第301話 楽園の計画
「おい、聞いたか? 〈楽園の主〉がこの街に来ているらしい」
「ああ、その話なら俺も聞いた。〈竜使い〉が迎えに来ていたって話だしな」
「それだけじゃないぞ。〈
「なら、間違いなさそうだな」
このような噂が探索者たちの間で話題となっていた。
それもそのはずで月面都市にギルドの支部が設立され、移住者の受け入れを初めてから二年が経つと言うのに、一度も〈楽園の主〉が月面都市を訪れたことはなかったからだ。
それが、いまになって姿を見せたとなれば、注目を集めないはずがなかった。
「噂になってるね。このタイミングで月面都市に姿を見せたってことは……」
「ああ、代表理事との会談のためだろう」
そんななか、ホテルのロビーで聞き耳を立てるクロエとミハイルの姿があった。
ここは月面都市にある宿泊施設のなかでも、最高のサービスを受けられることで知られている高級ホテルだ。その分、値は張るのだが、高ランクの探索者のほとんどが宿泊していた。
だからこそ、このホテルに滞在しているような探索者は情報通が多い。高ランクの探索者ともなれば、ただ強いだけではダンジョンで生き残れないと知っているからだ。
それに、ここは〈
楽園に関する情報には常にアンテナを張っておかないと、どんな手痛い目に遭うか分からない。実際それで楽園を甘く見て、強制送還となった者は数え切れないほどいる。それだけならまだいいが、再起不能の大怪我を負った者もなかにはいるくらいだ。
先週も楽園にきたばかりのAランクの探索者が〈楽園の主〉を女の陰に隠れて姿を見せない腰抜けとバカにし、ギルドマスターに半殺しの目に遭わされ、強制送還となったばかりだった。
だが、それでも運が良かった方だと、ここで長く活動する探索者たちは分かっている。ギルドマスターが間に入らなければ、その探索者の命はなかったからだ。
ここは地球ではなく月だ。地球の常識など通用しないし、探索者の死など幾らでも偽装する手段がある。ダンジョンで死亡したと報告されれば、それを地球から調べる
そうと分かっていても探索者たちが月のダンジョンを目指すのは、リスクに見合うだけのメリットがあるからだった。
「ここの探索者たちは、みんな羽振りがいいよね」
「中層まで潜れれば、ミスリルが掘れるそうだしな。それに下層ではオリハルコンが発見されることも少なくないそうだ」
「エミリア先生の護衛がなければ、私も一稼ぎしてくるんだけど……」
「諦めろ」
地球では稀少とされる鉱石が、ここ月のダンジョンでは簡単に手に入るのだ。
しかも、国によって税金の割合は違うが、ギルドの手数料とあわせてダンジョンから得た収入の半分近くを持って行かれるのが普通だ。
しかし、ここ月面都市ではギルドの手数料と楽園に収める税金を合わせて、収入の二割を納めるだけでいい。その上、ダンジョンで得た〈
こんなことは他の国ではありえない。各国がそう言ったルールを設けているのは税金が欲しいからだけではなく、強力な〈
それもそのはずで〈
そんなものを、ややこしい手続きもなく個人で手軽に所有することが出来るのだ。
探索者たちがリスクがあると分かっていても、月のダンジョンを目指す理由がこれで分かるだろう。
その証拠に〈月面都市〉では、個人所有が制限されている〈
「
「無理だな。こんなことが出来るのは、ダンジョンで得られるものに〈楽園〉が特別な価値を見出していないからだ。あのメイドたちにとって
だからこそ、こんな真似が出来るのだとミハイルは話す。
ダンジョンで発掘される魔導具の多くをギルドは〈
同じものを作れないとなれば、あるものだけで賄うしかない。
即ち、それは――
「〈楽園〉からすれば、ダンジョンで手に入る程度の魔導具は簡単に量産が可能なのだろう」
この程度の魔導具であれば、楽園は量産が可能と言うことを意味していた。
それは、この街の環境やホテルの設備からも感じ取ることが出来る。
第一、楽園から〈
だが、それも無理のないことであった。これまで魔法の存在しなかった世界で一から魔法を研究し、新たな技術を習得するのは容易なことではないからだ。その点で、アメリカは上手くやったと言えるだろう。
楽園と密約を結ぶことで〈トワイライト〉に技術の一部を開示させ、魔法薬の製造法を広めた功績は大きい。アメリカが楽園との関係構築に失敗していれば、いまのように魔法のアイテムが市場に出回ることもなかっただろう。
しかし、そんなアイテムの生産に関わっているクランの職人たちでも、ダンジョンで発見されるような魔導具の製作は容易ではない。〈特級技師〉と呼ばれる一部の職人だけが、限定的な効果を持った魔導具や実戦に耐えうる武具を製作できるくらいだ。
ほとんどの職人は回復薬の調合や素材の加工がやっとと言ったレベルで、ようやくスタートラインに立ったばかりの
「百年……いや、千年かけても、この技術力の差を埋めるのは容易ではない。そして、楽園はそのアドバンテージを活かして上手く立ち回っている。最初にアメリカに目を付け、味方に引き入れたのもすべて計算尽くの行動なのだろう」
「暴君なんて呼ばれていた割に、随分と政治や経済に詳しいのね」
「知らなければ利用され、つけ込む隙を与えるだけだ。それはお前もよく分かっているだろう?」
「むう……」
そう言われると、クロエも反論が出来なかった。
Sランクの地位は、良くも悪くも様々なものを引き寄せると知っているからだ。
実際、グリーンランドのギルドマスターには、それで何度も利用されたことがある。まだ、見返りがあるだけマシだったが、なかにはクロエの力と地位だけを利用しようとする者も少なくはなかった。
レッドグレイヴ家がその最たる例だ。
「そう言う訳で、この街のやり方はまったく参考にならないと言うことだ。楽園が地球を支配するようなことにならない限りな」
「なにを言って……まさか……」
「そのまさかだ。グリーンランド……いや、〈浮遊都市〉はその試金石だと俺は考えている。どれだけの人間が気付いているかは知らないが、このまま楽園を放置すれば、数百年後には地球は奴等に支配されているだろう」
想像もしなかった話をミハイルから聞かされ、クロエは唖然とする。
椎名の性格を考えると、世界征服を目論んでいるようには見えなかったからだ。
それに――
「数百年って、そんな遠大な計画……」
未来のことなんて誰にも分からないのに、そんなにも先のことを考えて遠大な計画を立てているなど想像が及ぶはずもない。人間の平均寿命など、百歳にも満たないからだ。
「ありえないとは言い切れないだろう? 相手は神に等しい存在だぞ? 見た目通りの年齢であるはずもなく、そもそも寿命があるのかも怪しい。それにダンジョンと魔力が老化に与える影響という研究があったはずだ。実際、お前も見た目通りの年齢ではないだろう?」
ミハイルの言葉をクロエは否定することが出来なかった。
探索者の見た目が年齢と比例しないという話は、いまや探索者の間では常識となっている。各国の研究機関で、ダンジョンや魔力が人体に与える影響の研究が盛んに行われているくらいだ。
楽園の主が不老不死であったとしても、否定することは出来ない。
だが、ミハイルの話には一つだけ大きな間違いがあった。
「……私の背が低いのと童顔なのは昔からよ。ダンジョンと関係ないわ」
「…………すまない」
気まずい空気が漂い、はじめてクロエは宿敵に謝罪させるのだった。
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