第285話 主の尊厳
「テレジアちゃんとレティシアちゃんは一緒に行かなくてもよかったの?」
テレジアの用意したティーセットで、のんびりと寛ぐレティシアを見て、イズンは頬に手を当てながら尋ねる。てっきり彼女たちもヘルムヴィーゲに付いていくものと思っていたからだ。
「私はギルドの関係者と言う訳ではありませんから」
しかし、イズンの予想に反してドライな返しをするテレジア。
だが、当然と言えば当然だった。
テレジアは楽園のホムンクルスと比べれば人間に対して好意的だが、それでも彼女が付き従い優先するのは椎名だけだ。島に危機が迫っているとはいえ、エミリアたちに協力する理由はない。
それに――
「同じく。〈勇者〉の仕事じゃないしね」
レティシアも無条件に人間の味方と言う訳ではなかった。
勇者は人類の守護者ではあるが、逆に言えば人類が滅亡するほどの危機に見舞われなければ、彼女は積極的に勇者の力を振るうことはない。
レティシアの場合、単純に面倒臭いと言う気持ちの方が大きいだけなのかもしれないが――
「それにヘルムヴィーゲだっけ? 彼女、テレジアと同じくらいに強いよね?」
私たちの協力が必要? とレティシアは首を傾げる。
本人も不要だと言っていたように、手を貸す必要性をレティシアは感じていなかった。
「テレジアちゃんって、そんなに凄いの? ヘルムヴィーゲちゃんは〈
テレジアとヘルムヴィーゲが同じくらいとレティシアが評価したことに、イズンは少し戸惑うような素振りを見せる。
ヘルムヴィーゲの実力は〈原初〉の六人に迫るほどだからだ。
即ち、テレジアの実力も〈原初〉に迫るほどと言うことになる。
只者ではないと思っていたが、そこまでとは想像していなかったのだろう。
「レティシア様、過分な評価をして頂けるのは嬉しいですが、私程度では……」
「謙遜も過ぎると嫌味になるよ? 結果は結果として正しく評価しないと。エクストラナンバーを三人相手に互角に戦ったんでしょ? エクストラナンバーって、たぶんオルテシアたちと同格だよ?」
「〈
レティシアの話を聞き、心の底から驚くイズン。
レティシアの見立て通り、テレジアが対峙したエクストラナンバーと〈
と言ってもオルトリンデが一度もヘルムヴィーゲに勝てたことがないように、
〈
そのヘルムヴィーゲと互角と言うのは、イズンにとっても驚く内容だったのだろう。
「ふふん、テレジアの凄さを理解した?」
「ええ、凄いのね。ご主人様の見立てが正しかったと理解したわ」
自分のことのようにテレジアの凄さを自慢するレティシアに微笑ましいものを覚えながら、イズンは二人の評価を改める。
椎名の客人であると同時に、楽園にとっても重要な人物になるかもしれないと考えたからだ。
あの八重坂姉妹のように――
そんな風に三人で時間を潰していると、
「楽しそうな声が聞こえると思ったら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
アイリスとオルタナを連れた椎名が姿を見せるのだった。
◆
楽しげな声が聞こえると思ったら、いつの間に仲良くなったんだか。
テレジアとイズンの人当たりの良さなら不思議でもないが、やはりレティシアのコミュ力も相当に高い気がする。
金髪美少女とも、すぐ仲良くなっていたしな。
人付き合いが苦手で、友達が一人もいなかった身としては羨ましい能力だ。
自分でも自覚はあるが、空気を読むのが苦手と言うか、気を遣ったり相手に合わせるのが苦手だからな。島が浮上した件も〈博士〉の機転に随分と助けられたし、反省するべき点は多い。
「エミリアとシキは?」
周囲を見渡し、エミリアとシキの姿がないことに気付き、三人に尋ねる。
まさか、先に帰ったのだろうかと思っていると、
「ヘルムヴィーゲちゃんと街へ向かいました」
イズンの口からヘルムヴィーゲの名を聞き、困惑する。
ヘルムヴィーゲはレギル直属の配下で〈
どうして彼女が一緒なんだと思ったが、
(あ、もしかして……)
レギルのことだ。既に先手を打っていたのかもしれないと思い至る。
今後のことについて相談しようと思っていたのだが、さすがだな。
