第296話 バックアップ

「久し振りだな。〈書庫ここ〉に来るのも――」


 ヘイズと別れた後、俺はメイドたちの案内で〈書庫〉を訪れていた。

 右も左も、上も下も見渡す限り本ばかり。歴史に関する書物以外であれば、大体なんでも揃っているのが楽園の〈書庫〉だ。

 魔導書以外にもメイドたちが地球で集めてきた本も一緒に保管されているため、現在進行系で蔵書の数が増え続けていた。

 よく見ると、見たことのない本が随分と増えている。

 増設された本棚を見ているだけでも、二年の歳月を感じる。


「ノルンの姿がないな」


 いつもなら〈書庫〉に顔をだすと出迎えてくれるノルンの姿が見当たらない。

 ヘイズの話では二年前のことをまだ気にしていると言う話だし、顔を合わせ難いのだろう。

 俺は気にしていないんだけどな。

 だけど、それをどうノルンに伝えるかが問題だ。


「ノルン。いるんだろう?」


 呼び掛けると本棚の陰から顔を半分覗かせる小柄な少女。

 短く揃えられた銀色の髪に、前髪で隠れた左眼。

 メイド服の上から白衣を纏った彼女がノルンだ。

 ユミルたちと同じ〈原初はじまり〉の六人の一人で、〈書庫〉の管理を任されているホムンクルス――楽園のメイドだ。


「そんなところに隠れてないで出て来い。別に怒ってないから」


 俺が呼び掛けると悩む素振りを見せるも、恐る恐ると言った様子で姿を見せるノルン。


「王様、本当に怒ってない?」

「なにを怒るんだよ。別にお前はなにも悪いことしてないだろう?」


 溜め息を漏らしながらノルンに近付き、頭をくしゃくしゃと撫でてやる。

 普段は頼りになるのに、こういうところは見た目通りの子供なんだよな。

 いろいろと悩んだが、やはり自分の気持ちを正直に話すのが一番だと考え、


「ノルン、俺の話を聞いてくれるか?」


 ユミルに聞かせたように俺の体験したことを語って聞かせるのだった。



  ◆



 俺の話を聞き、なにやら真剣な表情で逡巡するノルン。

 そして、


「〈大災厄〉を止めたのって、前の王様じゃなくて王様だよね?」


 何故かバレた。

 天使との戦いや〈天国の扉ヘブンズ・ドア〉を封印した経緯など――

 すべて先代の功績として話したのだが、何故かバレた。


「……どうして、そう思ったんだ?」

「ボクの能力を覚えているよね?」

「ああ、当然」


 ノルンが〈書庫〉の司書を任されているのは、これだけ膨大な数の蔵書を誇る〈書庫〉の本を、どこにどんな本が置いてあるのかまですべて記憶しているからだ。

 それもすべて彼女の〈魔王の権能ディアボロススキル〉が持つ能力だった。

 簡単に説明すると、データベースを構築する能力だ。構築した〈記憶領域データベース〉から、自由に知識を引き出すことが出来る能力。説明を受けた時は、便利な能力だなと感心したものだ。


「ボクのスキルは知識だけじゃなく、記憶を保存することも出来るんだ」

「え?」


 記憶のバックアップ?

 便利な能力だと思っていたが、それって〈星の記憶〉をスキルで再現できるってことか?

 だとすると、ノルンには過去の記憶がある?


「いつからだ?」

「記憶を取り戻したのは、王様がいなくなった後のことだけどね。前に試した時はなにかに邪魔されているような感覚で上手く行かなくて、でも王様が全然帰って来ないから手掛かりを得られないかと思って、もう一度試してみたら……」

「記憶が戻ったと?」

「……うん」


 合点が行った。

 それでノルンは責任を感じて塞ぎ込んでいたのか。

 でも、どうして急に記憶が戻ったんだ?


『彼女が嘘を吐いていないのだとすれば、なにかしらの外的要因で能力が制限されていたのでしょう。その原因が解消されたため、記憶領域へのアクセスが可能になったのではないでしょうか?』


 アカシャが言っていることは理解できる。

 しかし、ノルンが俺に嘘を吐くとは思えない。

 だとすると、その原因って――


『情報が少なすぎるため、現状で原因を特定するのは難しいかと。ですが、マスターが過去に跳ばされたことが原因の解消に繋がったと考えるのが自然です』


 まあ、そうだよな。でも、なんの関係があるのか分からない。

 あれって、ただの事故だと思っていたのだが、もしかして違うのか?

