第275話 欧州会議

 ルクセンブルクで開催されている欧州連合の会議は紛糾していた。

 無理もない。〈トワイライト〉が〈レッドグレイヴ〉の買収を発表したのだ。

 これだけなら民間の話で国がどうこう言うことではないのだが、〈レッドグレイヴ〉は欧州のダンジョン市場をリードしてきた企業だ。

 それだけに欧州の経済に与える影響は大きく〈レッドグレイヴ〉が〈トワイライト〉に買収されれば、欧州のダンジョン市場は〈トワイライト〉に席巻されることになる。更には、グリーンランド自治州の開発にまつわる土地の問題もあった。

 グリーンランドはデンマークからの独立を果たしたが、だからと言って経済的に自立したと言う訳ではない。独立したことでデンマークからの支援が打ち切られ、グリーンランドの経済はダンジョンに依存することになった。

 しかし、探索者を呼び込むための環境整備を行おうにも先立つものがなく、そのダンジョンも利権の多くが欧州連合に抑えられてしまっていた。そんななかで手を差し伸べたのが、レッドグレイヴだったと言う訳だ。

 現在グリーンランド自治州の土地の多くは、レッドグレイヴが権利を保有している状況にある。〈トワイライト〉が〈レッドグレイヴ〉を買収し、吸収した場合、その土地の権利も〈トワイライト〉に移ると言うことだ。

 これが欧州連合が〈レッドグレイヴ〉の買収に難色を示す要因となっていた。


「だから言ったのだ! グリーンランドの開発を民間に任せるのではなく国で主導するべきだと!」


 そうなった経緯は〈レッドグレイヴ〉のロビー活動も理由にあるのだが、欧州連合からしても莫大な開発投資を行わずともダンジョンから利益を得られるのであれば、メリットも大きいと当時は考えたのだろう。

 実際、〈レッドグレイヴ〉は島の開発に多額の投資を行ったが、ダンジョンから得られるものについては多くのものを望まなかった。彼等の目的は魔法薬を始めとしたアイテムの取り引きで、長期的な利益を上げることにあったからだ。


「なら、どうする? 〈トワイライト〉に異議を唱えると?」 


 嘗て、アメリカや中国がグリーンランドの用地買収に動いた際、デンマーク政府が異議を唱え、開発計画を差し止めたことがあった。だが、それはグリーンランドが独立する前の話だ。

 それに〈レッドグレイヴ〉はイギリスの企業だ。

 イギリス政府が企業買収に反対するならまだしも、他の国に口を挟む権利はない。

 だが、そのイギリスはと言うと――


「我が国は〈トワイライト〉の計画を容認する。その考えに変わりはない」


 レッドグレイヴの買収計画を容認する方向で動いていた。

 こうなってしまっては、他の国が口を挟むことは難しい。

 だからこそ、当然イギリスへの非難を強める国も出て来ているのだが、


「そもそも〈トワイライト〉は声明のなかでダンジョンから得られるものに興味はないと、はっきりと断言している。ダンジョンに関しては〈レッドグレイヴ〉の経営方針を取り入れ、欧州連合との付き合いもこれまで通りと変わりがないと」


 それは即ち、ダンジョンの利権に手をだすつもりはないと、先にけん制してきたと言うことだ。

 ダンジョンから得られる利益がこれまでと変わらないのであれば、それでよしとする国は少なくはない。〈トワイライト〉と揉めて、楽園を敵に回すリスクを冒したくないという考えもあるのだろう。

 だが、それを面白く思わない国があることも事実だ。

 これが意見がまとまらず、会議が紛糾する原因となっていた。



  ◆



「まったく困ったものですよ。利益は得たい。でも金はだしたくない。それは即ち〈レッドグレイヴ〉がこれまで築き上げてきた富を、対価も払わずに国家が力で取り上げると言っているようなものだ」


 それは民主主義の国がやることではない。独裁国家のやり口だと非難するのは、グリーンランド自治州のギルドマスター、ジョン・スミスだった。

 ジョン・スミスは日本で言うところの『山田太郎』のようなもので、本来であれば偽名を疑うような名前なのだが、パスポートにも記された正真正銘、彼の本名だった。

 この名前と風貌の所為で胡散臭い人物に思われがちな彼だが、政治的に最も難しい立場にあるグリーンランドのギルドマスターを任されているだけあって、交渉事に長けた非常に有能な男であった。

