第325話 記者の思惑

 仕事帰りのサラリーマンで賑わう夜の繁華街。

 よくある光景だが他の街と違うのは、ここがダンジョンのある探索者の街と言うことだ。

 如何にもと言った装備に身を包んだ探索者に、へりくだるような態度で声をかける客引きの姿が目立つ。探索者は死と隣り合わせの危険な仕事ではあるが、それだけ実入りが良いことでも知られている。

 DやCランクでも月百万以上は堅く、高ランクの探索者ともなればサラリーマンの年収ほどの金額を一ヶ月で稼ぐ探索者も少なくはない。そのため、羽振りの良い探索者も少なくなく、夜の街の賑わいに一役買っていると言う訳だ。

 そんな賑わいを見せる街の片隅に一軒のバーがあった。

 路地裏を進んだところにあるそのバーは表通りからは目立たない位置にあり、知る人ぞ知ると言った秘密の隠れ家的な店だ。

 客のほとんどは探索者で、最低Cランクのベテランばかりが集まる店。

 この店にくる客のほとんどは別の目的があってやって来る。

 公に出来ない取り引き。ギルドを通さない裏の仕事。そして、情報の売買や交換。

 この店のルールはただ一つ。見知った顔を見かけても不用意に声をかけない。

 会わなかった。見なかったことにして、互いに干渉しないこと。

 人に聞かれたくない話をするときに重宝される店だ。

 そんな店の奥まった角の席に一組の客がいた。

 客の一人は業界二十年の経歴を持つベテラン記者の柏木。

 そしてその向かいの席には、頬に傷のある探索者と思しき男が座っていた。


「〈楽園の主〉が探索者学校に? その話、本当なのか?」

「ああ、この目で確認した。ギルドマスターが一緒だったから間違いない」


 男の名は斉藤さいとう修武おさむ。歳は三十七歳。

 Bランクの資格を持つベテランの探索者で、嘗てはギルドマスターの懐刀とまで呼ばれていた人物だ。

 そんな彼が探索者学校の教師になったのが二年前のことだ。


「銀髪のメイドを引き連れていたのが何よりの証拠だが、あの性悪女が猫のような撫で声で頭を下げる相手なんて他に思い浮かばない。それでも、疑うのか?」


 Bランクの資格を持つ斉藤が教師をしているのは、先代のギルドマスターが逮捕されたことで後ろ盾を失ったからだ。

 斉藤まで捜査の手が及ぶことはなかったが、一連の事件に巻き込まれることを恐れたのか、これまで一緒にやってきた仲間が一人また一人と、次々に斉藤の前から姿を消していった。

 そんなギルド内で孤立していた斉藤に声をかけたのが、柏木だった。


「いや、信じよう。よく俺のところに話を持ってきてくれた」

「アンタには借りがあるからな」


 仲間に見放され、ギルドに居場所を失った斉藤にとって、柏木は恩人と言える人物だった。

 勿論、柏木にも打算がなかった訳ではない。探索支援庁の取材をするため、嘗てはギルドマスターの懐刀とも呼ばれていた斉藤に近付いていたのだ。

 それは斉藤も分かっていたが、柏木の差し伸べた手は彼にとって唯一の救いだった。柏木が声をかけなければ、ヤケクソになって単身でダンジョンに挑み、命を落としていたかもしれないからだ。


「だが、いいのか? 俺が記事にしたらギルドは当然お前さんのことを疑う。教師を続けられなくなるかも知れないぞ?」 

「構わねえよ。どのみち、俺には教師が向いていないと思っていたところだ」


 なにかを思い出すように苦々しげな表情を見せる斉藤。

 そんな斉藤の頭に過ったのは、青みがかった銀髪の少女だった。


「しかし、〈楽園の主〉はどうして探索者学校に?」

「子供だ。〈楽園の主〉のガキが探索者学校に通っている」

「な……それは本当なのか?」

「ああ、間違いない。そのガキの編入試験の相手をさせられたのが、俺だからな」


 思い出したくもないと言った顔で、その時のことを語る斉藤。

 Bランクの自分が為す術もなく、子供にしか見えない少女に敗れたのだ。

 しかも相手は本気ですらない。遊んでいると言うのが目に見えて分かるほどの実力差があった。

 それは斉藤にとって、耐え難いほどの屈辱だった。

 だが、いまなら負けて当然だったと理解できる。

 相手は噂の化け物。あの〈楽園の主〉の娘なのだから――


「政府とギルドが上に圧力をかけてまで隠そうとしているのは、それか」


 政府とギルドが必死になって隠そうとするはずだと柏木は納得する。

 楽園の主の子供が日本の探索者学校に通っているなど、夢にも思わなかったのだから――


「これはスクープだぞ。これなら間違いなくデスクを説得できる」


 柏木はギラギラと目を輝かせ、興奮を隠せない様子でグラスの酒を呷る。

 楽園の主の子供が学校に通っていると言うことは、日本政府と楽園の間に密約があったという動かぬ証拠になる。なにもなければ、子供を留学させる話になるはずもないからだ。

 それに、ずっと謎のベールに包まれていた〈楽園の主〉の正体に近付く手掛かりになるかもしれない。


(必ず、化けの皮を曝いてやる)


