第304話 神の下僕

 まずは状況を整理しよう。どうして、俺が一緒に写っているのかだ。

 写真の風景から察するに、俺の実家の前で撮った写真と見て間違いない。

 しかし、こんな写真を撮った記憶は……あるな。

 大学に入学したての頃、両親にロシアから日本へやってきた二人の子供を押しつけられたことがあるのだが、別れの間際に妹の方に強請られて一緒に写真を撮った記憶がある。だとすると、この写真に写っているのは、あの時の少女と悪ガキと考えて間違いないだろう。

 しかし、あれからもう四十年近く経っていると言うのに、目の前の男はどう見ても二十代前半と言ったところだ。

 あの時の悪ガキは、いまなら五十近いはずだ。明らかに年齢が合わない。

 だとすると考えられるのは――


『なるほど、あの時の悪ガキの子供か』

『……マスター』


 どこか呆れるような口調で、アカシャが話し掛けてきた。


『ご自身も歳を取られていないことを、どのように考えられているのですか?』

『ん? それって、ずっとダンジョンで暮らしていたからだろう?』


 急になにを言いだすのかと思えば、俺だってそのくらいのことは理解している。

 だが、俺はメイドたちがいたからダンジョンのなかでも快適に過ごすことが出来たが、普通の人間がダンジョンのなかで何十年も引き籠もって生活をするのは難しいだろう。

 そのため探索者をしていても、三十半ばから四十くらいにはなっているはずだ。

 だから、本人ではなく子供じゃないかと考えた訳だ。


『なるほど……そういう認識なのですね』

『なにか違うのか?』

『いえ、間違ってはいませんよ』


 間違っていないのなら、紛らわしいことを言わないで欲しい。

 一体どういうつもりなんだか……。

 それにしてもまさか、あの時の兄妹の子供が訪ねてくるとか、こんな偶然もあるんだな。

 当時の悪ガキと目元がよく似ている。お父さん似なんだろう。

 でも、なんでこれが証拠になるんだ?

 あ、もしかして――


『お気付きになりましたか?』

『ああ、サーシャも写真の兄妹の子供なんだろう? 妹の方にそっくりだし』

『あ、はい。そうですね』


 それなら、この写真を見せてきたことに納得だ。

 あれ? でも、目の前の男はサーシャのことを自分の妹だと言ったんだよな?

 なんか、おかしくないかそれって――


『まさか、禁断の愛……』

『もう、好きにしてください』


 こんな一枚の写真に、昼ドラのようなドラマが隠されていようとは……。

 いや、そうと決めつけるのは早計か。

 実の兄妹ではなく従妹なのかもしれないしな。

 でも、そうすると――


「両親は健在か?」

「なぜ、そんなことを……」

「主様の質問にだけ答えなさい。それ以外の発言を許可した覚えはありませんよ?」


 ちょっとヘルムヴィーゲさん?

 抑えろと言ったのに、また魔力が漏れているし……。

 

「ヘルムヴィーゲ、抑えろと言ったはずだ。三度目はないぞ?」

「――ッ! し、失礼しました」


 まったくヘルムヴィーゲにも困ったものだ。

 優秀なメイドなのだが仕事に忠実というか、真面目過ぎるのが彼女の欠点だ。

 もう少し融通を利かせられるようになると、安心して任せられるんだけどな。


「既に亡くなっている。だから俺とサーシャに両親はいない」


 やっぱり亡くなっているのか。なんとなく、そんな気がしたのだ。

 だが、これで従妹説が濃厚となった。恐らくお互いの両親が亡くなって、本当の兄妹のように二人で支え合って生きてきたのだろう。

 だが、サーシャがホムンクルスに生まれ変わった経緯を考えると、その従妹も亡くなっているんだよな。

 ロシアのサンクトペテルブルクで入手した〈魔核〉から、俺はサーシャを生みだした。即ち〈魔核〉の錬成に使用した魔力には、死者の魂――霊核を構成する情報が含まれていたと言うことになる。

 たぶんモンスターに取り込まれた魂の中に、その少女もいたのだろう。


「それで、お前は結局なにがしたい? なにを望んでいる?」

「俺の望みは、ただ一つだ。サーシャに会って謝りたい」


 謝る?

