第274話 ミハイルの目的

「ようこそ、いらっしゃいました。奥の部屋をご用意しておりますので、どうぞ」

「邪魔をする。突然すまないな」

「邪魔だなんて、とんでもない! オーナーでしたら、いつでも歓迎ですよ」


 案内された店で戸惑いを見せるクロエ。

 そこはギルドから程近い場所にあるロシア料理の専門店だった。

 探索者も多く通い詰めているボルシチが評判の店だ。


「ここ、あなたの店なの?」

「ああ、他にも十店舗ほど店をだしている」

「ええ……」

「驚くようなことか?」

「あなたに商才があったなんて思わなかったのよ」


 昔は欲しいものがあれば、奪えばいいって考えだったでしょ?

 とクロエに言われ、違いないとミハイルはくつくつと笑う。

 それに、あの〈皇帝・・〉がこんな風に人に慕われるところを見るのは、これがはじめてなのだ。

 正直、クロエが信じられない気持ちになるのも無理はなかった。


「ここなら話を聞かれることもない」

「あなた、本当にあの〈皇帝〉?」


 奥の特別な部屋に通され、もう一度ミハイルに確認を取るクロエ。


「むしろ、どうやって気付いた?」


 逆にミハイルは質問を返す。

 いまのミハイルは〈皇帝〉を名乗っていた頃と、随分と姿が違っている。

 顔など完全に別人だし、これまで一度も正体に気付かれたことがないのだ。

 それを一目で見破ったクロエに驚くのも当然だった。


「女の勘よ! ちょっと姿を変えたくらいで宿敵の目を誤魔化せると思わないことね」

「姿を変えた訳ではない。これが本来の俺の姿だ」

「ああ、あっちが変装だったのね」


 よく分からない回答に、ミハイルの口からは溜め息が溢れる。

 とはいえ、まともな答えが返って来るとは彼も思ってはいなかったのだろう。

 クロエがミハイルのことをよく知るように、ミハイルもクロエのことはよく知っているからだ。

 なにせ二度も殺し合いをした仲なのだから、下手な友人よりも深い関係と言っていい。

 関係が深いからと言って、親密であるかどうかは別の話になるのだが――

 どちらかと言えば、クロエが言うように宿敵と言った方が正しいだろう。


「やっぱり〈皇帝〉みたいね。まあ、生きているとは思っていたけど、よく無事だったわね。あなた、楽園のメイドと戦ったのでしょう?」

「その口振り、やはりお前もアイツ等と戦ったようだな」

「言っておくけど、あなたと違って負けてないわよ? 邪魔が入って決着がまだついていないだけで……」


 嘘ではないが、それがクロエの強がりだと気付かないミハイルではなかった。


「〈英雄の導き手バイヴカハ〉を解除されておいてか?」

「ぐ……これは、シ……〈楽園の主〉にやられたのよ。メイドに負けた訳じゃないから!」


 以前に会った時のような力が、クロエから感じ取れなかったからだ。

 だから、なにかしらの方法でスキルを解除されたのだと察したのだ。

 そんな状態で楽園のメイドに敵うとは思えなかったのだろう。

 ミハエルがクロエの能力に詳しいのは、手下グスタフに命じて調査させたことがあったからだ。

 願いを叶える力。クロエの能力であれば、亡くなった妹を生き返らせることが出来るのではないかと期待して戦争まで仕掛けたと言うのに、その結果は期待外れだったと言う訳だ。


「力をなくした訳じゃないんだな?」

「なに? いまなら勝てるとでも思った?」

「いや、俺のようにスキルを失ったのかと思っただけだ」

「え……」


 ミハイルの話に驚く様子を見せるクロエ。

 皇帝が死んだと言う話は信じていなかったが、まさかスキルを失っているとは思っていなかったからだ。

 だが、それなら〈皇帝〉が死亡したというニュースが流れたのも納得が行く。

 皇帝に恨みを持つ者は多い。力を失ったと知れば、報復に動く者は数え切れないだろう。

 だからこそ、死亡の噂を流したのだと――


(だとすれば、怪しいのはロシアのギルドマスターね……)