 しかし、そんな彼でさえ、辟易とするやり取りが会議では繰り返されていた。


月の楽園エリシオンを未だに国と認めていない者も少なくない。月のダンジョンを独占するために、アメリカの作った虚構の国ではないかと言いだす輩がいるくらいだ」


 そんな彼と向かい合い、どこか呆れた口調で溜め息を漏らす男の名はアレックス・テイラー。ギルドの理事の一人にして〈軍神〉の二つ名を持つ、アメリカのSランク探索者だ。

 高ランクの探索者が国外へでるには、国の許可が必要となる。Sランクともなれば戦略兵器と同じ扱いを受けるほどで、自国の政府だけでなく相手国の了承も必要だったりと、なにかと手続きが大変だった。

 それはギルドの理事であっても例外ではない。

 だと言うのに、アレックスがルクセンブルクに足を運んだ理由。それは――


「だから、お越しになったのですか? この件にアメリカは介入しないと、ただそれだけを告げられるために」


 アメリカ政府は〈トワイライト〉の声明に関与もしていなければ、彼等の行動に口を挟むこともないと欧州連合に通告したのだ。

 だが、それだけならアレックスが出向く必要はない。むしろ、アメリカがSランク探索者を寄越したことで、余計に各国の警戒を煽る結果となっていた。 

 この生産性のない会議に付き合わされている身からすれば、ジョンが皮肉を口にするのも無理はない。


「代表理事の懐刀と噂されるスミス殿に言われると、耳が痛いな」

「それはシキさんのことですよ。私など、あの人の足下にも及びませんから」


 ジョンのそれは謙遜ではなく、心からの言葉だった。

 あらゆる面において、エミリアの片腕が務まるのはシキしかいない。

 それはグリーンランド自治州のギルドに所属する者であれば、誰もが持つ共通認識だからだ。

 

「ミス・シキか。若い頃、指導を受けたことがあるが……」

「ほう、〈剣聖〉だけでなく〈軍神〉殿もですか? 結果は……聞くまでもなさそうですね」


 アレックスの顔を見れば、大凡のことは察せられる。

 あのクロエでさえ、シキにまだ一度も勝つことが出来ていないのだ。

 アレックスは強いが、彼の力はパーティーを率いてこそ発揮されるものだ。

 そのため、彼一人でシキの相手が務まるとは思えなかったのだろう。

 しかし、


「彼女……どう考えてもAランクじゃないだろう?」

「ですが、彼女はユニークスキルを所持しておりませんので」


 それだけの実力があるにも関わらず、シキのランクはAだった。

 それは彼女の影を操作するスキルは珍しくはあるが他にも存在が確認されており、ユニークスキルに数えられるものではないからだ。

 ユニークスキル持ちでなくともAランクに至っている者は稀にいる。だが、それでもユニークスキルに覚醒した探索者と比べれば、戦闘能力で劣っていることは確かだ。

 Sランクともなればユニークスキルを更に覚醒させ、スキルの力を完全に使いこなすことが求められる。シキのランクがAに留まっているのは、そうした理由からだった。


「ギルドのランク査定の見直しが必要なのではないか?」

「彼女は例外ですよ。それにSランクと比較すれば、攻撃力に欠けることは本人もお認めになっていますから」


 人間相手には通用するかもしれないが、中途半端な力ではモンスターに通用しない。あくまで探索者のランクとは、ダンジョン探索やモンスターとの戦闘を想定した実力の指針だからだ。

 それがギルドの公式見解でもあった。


「あれが、彼女の本当の実力ならな」

「力を隠していると?」


 確証はない。だが、楽園のメイドたちと接しているからこそ、アレックスはシキの実力に違和感を覚えていた。

 しかし、その違和感の正体を説明することは出来ない。

 アレックス自身、勘のようなものでよく分かっていないからだ。 


「いずれにせよ、アメリカの見解は伝えたとおりだ」

「それが、ギルド本部の見解でもあると」

「そのとおりだ」


 どちらかと言えば、こちらがアレックスが出向いた本当の理由だった。

 即ち、


(我々の好きなようにやっていいと言うことですか)


 グリーンランドのギルドがどのような選択をしようと、本部が干渉してくることはないと言うことだ。

 エミリアは最初からこのことが分かっていたのだと、ジョンは察する。

 なら自分の為すべきことは――


(グリーンランドのギルドマスターとして、務めを果たすだけですね)


 ギルドマスターとしての責務を果たすだけだと、ジョンは決意を固めるのだった。

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