 月面都市の情報は伝わってくるものの、楽園については噂の域をでない話しか聞こえてこない。それに月面都市の話についても、ギルドを経由した情報しか得る手段はなく、日本に限らずマスメディアは完全に蚊帳の外に置かれていた。

 だからこそ、柏木はそうまでして各国の政府が隠そうとする楽園の秘密を曝く必要があると考えていた。

 ダンジョンが出現してから三十五年余り。スキルや魔法のアイテムと言ったダンジョンの恩恵を身近に感じる生活は、現代を生きる人々にとって当たり前のものになりつつある。そんな時代だからこそ、人々はダンジョンのことをもっと知るべきだ。

 モンスターの氾濫スタンピードという災害が実際に起きている以上、探索者でないからと言って他人事で済まないと言うのが柏木の考えだった。


「だが、そうすると写真が欲しいな。〈楽園の主〉は無理でも、せめて子供の写真があれば……」


 上を説得する材料になると柏木は話す。

 現状、この話は斉藤の口から聞いたものでしかない。

 勿論、柏木は斉藤の話を信じているが、上を説得するとなると話は別だ。

 記事にする以上は、話の信憑性を高めるためにも証拠となるものが欲しい。

 そのなかでも一番手っ取り早いのが、子供の写真を入手できればと考えるが、


「無茶を言うな。相手はBランクの俺ですら赤子扱いする化け物だぞ? ガキだからと甘く見ない方がいい。隠し撮りなんかすれば、確実に勘付かれる」


 斉藤は無理だと答える。

 楽園の主の子供――レミルと実際に戦ったことがあるからこその警告だった。

 あれは正真正銘の化け物だった。次に戦えば確実に殺される。そう確信するだけの力の差があったのだ。

 そして、その親の〈楽園の主〉も想像を絶する力を持っていた。

 更に得たいの知れないメイドもいることを考えれば、隠し撮りは自殺行為でしかない。それにギルドマスターが案内役をしていると言うことは、〈楽園の主〉の周りは政府やギルドが目を光らせていると考えるのが自然だ。

 おかしな動きをすれば、あっと言う間に捕まる未来しか見えなかった。

 しかし、


「いや、手があるかもしれん」


 柏木はなにか思いついた様子で、ニヤリと笑みを浮かべるのであった。



  ◆



「お父様……もう、食べられないのです……」


 お決まりの寝言を目覚ましに瞼を開けると、知らない天井が目に飛び込んでくる。

 そう言えば、昨日はレミルが解放してくれなくて、職員用の寮に泊めてもらったのだった。


「レミル、そろそろ起きろ。朝だぞ」 

「うみゅ……あと五分……」


 まったく起きる気配がない。余程、良い夢でも見ているのだろう。

 部屋の壁に備え付けられた時計の針は、朝の六時を指していた。

 今日はまだ平日だから学校があるはずだが……ギリギリまで寝かせておくか。

 昨日みたいに朝から背中に張り付かれても面倒だしな。


「スカジ」 

「はい、主様。なにか、御用でしょうか?」


 名前を呼ぶと、ドアの付近が陽炎のように揺らめき、スカジが姿を見せる。

 いると分かっていて声をかけたのだが、


「一晩中、そこに隠れていたのか?」

「主様の警護が私の仕事ですから」


 やはり一晩中起きていたみたいだ。

 さすがに警戒しすぎじゃないかと思うのだが、それを言っても無駄なんだろうな。

 いまはスカジのことは置いておくか。さすがに何日も続くようなら無理矢理にでも止めさせるつもりだが、一晩寝ないくらいで倒れるほどホムンクルスの身体は柔じゃないしな。

 それに俺も一週間くらいなら寝ずに研究室に籠もっていることがあるし、余り他人のことを強く言える立場ではない。

 それよりも――


グリムゲルデ・・・・・・を呼んでくれるか?」


 レミルが起きる前に準備・・を済ませてしまおうと、スカジにグリムゲルデを呼ぶように頼むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る