第280話 王国
「〈
スカートの裾を抓みながら、お辞儀をする銀髪のメイドの姿があった。
黒と灰のシックなメイド服に身を包んだ彼女の名は、ヘルムヴィーゲ。
楽園のメイドにして〈
「あ、私は――」
「存じております。エミリア様。それにテレジア様とレティシア様ですね。シキ様もお久し振りです」
「こちらこそ、その節はお世話になりました」
面識のあるシキだけでなく、他のメンバーの顔ぶれの名も一目で言い当てるヘルムヴィーゲ。
彼女がレギルの第一秘書を任されている理由の一つがこれで、資料で目にした人物は名前だけでなく家族構成や誕生日。好物に至るまで、ありとあらゆることを彼女は記憶していた。
当然〈狩人〉から報告を受けており、テレジアとレティシアのことも知っていたと言う訳だ。
「ところで、主様は?」
椎名の姿を捜して周囲を見渡すヘルムヴィーゲ。
その態度からも、少しでも早く主に会いたくて急いで駆けつけたと言った様子が見て取れる。
「ご主人様ならアイリスちゃんにオルタナちゃんと一緒よ」
そう言って、なんの前触れもなく現れたのはイズンだった。
どことなく呆れた表情を浮かべているのは、ヘルムヴィーゲの性格をよく知っているからだ。
「イズン様……レギル様のご指示で、主様の御力になるべく馳せ参じました」
イズンの登場に動揺を見せるも、落ち着いた様子で挨拶を交わすヘルムヴィーゲ。
しかし、
「レギルちゃんから聞いているわ。それで、
イズンには、お見通しだった。
レギルが応援に寄越したのが、ヘルムヴィーゲだけとは思えなかったからだ。
なにより〈商会〉の仕事は〈楽園の主〉の護衛でも身の回りの世話でもない。
ヘルムヴィーゲが一人でやってくること自体、おかしなことだった。
「あの子たちは、先に人間の街に……」
そんなことだと思ったと言った顔で、やれやれと溜め息を吐くイズン。
ヘルムヴィーゲは規律に厳しく優秀なメイドではあるのだが、椎名が絡むと暴走しがちというか、判断が鈍るところがあった。
椎名が過去の世界に跳ばされて二年。再会を心待ちにしていたのはレギルやスカジだけではない。楽園のメイドたち全員が
そんな状況で〈楽園の主〉に接するチャンスを目の前にして、我慢をしろと言うのも酷な話だろう。
とはいえ、
「ヘルムヴィーゲちゃん。気持ちは理解できるけど、それは他の子たちも一緒でしょう? 模範となるべきあなたがそんなことでは、レギルちゃんも安心して仕事を任せられないと思うのよ」
「ごもっともです……返す言葉もありません」
反論の余地すらないと言った様子で、小さくなるヘルムヴィーゲ。
実のところ、彼女が最も苦手としている人物。それが、イズンだった。
「反省しているのなら、あとで他の子たちにも謝るのよ。それじゃあ、お説教はこのくらいにしましょうか。ご主人様の現在地だったわね?」
目を閉じ、なにかを探るような仕草を見せるイズン。
精霊たちに交信して、椎名を捜して貰っているのだろう。
これも世界樹の大精霊である彼女にしか出来ないことだった。
「〈方舟〉の下層へ向かわれたみたいね」
下層と聞いて、真っ先に反応したのはエミリアだった。
てっきり、まだコントロールルームにいるとばかりに思っていたからだ。
「下層ですか? どうして、そんなところに……」
「わからないけど、なにかお考えがあるのかもしれないわね。私が伺ってきてもいいのだけど……」
椎名の邪魔になるかもしれないと考え、イズンは逡巡する。
世界樹を成長させたのが偶然と、イズンは考えていなかった。
その証拠に〈
それに〈方舟〉の機能も順調に回復へと向かっていた。
となれば、都市の下層に向かったことにも意味があると考えるのが自然だ。
「失礼します……少々、お待ちください」
携帯電話のようなものを取り出し、空間に投影した画面を確認するヘルムヴィーゲ。
それは〈トワイライト〉がアメリカの企業と合同開発したもので、〈
使用者の魔力を取り込んで動作するため電池切れの心配がなく、魔石を用いた一般向けの商品も流通をはじめている最新端末だ。魔力の波長を用いた個人認証や空間投影など最新の魔導技術が使われており、若者を中心に急速な広がりを見せていた。
「険しい顔をして、どうかしたの?」
「少々まずいことになりました。まさか、人間たちがここまで愚かな行動にでるとは……」
イズンの問いに険しい顔で答えるヘルムヴィーゲ。
手元の〈
「この島に所属不明の艦隊が向かっているとのことです」
ヘルムヴィーゲは想定された最悪の未来を告げるのだった。
◆
ルクセンブルクで開かれている欧州連合の会議は、突然の事態に騒然としていた。
所属不明の艦隊がグリーンランドへ向かっているという報せが入ったためだ。
会議の結論がでる前に軍を差し向けるなど、時期尚早と言わざるを得ない。
そもそも〈トワイライト〉の計画を容認する方向に話は傾きつつあったのだ。
背後に楽園の影があろうと〈トワイライト〉は民間企業だ。地球のルールに従って経済活動をしているのであれば、理由もなく制裁を下すのは難しい。だから、条件付きで認めてはいいのではないかという考えが大勢を占めていた。
ようやく話がまとまりかけていたと言うのに戦争になれば、すべてがご破算だ。
最悪の可能性が頭を過る中――
「静まれ!」
凛と通る大きな声が議場に響く。
それはアメリカを代表するSランク探索者、アレックス・テイラーの声だった。
元アメリカの大統領だけあって、こう言った状況にも慣れを感じる。
各国の代表たちの視線が集まる中、アレックスは一人の男に目配せをする。
「戸惑われるのは無理もありませんが、まずは状況の把握に努めるのが先決かと」
各国の代表の前に立ち、意見を述べたのはグリーンランドのギルドマスター、ジョン・スミスだった。
このまま放って置けば、また会議が脱線しかねないと考えたのだろう。
いまは不毛な言い合いをしている状況ではない。
しかし、
「どこの国の艦隊かは分からないのか?」
「デンマークの領海内に突然現れたとしか……」
「濡れ衣だ! 我が国はそのようなことに関与していない!」
また口論がはじまってしまう。
この期に及んで責任のなすりつけあいなど見ていられるものではないが、
(この反応。どうやら本当に知らないようですね)
少なくとも演技ではないと、ジョンは判断する。
いまの状況は各国にとっても予期せぬ出来事と言うことだ。
なら最悪の事態は回避できるかもしれないとジョンが考えた、その時だった。
「皆さん、お静かに。ギルドマスターの言うとおり、まずは状況の把握に努めるのが先決でしょう。その上で、連合としての方針を示すべきかと」
代表の一人が、口を挟んできたのは――
その人物にジョンは見覚えがあった。
ベルギーやオランダのように立憲君主制を敷いている
千年の歴史を持ち、小国ながら優れた探索者を多く輩出してきたことで知られている国――ルシオン王国。
別名――
(
魔法の王国。
そして〈皇帝〉に代わる五人目のSランク探索者を擁する国であった。
後書き
本作品はフィクションです。ルシオン王国は架空の国で実在はしません。
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