 なにはともあれ――


「記憶が戻って良かったな」 


 記憶が戻ったのは悪いことじゃない。そこは素直に喜ぶべきところだ。

 それに――


「信じてくれるの?」

「ノルンが俺に嘘を吐く理由がないからな」


 俺はなにがあっても彼女たちを信じると決めていた。

 これは彼女たちの主になると決めた時から、自分に誓っていることだ。


「ありがとう。王様」


 なにより、俺はノルンに暗い顔をするのではなく笑顔でいて欲しかった。

 仮に嘘を吐いているのだとしても、必ず理由があるはずだしな。

 そういうところも含めて、俺は彼女たちを信じると決めていた。


「ねえ、王様。この話、ユミルにもした?」

「ああ……まさか、ユミルも覚えてるとか言わないよな?」

「あ、それは大丈夫だと思う。前の王様に関する記憶はみんな残っているみたいだけど、他の記憶が曖昧なのは本当のことだから。でも、ユミルも違和感は覚えていると思う。だから、いまの話を聞くと……」


 ユミルは鋭いからな。記憶と話の齟齬から気付く可能性が高いと言う訳か。

 これ、もしかしなくてもやらかしたんじゃないか?

 でも、特になにも言われていないんだよな。


「……どうしたら良いと思う?」

「そのくらいでボクたちの忠誠心が揺らぐことはないけど、ユミルには正直に話した方がいいと思う。過去の記憶がなくて一番悩んでいるのは、ユミルだと思うから」


 そんな感じはしなかったけど、ノルンが言うのならそうなのだろう。

 こういうことに俺は鈍いからな。コミュ力の無さを痛感する。

 しかし、


「勇気をだして王様。ユミルなら、きっとわかってくれるから」


 ノルンを励ますつもりだったのに、なんか逆転してね?

 と思うのだった。



  ◆



「進捗状況はどう?」

「はい。いまのところ順調です。入手を諦めていた素材が、こちらの世界で手に入ったのは幸運でした。いえ、幸運ではなく主様のお陰でしたね」

「イズンも喜んでた。貴重な薬草がこれで栽培できるって」


 楽園の〈工房〉の一角に設けられた実験室で、巨大な装置を前に会話をする二人組の姿があった。

 尻尾のように後ろに飛び出した銀色の髪に、楽園のメイドにしては珍しくメイド服ではなく作業服に身を包んだ彼女の名はヘイズ。〈原初はじまり〉の六人の一人にして〈工房〉の工房長を任されているホムンクルスだ。

 そして、もう一人――


「まさか、いま我々が抱えている問題を把握されて、必要となる素材を揃えて頂けるなんて……さすがは叡智を司る御方。主様には本当に未来が視えておられるのかもしれませんね」


 長い銀色の髪。二メートルを超す身長。

 黒い目隠しで瞼を覆った彼女の名は、ゲールヒルデ。

 九姉妹ワルキューレの一人で、ヘイズを補佐する〈工房〉のメイドだ。

 小柄なヘイズと並ぶと、まるで大人と子供ほどの身長差がある。


「ん……主は凄いから。完成してから驚かせようと思ってたけど、これ・・にもとっくに気付いていたと思う」


 いつになく饒舌に話すヘイズの姿に、ゲールヒルデも思わず笑みを溢す。

 椎名の前では「主がいないとサボれない」とか言っていたヘイズだが、実際には椎名に会えなくて寂しそうにしていたことをゲールヒルデは知っているからだ。

 だから誰かに話さずにいられないほど、主と再会できたことが本当に嬉しかったのだろうとゲールヒルデは察する。


「近いうちに〈方舟〉へ向かうから、メンバーの選出をお願い」

「構いませんが、〈工房長〉自ら赴かれるのですか? 調査と確認だけでしたら、私たちだけでも……」


 だから椎名と一緒にいられるようにと気を利かせて、そう尋ねるゲールヒルデであったが、


「主から頼まれたことがあるから」


 そういうことかと納得する。

 ヘイズが張り切っている理由を察したからだ。

 楽園のメイドであれば、主から直接頼まれ事をして喜ばないものはいない。

 ゲールヒルデとて主から声をかけられれば、すべてに優先してその命を実行に移すだろう。

 それほど〈楽園の主〉の言葉は、楽園のメイドたちにとって重要なものだからだ。


「それに気になることがあって。タイミングが良すぎると思わない?」


 方舟のシステムを外部のネットワークに繋ぐ程度のことなら自分に相談しなくても、椎名にも出来るはずだとヘイズは考えていた。 

 それに行き詰まっていた研究が、順調に進み始めたこのタイミングでだ。

 偶然と考えるには、余りに出来すぎている。


「まさか、主様は……」 

「うん。この子・・・のためだと思う」


 すべてを見通す〈楽園の主〉であれば、その可能性は高いとヘイズは語る。


「待ってて。もうすぐ自由にしてあげるから――」


 NOAHノアと優しげな声で、ヘイズは呼び掛けるのだった。

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