まさか、相談する前に既に手を打ってくれているとは思わなかった。
だとすれば、ヘルムヴィーゲがエミリアとシキを迎えに来た理由にも察しが付く。
たぶん政府への説明とか、諸々の面倒事を引き受けてくれたのだろう。
「なるほど、そういうことか。面倒をかけるな」
「お気になさらないでください。ご主人様の意志を汲み、動くことがメイドの務めだとヘルムヴィーゲちゃんも言っていましたから」
さすがはヘルムヴィーゲだ。
彼女は〈九姉妹〉のなかでも特に優秀だと聞いているしな。俺から見ればメイドたちはみんな優秀だと思うのだが、そのなかでも特に秀でていると言われているのがヘルムヴィーゲだった。
レギルが信頼を置いて、自分の留守を任せるだけのことはある。
とはいえ、なにもかも任せきりと言うのも、さすがに気が引ける。
自分の撒いた種だし、俺に出来る範囲で協力するべきだろう。
「俺に出来ることはあるか?」
「ご主人様、それは……」
そう思って尋ねて見たのだが、戸惑う様子を見せるイズン。
やっぱり、こういう時は普段の行いがものを言うのだと痛感する。
メイドたちに甘えてばかりではなく、ある程度は仕事しているところを見せないとダメだな。
これ、完全に「え? 仕事されるのですか?」みたいに思われてるだろう。
「……やはり、ご主人様も危惧されていたのですね」
まあ、そりゃな。自分の立場を非常に危惧している。
このままでは〈楽園の主〉の威厳というか、人としての尊厳を保てない気がするからだ。
傍から見れば、完全に紐男のそれだしな。
「……若様、そんなに危険なの?」
「ああ、このままだと非常にまずいことになる」
レティシアの言うように、主の尊厳を保てるかどうかの非常に危険な状況だ。
それはそれで理想の引き籠もり生活と言えるのかもしれないが、 一度定着したイメージというのは、なかなか払拭できないからな。俺にだって、なけなしのプライドがある。
「ご主人様がそこまで仰るなんて……やはり、私も同行するべきだったのでしょうか」
だと言うのに、更に俺を甘やかそうとするのがテレジアだ。
彼女のお陰で快適な異世界ライフを楽しめていた訳だが、自分でも甘やかされていた自覚はあるからな。
言い訳になるかもしれないが、こっちが意識しなくても身の回りのことをなんでもやってくれるのだから、そりゃ甘えてしまうのも仕方ないだろう。しかし、今回だけはテレジアに甘える訳にはいかない。
「アイリスも、お父上様の御力になりたいです」
「そういうことでしたらオルタナも協力します。〈博士〉聞こえていますか?」
『うむ、話はすべて聞いた。どうやら、まずい状況になっているようじゃの』
アリシアとオルタナだけでなく、〈博士〉の声まで聞こえてきた。
オルタナが通信を中継しているようで、〈博士〉の全身を移した立体映像のようなものが浮かび上がる。
みんなで心配してくれるのは嬉しいが、キミたちまで出ると俺の出番が……。
これ、もしかしなくても全員で俺に仕事をさせまいとしてないか?
楽園のメイドたちもそうだしな。十分にありえる。
「いや、ここは俺に任せてくれ」
だから、ここはきっぱりと断る。
彼女たちの気持ちは嬉しいが、このままではダメだ。今回の件は俺の責任だしな。
やはりヘルムヴィーゲたちに頼ってばかりではなく、自分の尻くらいは自分で拭くべきだろう。
「ご主人様……わかりました。ですが、どうかお気を付けください」
どこか不安そうな表情で、そう言ってくるイズン。
本当に任せて大丈夫なのかと不安になる気持ちは分からなくないが、どうやら分かってくれたようだ。
しかし、グリーンランドの代表か。どんな人なのかは気になる。
日本の総理みたいに話の分かる人だと良いんだけど。
まあ、自分の撒いた種だ。誠心誠意、謝罪するしかないだろう。
「――ッ! この感覚は、まさか――」
珍しく取り乱した様子を見せるイズン。
一体どうしたのかと不思議に思っていると――
「島から百キロほどの地点に〈
と告げてくるのだった。
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