 皇帝の死亡を発表したのは、サンクトペテルブルクのギルドだった。

 皇帝の死が偽装であったなら、協力者がいると考える方が自然だ。

 昔の〈皇帝〉を知るクロエからすれば、能力を失った彼を助けようとする人間がいること自体、不思議なのだが――


「あなた、意外と人望があったのね」

「……お節介な奴がいるだけの話だ」


 そのお節介な人物と言うのが、サンクトペテルブルクのギルドマスターなのだと察する。

 とはいえ、気持ちが分からない訳でもなかった。

 思うところがまったくないと言う訳ではないが、だからと言って殺したいほど憎んでいるかと問われると、そうでもないからだ。

 皇帝は確かに暴君ではあるが彼のやったことと言えば、力でマフィアを従え、街を支配下に置いただけの話だ。その支配下に置かれた街も圧政を敷かれていたと言う訳ではなく、一般の人々はマフィアの抗争が絶えなかった以前よりも平和な日々を過ごせていた。

 なによりクロエに戦いを仕掛けてきた時も、決闘の場所に人里離れた荒野指定するなど〈暴君〉らしからぬ配慮を見せてはいたのだ。罠を警戒していたクロエからすれば拍子抜けと言ったところだったのだが、それが〈皇帝〉を心の底から憎めない理由となっていた。

 悪人には違いないと思ってはいるのだが――


「あと妙な同情はするな。以前の力を失ったと言うだけだ」

「まさか、またダンジョンでスキルを得たの?」


 スキルを使えなくなったという話は、稀ではあるが聞くことがある。

 しかし、ダンジョンに潜って新たなスキルを得たという話はクロエも聞いたことがなかった。

 探索者の常識として、一人の人間が得られるスキルは一つだけ。

 一度スキルを得ると、二度とダンジョンから恩恵を得ることは出来ないと言うのが常識だからだ。


「いや、違う。〈黒い神チェルノボーグ〉は、俺の力ではなかったと言うことだ」


 まるで他人の能力を使っていたかのような発言に、困惑するクロエ。

 しかし、オリヴィアが言っていたガブリエルの能力が頭を過る。

 ガブリエルはデニスのスキルを使っていたとオリヴィアは言っていた。

 殺した相手のスキルを奪う力。そんなスキルは聞いたことがないが、同じようなスキルをミハイルが持っているのだとすれば――


「あなた、他人のスキルが使えるの?」


 警戒を滲ませるクロエ。

 ミハイルが自分に接触してきた理由が、スキルを奪うためだったのではないかと考えたからだ。

 彼が妹を生き返らせるために〈英雄の導き手バイヴカハ〉の能力に目を付け、自分に戦いを挑んできたことを知っているからだ。


「誤解するな。俺の能力は死者の魂を呼び寄せ、自らの身体に宿すと言うものだ」

「うん? それって、召喚術のようなものってこと?」

「どちらかと言えば、降霊術の類だな」


 そのスキルの力で死者の魂を自身に憑依させ、力を使っていたのだとミハイルは説明する。とはいえ、そのことに気付いたのは力を失ってからだと――

 ミハイル自身、〈皇帝〉を名乗っていた頃は〈黒い神チェルノボーグ〉が自分の能力だと本気で思っていたからだ。


「……私を殺してスキルを奪うつもりなんじゃ?」

「信用がないことは理解しているが、言っただろう? 条件があると……恐らく、お前が死んだとしても、お前のスキルを使用することは不可能だ」


 俄には信じがたい話だが、スキルの詳しい効果や条件については本人にしか分からないものだ。

 そのため、


「いいわ。取り敢えず、信じてあげる。あなたも私の話を信じてくれたしね」


 以前、〈英雄の導き手バイヴカハ〉の条件を打ち明けた時のことを引き合いにだす。

 まさか、本当に〈皇帝〉が引き下がるとは、あの時は思っていなかったからだ。


「でもそれなら、いまになって正体を明かして、私に接触してきた理由はなに?」


 とはいえ、完全に警戒を解いた訳ではなかった。

 ミハイルの置かれている状況は理解したが、彼の目的をまだ聞いてはいないからだ。

 また悪事を働こうとしているなら自分が止めるしかない。

 そう考えての問いだったのだが――


「確認したいのは、このスキルについてだ。条件があると言っただろう?」

「ええ、でも……私に聞かれても降霊術には詳しくないよ?」

「分かっている。だから、お前には仲介を頼みたい」

「え……まさか……」

「そのまさかだ」 


 俺を〈楽園の主〉に会わせてくれ、とミハイルはクロエに頭を下げるのだった。

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