第342話 イクリプス

「ここに朱理様が……」


 緊張した面持ちでタワーマンションを見上げながら、ゴクリと息を呑む真耶。

 黒崎の式神が為す術なくやられたことを考えると、敵対するのは論外。

 まずは交戦の意志がないことを示す必要があると考え、


「真耶様、なにを……」

「あなたも両手を挙げなさい。こちらに争う意思がないことを示す必要があります」


 真耶は白旗を揚げるかのように両手を挙げる。

 これ以外に楽園との交渉に持ち込む手段はないと考えたからだ。

 真耶の指示に従い、黒崎も両手を挙げる。

 楽園のメイドが相手では分が悪いと、彼も理解しているのだろう。


「さっきの躾がなっていない人間たちと比べれば、少しはマシなようね」


 目を瞠る真耶と黒崎。いつから、そこに立っていたのか?

 メイド服を着た銀髪の女性が突然、二人の前に姿を現したからだ。

 警戒を怠っていた訳ではない。なのに微塵も気配を感じ取ることが出来なかった。

 ……間違いない。目の前のメイドが黒崎の式神を消し去り、各国のエージェントを捕らえた楽園のメイドなのだと真耶は察する。


「突然の訪問をお許しください。私たちは〈迦具土〉のものです」

「迦具土? ああ、なるほど、そう言うことね」


 迦具土の名を聞き、納得した様子を見せるメイド――スカジ。

 真耶たちの目的を察したのだろう。とはいえ、対応の遅さには呆れていた。

 朱理は祖父からの連絡を待っていると言っていたが、そもそもスカジたち楽園のメイドからすれば、自分たちの主よりも優先する用事があると言う時点でありえないという考えだ。

 知らなかったという言い訳も通用しない。

 椎名の正体を知った時点で、なによりも優先して行動を取るべきだった。


「今頃になってのこのことやってくるなんて、この国は愚鈍な人間が多いみたいね」

「……申し開きもありません」


 理不尽なように思えるが、そう指摘されても仕方がないと真耶は反省の態度を見せる。

 アキバは〈迦具土〉のホームと呼べる街だ。本来であれば、各国のエージェントに嗅ぎつけられる前に〈迦具土〉が気付いて然るべきだった。それなら、ここまで事態が悪化することもなかっただろう。

 対応が後手に回ったのは、クランの体質に問題があると真耶は考えていた。坂元が勝手な行動を取らず真っ先にクランへ報告していれば、このようなことにはなっていなかったはずだからだ。


「本当なら追い返すところだけど、主様にはお考えがあるようだし……」


 追い返すことは簡単だが、それは椎名の意思に反するとスカジは考える。

 椎名がなにかを手に入れるために、アキバへ向かったことは分かっている。その手掛かりを朱理の祖父が握っている可能性がある以上、ここで勝手に追い返すような真似をすれば、椎名の邪魔をすることになる。

 そう考えたスカジは――


『主様。少々よろしいでしょうか?』


 判断を仰ぐため、椎名に念話を送るのだった。



  ◆



「真耶さん!?」


 スカジの連れてきた女性を見て、驚きの声を上げる朱理。朱理のお祖父さんの会社の人と言うことでスカジに連れてきてもらったのだが、やはり知り合いだったようだ。


「連絡を差し上げようとしたのですが、電話が繋がらずメールの返信もないようでしたので」

「そう言えば、携帯をなくしたこと言ってなかった……」


 ああ、なるほど。

 電話が繋がらないから、直接伝えに来てくれたと言う訳か。

 悪いことをしたな。


「拝謁の機会を賜り、ありがとうございます。〈迦具土〉の使いで参りました暁月真耶と申します」

「執事の黒崎です」


 そう言って膝をつき、深々と頭を下げる二人。

 後ろの男性、立ち姿が様になっていると思ったら、やっぱり執事だったのか。

 執事服を着ているしな。そうじゃないかと思ったんだ。

 現代の日本で執事を雇っているとか、やはり朱理は良いところのお嬢様なんだな。

 しかし、


「……暁月? それって、京都に大きな屋敷を構えている。あの暁月か?」

「はい。やはり陛下はご存じでしたか」


 もしかしてと思っていたら、俺が知っている暁月だった。

 親父の実家だ。と言うことは、親戚と言うことになるのか?

