第338話 常識と価値観

 闘技場アリーナの件だが、なんの素材が使われていたのか分からなかったので、取り敢えずアダマンタイトで誤魔化しておいた。色合い的に違うとは思うのだが、可能な限り頑丈に作っておいたので許してくれるだろう。

 結界についても問題点は解決済みだ。

 アダマンタイトで壁と床をコーティングした上で、ミスリルを使って魔力の通り道を作り、地中に埋め込んだ小型の魔力炉から四方に設置された高さ十メートルほどの結界型魔導具オベリスクに魔力が供給される仕組みを構築した。

 これなら結界に十分な魔力を供給が可能だし、強度を十分に保つことが出来る。さすがにスカジの核熱魔法には耐えられないが、最上級魔法くらいなら問題なく耐えられるはずだ。


「その格好で見て回るのは難しそうだな。今日はここまでにしておくか」


 レミルと朱理の格好を見て、これ以上、街を見て回るのは難しいと判断する。

 俺が二人の制服を〈分解〉してしまったからな。

 メイド服で街に戻ると、またオタクたちに囲まれかねない。

 再びスカジの機嫌が悪くなって、街中で核熱魔法を放ったら大惨事だ。


「先生はこれからどうされるおつもりなのですか?」

「夕陽の家に向かうつもりだ。夕飯に招待されてるからな」


 お祖母さんの料理が楽しみと言うのもあるのだが、ギャルの顔も見ておきたい。

 あれほど注意したのに、俺の黒歴史をまた勝手に広めた言い訳を聞いておかないといけないしな……。


「……私もご一緒して構わないでしょうか?」

「それは別に構わないが、俺の一存では決められないぞ?」

「でしたら、いますぐ夕陽に確認を取ります――あっ!」


 急になにかを思い出したかのように声を上げる朱理。

 どうしたのかと思っていると――


「電話を貸して頂けませんか? 携帯を制服のポケットに入れていたので……」


 あ、うん。ごめんなさい。



  ◆



「お姉ちゃん、先生から連絡があったよ。いまから、こっちに向かうって」

「え! もう!? 急いで部屋を片付けないと――どうして、こんな大事なことを当日に言うのよ!?」

「お姉ちゃんがダンジョンに潜ってて連絡が取れなかったからでしょ?」


 バタバタと慌ただしく部屋の片付けをする姉の姿を見て、呆れた口調で反論する夕陽。仕事が忙しいのは理解できるが、普段から整理整頓していれば、こんな風に慌てることもないからだ。


「全部、マジックバッグにいれちゃえば?」

「そんなことにマジックバッグを使える訳がないでしょ……」


 サイドテールの明るい髪が特徴で〈トワイライト〉に所属する探索者と言うこともあってメディアへの露出が多く、若者を中心に人気を集めているAランクの探索者――それが、夕陽の姉の八重坂やえざか朝陽あさひだった。

 戦乙女の二つ名で呼ばれ、一部界隈ではギャルのカリスマなどと持てはやされているが、それはあくまで世間での評価に過ぎない。いま目にしているものが真実だと、妹の夕陽が一番よく知っていた。


「私、スーパーの特売で買った食材とかマジックバッグにいれて保管してるよ? 先生から貰ったマジックバッグは、食べ物とか腐らないから便利なんだよね」

「……私が悪いの? ううん、夕陽が変なだけよね?」


 マジックバッグには幾つかの等級がある。

 内容量や付与されている機能でランクが分けられるのだが、〈空間倉庫〉だけでなく〈時間停止〉のスキルが付与されたマジックバッグは最高ランクに位置付けられている。

 マジックバッグの主な用途としては、ダンジョン内での物資の運搬や素材の回収に用いられるため、食糧を保管するのは使い方として間違っているとも言えないのだが、スーパーの特売品をマジックバッグに入れているのは世界広しと言えど、自分の妹くらいだと朝陽は思う。


「ほら、こっちのマジックバッグにさっさと仕舞っちゃお」


 肩紐のついた小さな鞄を姉に手渡す夕陽。いまから二年半前、椎名から渡されたマジックバッグだ。

 所有者制限が掛かっているため、製作者(椎名)と夕陽以外に中身を取り出すことは出来ないが、この手のマジックバッグは物を入れるだけなら誰にでも使える仕様となっていた。

 基本的にはダンジョンでの使用を想定されているため、マジックバッグの持ち主しか素材を回収できないのは不便なことから、こう言った仕様になっていると言う訳だ。中身を取り出せる人間を限定すれば、回収した素材を持ち逃げされるリスクを減らせる利点もあった。

 椎名のマジックバッグはそこに加えて所有者から一定の距離が離れたり、念じれば手元に召喚される転送機能も付与されているのだが、本人の目の前で使用する分には問題ない。


「……こっちの?」

「あ、うん。この腕輪にも〈空間倉庫〉のスキルが付与されてるからね」

「なんで、二つも持ってるのよ……」


 妹の非常識さに朝陽は目眩を覚える。

 マジックバッグを個人所有している探索者など、SランクもしくはAランクのなかでも極一部の探索者に限られ、ほとんどは国やクランの管理下に置かれている。貴重な理由は単純で、数を揃えることが出来ないからだ。

 ダンジョンの遺跡で稀に発掘されるものしか出回っておらず、オークションに出品されれば数億ドルの値がつくことも珍しくない。いまの地球の技術力では再現の不可能な魔導具――古代遺物アーティファクトとして扱われているものがマジックバッグだ。

