第298話 ユミルの秘密
「お父上様!」
俺の姿を見つけるなり、勢いよく抱きついてくる黒髪の少女。
髪の色からも分かる通り、彼女はホムンクルスではない。
「随分と早かったな。もう、いいのか?」
「はい! 問題ないと〈博士〉様のお墨付きを頂きました」
彼女の名はアイリス。イズンと同じ世界樹の大精霊だ。
本来アイリスは〈方舟〉から離れることが出来ないのだが、俺と〈博士〉が共同開発した〈
しかし、〈方舟〉の外を出歩けるようになったと言っても、実験もなしに楽園へ連れてくるのはリスクが伴う。そこで〈博士〉に問題がないかを確認するため、経過観察と依り代の調整をお願いしていたと言う訳だ。
「ヘルムヴィーゲがアイリスを連れてきてくれたのか。忙しいところを悪かったな」
「アイリスお嬢様は世界樹の精霊であると同時に、主様の娘だと伺っております。でしたら私どもがお仕えし、奉仕するのは当然のこと。どうか、お気になさらないでください」
相変わらず堅苦しいというか、真面目だな。
しかし、アイリスお嬢様ね。その理屈だとレミルもそうなるのだが――
お嬢様って、がらではないな。それなら、まだサーシャの方がお嬢様ぽい。
「しばらく、楽園にいるのか?」
「〈商会〉での用事を済ませたら、数日中に島へ戻るつもりですが……」
「そうか。ちょっと頼みたいことがあったんだけど、それなら他のメイドに――」
「やります! 是非、私にお命じください」
「え……でも、仕事があるんじゃ?」
「主様の命に勝る仕事など、あるはずがありません。どのような命でも完遂してみせます。是非、私にご命令を」
軽い気持ちで、ついでに頼みごとをしようと思っただけなのだが……。
気合いを入れるほどの頼みごとでもないんだけどな。
とはいえ、そこまで言うならヘルムヴィーゲに任せるか。
彼女なら心配は要らないだろうし。
「じゃあ、アイリスに楽園を案内してやってくれるか? 実はこの後、月面都市を視察することになっていて、一週間ほど楽園を留守にするから」
「え……お父上様と一緒にいられるのではないのですか?」
「悪いな。こんなに早く来るとは思ってなかったから、その前に仕事を済ませておくつもりだったんだが……」
「いえ、お仕事なら仕方がありませんよね。我が儘を言ってごめんなさい」
う……シュンと落ち込んでいるアイリスを見ると、罪悪感が……。
でも、レギルから月面都市で働くメイドたちにも顔を見せて欲しいと頼まれているんだよな。
「主様。アイリス様もご一緒されては如何でしょうか?」
「え……」
「主様が執務をされている間は、私がアイリス様のお世話をさせて頂きます。この二年で月面都市も随分と様変わりしましたから、退屈なされることもないかと」
その手があったか。
ずっと一緒にいてやることは出来ないが、俺も一日中仕事と言う訳ではないしな。
空き時間を利用して、アイリスの相手をしてやればいい。
それにシオンとサーシャも月面都市にいるそうだし、丁度良いかもしれない。
機会があれば、二人を紹介したいと思っていたからだ。
それに――
「アイリスはそれでいいか?」
「はい!」
エミリアもそろそろ月面都市に到着している頃だろう。
折角だから驚かせてやろうと、密かにサプライズを計画するのだった。
◆
「機嫌が良さそうだね。良いことでもあった?」
屋敷の廊下を歩いていると声をかけられ、振り返るユミル。
気配から察していたとはいえ、階段の陰から姿を見せたノルンに溜め息を溢す。
「あなたこそ、自発的に〈書庫〉からでてくるなんて珍しいこともありますね」
「う……ユミル、意地悪だよ」
「
ユミルにジロリと睨まれ、視線を逸らすノルン。
椎名をけしかけたことがバレていると察したからだ。
「でも、役得だったよね?」
「まったく……メイドとして褒められた行為ではありませんよ?」
「でも、王様のことだから、分かっていて乗ってくれたんだと思うよ?」
「それでもよ。マスターの優しさに甘えるのは良くないわ」
嬉しくなかったと言えば、嘘になる。
しかし、それとこれは話が別だとユミルはノルンを嗜める。
ユミルが椎名の嘘に気付いていながら敢えて指摘しなかったのは、椎名の嘘が自分たちのためだと気付いていたからだ。
先代に功績を譲ったことがなによりの証拠だ。
英雄になることも出来た。だけど、椎名はそれを望まなかった。
過去に残って英雄になることよりも、元の世界に戻ることを椎名は選んだ。
それは即ち、ユミルたちを選んだと言うことだ。そのことがなによりも、ユミルは嬉しかったのだろう。
「ねえ、ユミル。記憶が戻ってるんじゃない?」
じーっとユミルを観察して、ノルンは気付いたことを尋ねる。
「……どうして、そう思ったの?」
「いつもと雰囲気が違うからかな? 王様が帰ってきて浮かれているのは分かるけど、ユミルってそう言う感情を表にだすタイプじゃないでしょ?」
ノルンがそう思った理由。それは珍しく分かり易いくらい態度にでていたからだ。
それだけ椎名と二人きりの時間が楽しかったと考えることも出来るが、ノルンの知るユミルはそう言うタイプではない。例え味方であっても、隙を見せることがない完璧主義。理想のメイドを体現した存在がユミルだった。
なのに、今日のユミルはどことなく人間ぽさを感じる。
「上手く隠していたつもりだったのだけど、ダメね」
「やっぱり、記憶が戻ったの? もしかして王様のお陰?」
「正確には記憶が戻った訳ではないわ。でも、マスターの話を聞いていて思い出したことがあるの」
「……それって記憶が戻ったのとは違うの?」
「ええ、私が思い出したのは生まれ変わる前の自分。人間に裏切られ、愚かな選択をした哀れな女の記憶よ」
「え……」
人間であった頃の記憶を取り戻したと聞き、驚くノルン。
さすがに、それは予想していなかったのだろう。
「と言っても、思い出したのは断片的なことで、先代が前世の私の教え子で
沈黙が場を支配する。
ユミルの言っていることが一瞬、理解できなかったからだ。
しかし、
「え、えええええええ!? 前の王様がユミルの――」
「まったく、あなたは……少し落ち着きなさい」
ユミルに口を塞がれ、コクコクと二度頷くノルン。
だが、驚くなと言う方が無理があった。
先代の〈楽園の主〉が前世のユミルの弟子で、子供だったなんて想像もしなかった話だからだ。
「ユミルって、子持ちだったの?」
「子供と言っても血は繋がっていないし、養子に迎えただけよ? あと、次にそれを言ったらレミルと一緒に人間の学校に通ってもらいますからね」
「……ごめんなさい」
寸分の迷いもなく、ノルンは謝罪を口にする。
レミルと一緒に学校に通うのが嫌と言うよりも、人間の子供にまじって授業を受けるのが嫌なのだろう。
身内に対しては冗談を言い合うくらいの余裕はあるが、基本的にノルンは内向的な性格で人付き合いが得意ではないからだ。そんなノルンの性格をユミルはよく分かっていた。
そのため、
「あなたに話したのは詮索されるのが嫌だったのと、これ以上余計なことを広められると困るからよ。言いたいことは分かるわね?」
釘を刺すことを忘れない。
ユミルの迫力に気圧され、頬を引き攣らせながら後退りするノルン。
そして、
「あ、はい。絶対に誰にも言いません」
「よろしい」
ユミルの秘密は墓まで持っていくしかないと、ノルンは固く誓うのだった。
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