第256話 オリハルコンの大剣

 イギリスの首都ロンドン――

 クランの拠点で書類の山に囲まれ、執務に励むオリヴィアの姿があった。

 あの事件の後、密かに逃亡を図っていたレッドグレイヴ家の当主が逮捕され、芋づる式に関係者が検挙されたことで、当主としての仕事がオリヴィアに回ってきたためだ。

 断ることも出来たが、やはり長年レッドグレイヴに仕えてくれた使用人や商会で働く人たちのことを考えると、見て見ぬ振りは出来なかったのだろう。

 そこに加えてクランとしても警察やギルドの捜査に協力する義務があり、猫の手も借りたい状況がここ数日続いていた。

 そんななか――


「これは?」

「ブラッドの処罰を求める署名です」


 ウェインが書類の束を持って、オリヴィアの前に現れた。

 オリヴィアがウェインの持参した書類に目を通すと、確かに団員たちの署名が記されていた。凡そ百五十人分はある。即ち、団員のほとんどがブラッドの処罰を求めていると言うことだ。

 こうなった原因は、デニスの死にブラッドが関与した疑いが浮上したためだ。

 直接手を下したのはガブリエルだが、ブラッドがクランを裏切っていたことは明白となっている。ガブリエルたちとも裏で繋がっていたことを本人も認めていた。だから、仲間を殺された団員たちの怒りがブラッドに向かったのだろう。

 デニスは規則に厳しい男ではあったが面倒見が良く、多くの団員に慕われていた。

 ウェインもデニスを慕っていた一人で、〈十二の騎士ナンバーズ〉に選ばれる前からデニスに相談に乗って貰ったり、訓練の相手をしてもらっていたのだ。

 その一方でブラッドはレッドグレイヴ家のスパイだと思われていて、クラン内での評判は良くなかった。

 そのため、こうなるのは予想できたことだった。


「いまブラッドはギルドからの調書を受けているわ。このあと捜査機関に身柄を移されて、法の下で処分を受ける予定よ」


 だからオリヴィアは既に手を打っていた。

 彼をこのままクランに置いておくことは、組織内の不和を招くことになると考えたからだ。

 それに、これはブラッド自身が望んだことでもあった。

 

「当然ですね。デニスさんが死んで裏切り者が罪を償わずに生きているなんて、あっていいはずがありませんから」


 そんなブラッドの覚悟も知らず、怒りを隠そうとしないウェインの態度にオリヴィアは心の中で嘆息する。

 しかし、なにも言わない。自分がなにを言ったところでウェインは納得しないだろうし、ブラッドを庇っているだけだと捉えられ、反発を招く可能性が高い。そうなったら、ブラッドの覚悟を無に帰すことになるからだ。

 頭を下げて部屋を後にするウェインの後ろ姿を見送った直後、


「いいのか? あんな風に好き放題、言わせておいて」


 入れ違いに現れたヴァレンチーナに声をかけられ、我慢していた溜め息がオリヴィアの口から漏れる。


「ブラッドの望んだことよ」


 ヴァレンチーナの言いたいことは理解できない訳ではなかった。

 しかし、ブラッドの処分は既に決まったことだ。彼自身、そのことで弁明を求めている訳ではない。ギルドや警察の捜査にも協力的で、レッドグレイヴ家当主の指示で自分が行ったことや関わった事件の詳細を十年前にまで溯って、すべて正直に打ち明けていた。

 レッドグレイヴ家と密接な関係にあった政治家も逮捕されていることから、事件が揉み消されると言ったこともないだろう。

 概ね、ブラッドの望むカタチで事件は決着を迎えることになるはずだ。

 そして、それは楽園の――レギルの描いた絵図でもあることをオリヴィアは察していた。

 その上で、オリヴィアも覚悟を決めたのだ。

 薄情な女だと思われようとも、為すべきことを為すために――


「あなたは、なにもないの?」 

「デニスのことか? 悲しくないと言えば嘘になるが、仲間の死なんて探索者アタシらには珍しくないだろう」


 一応尋ねてみたもののヴァレンチーナの返事は予想した通りのものだった。

 ダンジョンに挑み続ける探索者にとって、死とは身近なものだ。

 デニスには悪いが、彼も覚悟は出来ていたはずだとオリヴィアも考えていた。

 ヴァレンチーナが特別薄情な訳ではない。団の中で彼女はデニスに次ぐキャリアを持つ探索者だ。これまでにも、多くの仲間の死を看取ってきた。だからこそ、こういう時にどうするべきかを理解しているのだろう。