 それを個人で二個も所有しているなど、耳を疑うような話だ。

 しかし、

 

「明日葉と朱理も先生から魔法を教えてもらうことになってね。それで教え子の証明が必要だからって、これを貰ったんだけど……」

 

 夕陽の先生と言うのは、あの〈楽園の主〉だ。

 マジックバッグが稀少なのは地球の話で、楽園ではありふれた魔法のアイテムでしかない。実際、明日葉も〈トワイライト〉に所属する探索者と言うことで、ダンジョンに潜る際にはマジックバッグを貸与されていた。

 しかし、そんなものを普段から持ち歩いているのは夕陽くらいだ。


「それが、どれほど貴重なものか分かってるわよね?」

「うん。朱理もオークションにだせば、最低数百億の値が付くって言ってたしね」


 そこまで理解しているのに、どうしてこの子は平然としているのかと、頭を抱える朝陽。妹の考えが、朝陽には分からなかった。

 昔はどちらかと言えば引っ込み思案で物静かな子だったのだが、夕陽が変わったのは足が治ってからだ。

 変わったと言うのは、別に悪い意味ではない。性格が明るくなって積極的に行動することが増えた。それはきっと外の世界に目を向ける余裕が出来たことで、夕陽の視野が広がったからなのだと朝陽は考えていた。

 だから朝陽は〈楽園の主〉に――椎名に感謝していた。

 レギルの誘いを受け、〈トワイライト〉に所属することを決めたのも、それが理由だ。 

 しかし、


(段々と、私の妹が楽園の考えに染まっていってる気がする……)


 妹の価値観や常識。考え方が、徐々に楽園に染まっていっていると朝陽は感じていた。

 ちょっとやそっとのことで驚いていては、〈楽園の主〉の弟子は務まらないと言うのは理解できる。しかし、この子はこれで本当に大丈夫なのだろうかという不安が過るのであった。



  ◆



 都内にある地上三十九階建てのタワーマンション。

 最近知ったことだが、このマンションも〈トワイライト〉の所有物件らしい。

 トワイライトは魔導具メーカーのはずなのだが、本業以外にも本当に手広くやっているみたいだ。


「ここが夕陽の家……」


 呆然とマンションを見上げる朱理を見て、疑問に思う。

 俺と違って、朱理は人付き合いが苦手と言ったタイプには見えないからだ。

 今時の子は、友達の家に遊びに行ったりしないのだろうか?


「来たことがなかったのか?」

「あ、はい。夕陽とは探索者学校に入ってから知り合ったので……」


 ああ、そう言えば、普段は寮で暮らしていると言っていたな。

 探索者学校の生徒の多くは寮暮らしと言う話だし、それなら不思議でもないのか。

 まあ、俺も友達の家に遊びに行った記憶なんてないんだけどな……。


「では、主様。私はここで失礼致します。なにか御用がありましたら、お呼びください」


 そう言い残すと、陽炎のように姿を消すスカジ。

 一緒にくればいいのにと思わなくもないが、スカジも俺と一緒で余り人付き合いが得意なタイプではないしな。

 まあ、近くで待機しているつもりなのだろうし、後で適当に食べ物を差し入れてやればいいだろう。


「あれ? 先生? それに朱理とレミルちゃんも――」 


 見知った声がして振り返ると、黄ギャルもとい明日葉の姿があった。

 いつもの制服ではなく桜色のパーカーに白いブラウス。

 ミニスカートと言った如何にもギャルらしい格好している。

 明日葉も夕飯に誘われたのだろうかと思っていると、


「なんで、二人ともメイド服を着てるの?」


 当然の疑問を投げ掛けてくるのだった。



  ◆



「あはは、なるほどね。それは災難だったね」


 目に涙を浮かべながら笑う明日葉を、頬を赤く染めて睨み付ける朱理。


「人の不幸を笑わないでくれる? 本当に大変だったんだから」

「ごめんごめん。でも、みんな無事でよかったじゃない」 

「それはそうだけど……」


 明日葉の言うとおりではあった。

 一歩間違えれば、アリーナは消滅。

 全員、命を落としていても不思議ではなかったからだ。


(核を再現した魔法だなんて……)


 魔法には初級、中級、上級、最上級と四つのランクが存在することが分かっているが、スキルの力を借りても最上級魔法を使える探索者は世界に一握りしかいない。

 魔法に特化したスキルを持つ探索者でも、基本的に扱えるのは上級魔法が限界だった。

 なのにスカジはスキルの力を借りずに、最上級魔法を超える魔法を行使したのだ。

 そして――


(そんな魔法を先生は、あっさりと消し去った……) 


 そんな魔法すらも椎名は簡単に消し去った。

 いや、それだけではない。


(あのアリーナを完成させるのに三年以上の歳月が掛かっているのに……先生は一瞬で前以上のものに復元してしまった)


 祖父から〈黄昏の錬金術師〉の話を聞いて、分かっていたつもりだった。

 それでも理解が足りていなかったのだと、朱理は思い知らされた。

 椎名の力は朱理の想像を遥かに超えていたからだ。

 いまなら夕陽が弟子入りを止めようとした理由が分かる。 


「先生、ようこそお越しくださいました」

「今日は御馳走になる。これは、土産だ」


 そのため、弟子入りしたことを後悔している訳ではないが、


「みんなも入って。朱理、どうかしたの?」

「……急に押し掛けて、ごめんなさい」

「気にしなくていいよ。ご飯はみんなで食べた方が美味しいしね」


 もう一度三人でしっかりと話し合う必要があると考えるのだった。

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