 とはいえ、最後に親父の実家に顔をだしたのは、祖母の葬式の時だ。

 それも小六の時だったと記憶しているから、四十五年も昔の話になる。

 半世紀近く経っていることを考えると、もう俺のことを覚えている親戚なんていないだろう。

 目の前の女性も見た感じでは、二十歳前後――大学生くらいにしか見えないしな。

 それよりも気になるのが、


「……精霊の一族?」


 耳がエルフのように長く伸び、尖っていた。

 長い黒髪とスミレ色の瞳も相俟って、どことなくシキに雰囲気が似ている。

 だが、ここは現代の日本だ。〈精霊の一族〉が存在するはずないのだが、

 

「精霊の一族ですか? それは、この耳のことでしょうか?」


 思わず口にだしていたみたいだ。


「その耳は生まれ持ちか?」

「いえ、ダンジョンでスキルを得た日に突然……月では〈鬼人〉のことをそう呼ぶのですね」

「……キジン?」

「日本では、古来より異様な姿で生まれた子のことを〈鬼子〉と呼びます。そのため、ダンジョンで力を得て姿が変容した者のことを〈鬼人〉と称しているのです。海の向こうでは〈亜人種デミヒューマン〉と、呼ばれているそうですが……」


 はじめて聞く話だった。

 スキルを得ることで容姿が変わるなんてことがあるんだな。

 いや、待てよ? 似た話を聞いたことがあるような――


『お気付きではなかったのですか? 月面都市にも耳の尖った探索者がいましたよ』


 え? 初耳なんだけど……。


『〈適合進化イクリプス〉と呼ばれている現象です。症例は十万人に一人とも言われているそうですが、耳の形状が変化する以外にも髪や瞳の色が変わったりと個人差があるようです』


 髪や瞳の色が変わる?

 思い出した。オルテシア――スカジの前世の一族が、確かそういう特徴を持っていたはずだ。〈精霊の一族〉の血が混じっているらしく、加護を得た神の色が身体的特徴に現れると言う話だったと記憶している。

 だとすると、これも先祖返りみたいなものだったりするのだろうか?


『その可能性は高いと考えられます。この世界の人類のルーツは覚えておられますか?』


 あれだろ?

 方舟で転移してきた異世界人の血が、地球人に混じっていると言う話。

 ああ、そう言うことか。魔力に目覚めたことで異世界人の血が呼び起こされたのだとすれば、身体の変化にも説明が付く。恐らく〈方舟〉で転移してきた異世界人のなかに〈精霊の一族〉と同じ特徴を持った人たちがいたのだろう。

 そう言えば、〈博士〉の見た目も魔族と特徴がよく似ているしな。

 だとすると、エミリアとシキがこの世界に馴染めたのって――


『同じ症状の人たちが他にもいたからかと』


 合点が行った。

 髪の色は誤魔化せるかもしれないが、さすがに耳のカタチまでは難しいからな。


『と言うか、いままで疑問に思われなかったのですか?』


 いや、だって俺には見慣れたものだし……。

 それに耳が尖っていたり、髪の色が少し派手なくらい個性の範疇だろう?

 ダンジョンが出現する前から、そういう格好をした人たちはいたしな。


『この世界は個性的な方々が多いのですね』


 まあ、その大半はオタクと呼ばれる人種なのだが……。

 街中でメイド服を着ていても違和感がないのは、それだけコスプレ文化が定着しているからだ。

 探索者なんてファンタジーな格好をした人が多いし、それで目にしていても違和感を覚えなかったのだろう。十万人に一人と言う話なら、かなり珍しい症状だろうしな。


「本来であれば代表が直接ご挨拶に伺うべきなのでしょうが、今回の件で政府からクランに問い合わせがきているようでして、代表自ら事態の収拾に尽力しているため、ご理解を頂きたく思います」


 恐らくはアリーナの件を言っているのだと察せられる。

 この様子だと、やはりクレームが入ったのだろう。

 そりゃ発注したものと見た目が違っていたら、クレームもつくよな……。

 スカジの暴走が原因だし、申し訳ないことをしたと思っている。


「後日、会談の場を設けさせて頂ければと考えていますが、陛下のご都合をお聞かせ願えないでしょうか?」


 都合もなにも、悪いのはこっちだ。

 朱理のお祖父さんには頼みたいこともあるし、ここは直接会って和解しておくべきだろう。


「明日の正午でどうだ?」

「承知しました。では、その時間に改めてご挨拶に――」

「手間を取らせるつもりはない。こちらから出向くから、代表に伝えてくれ」

「……畏まりました。では、明日の正午にお待ちしております」


 こう言うのは心証が大事だ。

 迷惑を掛けたのだから、こちらから出向いて誠意を見せるべきだろう。

 なにか手土産を用意しておこうと考えるのだった。

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