 一体どういうことかと疑問に思っていると、


「サーシャは俺のことを心配して、ずっと傍にいてくれた。それなのに俺は……復讐に囚われ、そのことに気付かずにいた。だから、俺はサーシャに謝りたい。残りの人生すべてをかけて、サーシャに償いと思っている」 


 思い詰めた表情で、まるで神に懺悔するように告白を始める男。

 よく分からないが、ようするに後悔していると言うことなのだろう。

 でも、記憶がないのに謝られてもサーシャは戸惑うだけだ。


「事情は理解した。だが、いまのお前をサーシャに会わせることは出来ない」

「――ッ! なぜだ。どうして――」

「あの子には、生前の記憶がないからだ。当然、お前のことも覚えていない」


 これが現実だ。

 シオンが特殊な例と言うだけで、ホムンクルスには生前の記憶がない。

 なのに一方的な気持ちを押しつけられては、サーシャも戸惑うだけだろう。

 それは謝罪ではない。


「本当に妹のことを思っているのなら、一方的な感情を押しつけるのはせ。それは謝罪ではなく、ただの自己満足だ」

「違う! 俺は――」


 厳しい言い方だが、はっきりとさせておいた方がいいだろう。

 サーシャが望まない限り、俺は男の願いを聞くつもりはなかった。

 この場を設けたのは、確認と注意をしておく必要があると思ったからだ。


「サーシャのことを本気で思っているのなら静かに見守ってやれ。それが、いまのお前に出来る唯一のことだ」


 それがお互いのためだ。

 そのうち記憶が戻ることもあるかもしれないし、その時はサーシャが自分で判断すればいい。俺にとって大切なのはサーシャであって、目の前の名前も知らない男じゃないからな。

 どちらを優先するかなど、最初から答えは決まっていた。


「……ひとつ聞かせてくれ。あの子を蘇らせたのは〈楽園の主〉……お前なのか?」 


 男の問いに、どう答えたものかと逡巡する。

 とはいえ、特に隠すようなことでもないので――


「そうだ」


 それで納得するならと、男の問いに答えてやるのだった。



  ◆



「ああ、神よ……」


 椎名とヘルムヴィーゲが去った後、感動の余り涙を流すシャミーナの姿があった。

 死者蘇生こそ、人間には決して為し得ない神の奇跡だ。

 楽園の主を神と崇めるシャミーナがその奇跡の一端を知り、喜びに打ち震えるのも無理のないことだった。


「あなたも神の慈悲に感謝するのですよ。そして、悔い改めなさい」

「……感謝し、悔い改めろだと?」

「そうです。神の慈悲によって、新たな生を授かるという奇跡の機会を得られたのですから感謝するのは当然でしょう?」


 シャミーナの遠慮のない言葉が、踏み込んで欲しくない一線に触れたのだろう。

 ミハイルは怒りを滲ませ、怒声を上げる。


「だが、あの子は……サーシャは記憶を……なにも覚えていないのだぞ!?」

「そうが、どうかしましたか? 生まれ変わったのであれば前世の記憶がないのは、むしろ自然なこと。神の慈悲を賜ったことに感謝し、家族であれば祝福すべきです。私が代わりたいくらいなのですから……」


 ボソッと本音を交えながら、ミハイルを諭すシャミーナ。

 生まれ変わったのであれば、前世の記憶がないのは自然なことだ。

 自分のやっていることが、一方的な気持ちの押しつけに過ぎないと言うこともミハイルは理解していた。 

 だが、それでも――


「俺は……」


 頭では理解はしていても納得が行くかは別の話だ。

 妹のことは諦めろと言われて引き下がれるのなら、月面都市こんなところにまで来たりしない。

 サーシャの幸せは願っている。しかし、どんな目的があって〈楽園の主〉がサーシャを蘇らせたのか分からない。記憶がないと言うことは利用されているだけかもしれない。

 だから――


「サーシャの気持ちを確認したい」

「あなた、神のお言葉を聞いていなかったのですか?」

「聞いていたさ。あの子が望むのなら、俺は姿を消すつもりだ。だが……」


 楽園の主の言葉を鵜呑みにすることは出来ない。それがミハイルのだした答えだった。

 サーシャの口から話を聞かなければ、納得することは出来ないからだ。

 その上で、サーシャが楽園に利用されているのであれば、ミハイルはサーシャのために命を懸ける覚悟でいた。

 しかし、


「それを私が許すと思いますか? 昔のよしみで選択の機会を上げましょう。大人しく月を去りなさい。そうすれば、先程の発言は聞かなかったことにしてあげます」

「考えを変えるつもりはない」

「そうですか。残念です」


 シャミーナはミハイルを許すつもりはなかった。

 ミハイルにどんな考えがあろうと、神の言葉に勝るものはないからだ。


「なら、神への冒涜を死んで償いなさい」


 それが、神の下僕しもべ――〈聖女〉シャミーナの下した裁定であった。

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