を要約しながら、分かり易く端的に説明する夕陽。

 夕陽の説明を聞き、ようやく真耶と黒崎も納得した様子を見せる。

 夕陽の姉、八重坂朝陽の名前が頭を過ったからだ。

 トワイライトに所属する彼女であれば、〈楽園の主〉と知り合いでも不思議ではない。錬金術を教わることになった事の経緯は分からないが、そこから夕陽も〈楽園の主〉と縁を得たのだろうと――


「そう言うことでしたか。それで、朱理様たちはどうされるおつもりなのですか?」

「まずは力を付けるつもりよ。少なくともAランクは最速で目指すつもり。勿論、三人一緒にね」


 勿論、簡単なことではないと分かっているが、そのくらいのことが出来なければ〈楽園の主〉の弟子を名乗ることは出来ないと考えてのことだ。

 それに探索者は実力主義の世界だ。

 Sランクを例に見れば分かるように、強ければ大抵の無理は押し通せる。

 実力を示すためにも、最速でAランクを目指す必要があると考えたのだろう。


「実力をつけるまでの時間を稼いで欲しいと、そう言うことですか。私が〈暁月〉の人間と分かっていての相談と言うことですね?」

「ええ、真耶さんなら造作もないことでしょ?」


 可能か不可能かの話で言えば、出来なくはないと言うのが真耶の答えだった。

 東の天谷。西の暁月。この二つの家が千年以上にも渡って、この国の裏を担ってきた。政府でさえ無視できない存在である〈暁月〉にとって、朱理たちの望みを叶えるのは難しいことではない。

 それでも楽園に関する情報を伏せるのは、限界があると真耶は感じていた。

 この調子で騒ぎを起こされれば、幾ら〈暁月〉と言えど隠しきれないからだ。


「取り敢えず半年。時間を稼いでくれる?」

「半年ですか? まさか……」

「そのまさかよ。学期末の選抜トーナメントで優勝して、学生代表を掴み取ってみせるわ」


 二ヶ月後に控えた学生の代表を決める選抜トーナメント。

 そこで優勝したパーティーは、GMTの出場枠を手にすることが出来る。

 それが、朱理たちの最初の目標であった。



  ◆



「GMTの出場とは、大きくでられましたね」

「でも、そのくらいしなければ、最速でAランクの探索者を目指すことは叶わない。この国を代表するS級探索者、八重坂朝陽を超えると言うことなのだから……そうでしょ?」


 真耶の話に笑みを浮かべ、運転席でハンドルを握りながら相槌を打つ黒崎。

 朝陽のランクは公式にはAランクと言うことになっているが、スタンピードでの戦い振りからA級の枠を超えた実力があると認められ、準S級と言う通常の枠から外れた階級が与えられていた。

 ギルド内で別名『AAA』とも呼ばれているランク。限りなくSランクに近い者に与えられる非公開のランクだ。最もSランクに近い探索者と噂されていた人物――〈円卓〉の三席、ヴァレンチーナもその一人だと言われている。

 世界に僅か二十人ほどしかいない正真正銘の怪物たちだ。


「ねえ、どこまでが楽園の思惑だと思う?」


 楽園との交渉は上手くいったと言って良いだろう。

 いや、想定を遥かに上回る成果を得られたと言って良い。

 だが、それでも――


「……我々の動きさえも計算に入れていると考えた方がよろしいかと」


 素直に喜べなかった。

 手のひらで踊らされているような感覚が拭い去れないからだ。

 楽園の思惑どおりに自分たちは動かされているという直感が真耶にはあった。

 その証拠に――


「〈楽園の主〉は暁月家わたしたちのことを知っていた。それも随分と前から、こちらのことを把握していた可能性が高い」

「だとすれば、狙いは〈迦具土〉ではなく最初から真耶様だったのかもしれません」

「まんまと、私も釣られたと言う訳ね……」


 楽園の主は〈暁月〉のことを知っていた。

 それも表ではなく、暁月の裏の顔をだ。

 随分と前から調査を進めていたのが、そのことからも分かる。


「朱理様を通して私たちを利用しようとした。この考え方は尖りすぎかしら?」

「いえ、概ねあっているかと思います。朱理様のお話を伺い、ようやく合点が行きました。今回の楽園の行動の意味が――」

「それって……」

「自分たちに注目を集めることで、朱理様たちに累が及ばないようにと計画されたのでしょう。文字通り、あの行動には警告の意味があったのだと考えられます」

 

 黒崎の話を聞き、朱理は〈楽園の主〉の智謀に戦慄を覚える。

 どこまで先を見据えて計画を練っているのか?

 考えれば考えるほどに、すべてが〈楽園の主〉の手のひらの上の出来事なのではないかと思えてくる。


「恐ろしい智謀ね。まさに神算鬼謀の持ち主……」


 神に例えられるのも頷けると、朱理は息を呑む。

 いや、文字通り神なのかもしれないと、本気で考えていた。

 日本には現人神あらひとがみという考えがある。この世に人の姿で現れた神のことだ。

 真耶はSランクへと至ることが出来る人間と言うのは、その現人神のことではないかと考えていた。ユニークスキルとは神の力そのもので、神の依り代に選ばれた者こそがユニークスキルの覚醒者であるとする考えだ。


「まさに現人神あらひとがみね。まるで暁月に語り継がれている鬼子・・みたい」

「……椎名様ですか」

「そう言えば、あなたは会ったことがあるのよね?」

「はい。まさに麒麟児……いえ、そのような言葉すら生温い神の化身・・・・と呼べる御方でした。だからこそ、誰もがおそれた……」


 暁月の歴史に名を遺す鬼子。その話は、朱理も嫌と言うほど耳にしていた。

 僅か三つの幼子が暁月の秘術を紐解き、千年の歴史で途絶えた符術を現代に蘇らせたという逸話は、暁月に生を受けた者であれば誰も知るほど有名な話だからだ。

 黒崎の式神も、その鬼子が復活させた秘術を再現したものだった。

 だからこそ、黒崎には分かるのだろう。

 三歳の幼子が古文書を紐解き、平安時代の符術を再現して見せるなど、天才の一言では片付けられないほどの才能だと――

 そもそも、まだダンジョンがこの世界に現れる前の出来事だ。

 ダンジョンが現れる前から、鬼子は魔力に等しい力を使えていたと言うことになる。

 だから、畏れた。幼子に恐怖を覚え、暁月から遠ざけようとしたのだ。


「それだけ凄い力を持っていたなら、日本にもSランクが誕生していたかもしれなかったのに勿体ない話ね」

「はい。ですが……」

「どうかしたの?」

「いえ……忘れてください。ありえないことですから」


 口にしかけた言葉を呑み込み、黒崎は運転に集中する。

 あの鬼子がダンジョンに取り込まれた程度で死ぬなど考えられない。

 いまも生きているのではないかと、そんな考えが黒崎の頭を過ったからだ。


(ご当主様は椎名様が生きていると信じておられるようだが、それは決して……)


 ありえないことだと、黒崎は頭に過った考えを振り払うのだった。

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