 そして、それはクロエも同じだった。デニスの死を聞いても顔には一切ださず、予定通りに椎名と共にグリーンランド自治州へ向かった。自分が今、なにを優先するべきかを理解しているからだ。

 自分たちが今為すべきことはデニスの死を悼むことでも、ブラッドの減刑を求めることでもない。クランが直面している問題。欧州連合がこれから迎えるであろう危機に備えることであった。 

 そのためにも楽園との関係は密接に行う必要がある。


「まあ、お前がそれでいいならいいさ」 


 ヴァレンチーナも、あっさりと引き下がる。

 一応聞いてみただけでウェインや若い団員たちがなにを言おうと、オリヴィアの覚悟が揺らぐことはないと理解しているのだろう。

 それに、これでもブラッドはまだマシな方だ。もっと悲惨なのは、楽園に連れて行かれたカトルとポルスクだった。

 政府との話し合いは済んでいると言われ、オリヴィアもレギルからの要請を断ることが出来ず、二人を引き渡すしかなかったのだ。恐らくは〈北の狼フェンリル〉に関する情報を抜き出すつもりなのだと察せられる。

 どう考えても、二人が無事に生きて帰れるイメージが湧かなかった。

 とはいえ、結局のところはそれも自業自得だ。気にしたところで仕方がない。


「それよりも、相談があるんだけど……」 

「ないわよ。そんな予算」


 ヴァレンチーナが話を切りだす前に先手を打つオリヴィア。

 本題・・が別にあることに最初から気付いていたからだ。


「そんなこと言わず、話くらい聞いてくれてもいいじゃねえか!」

「どうせ、剣のことでしょ? オリハルコンの大剣なんて幾らすると思ってるのよ。いまのクランにそんな予算ないわよ」


 ヴァレンチーナの相談の内容が分かっていた。椎名の放った〈全は一ワンイズオール〉で、被害を受けたのはヴァレンチーナの大剣だけでではない。他のクランメンバーも装備が〈分解〉され、大きな被害を受けたのだ。

 被害を受けなかったのは、オリヴィアの着ていたメイド服だけだった。

 それは〈楽園の主〉が作ったものだからと納得したが、今回の件でクランが受けた被害は大きい。その上、いまはレッドグレイヴの支援も期待できない状況だ。そんな状況でヴァレンチーナの剣にだす予算など、あるはずもなかった。


「別に剣を買ってくれって言ってるんじゃねえよ。剣の製作に必要な金はアタシがだす。これでもAランクだぞ? そのくらいの貯えならあるしな」

「なら、私に相談する必要ないじゃない」


 自分で金をだすと言うのなら、オリヴィアに止める権限はない。

 そもそも探索に必要な装備やアイテムをクランが手配するのは、新人や低ランクのクランメンバーのためだ。クランとは相互扶助の組織で、新人の育成と探索者の死亡率を下げることを主な目的としているからだ。

 しかし、クランで用意できるのは、あくまで一般流通している汎用品。命を預けるのであれば、自分にあった装備を見つけるのが一番だ。

 だから高ランクの探索者は生産クランに、オーダーメイドの装備を注文することが多い。それだけの稼ぎがあるし、ヴァレンチーナほどの探索者であれば並の武器では彼女の力に耐えられないからだ。


「オリハルコンを大剣に加工できる職人なんて、簡単に見つかる訳ねえだろ。あの剣だって五年も待って、ようやく作ってもらえたんだぞ」

「ああ……そういうことね」


 ヴァレンチーナの話を聞き、オリヴィアは相談の内容を察する。

 ヴァレンチーナの使っていたオリハルコンの大剣は、生産クランのなかでも特に武具の製作に定評のある日本のクラン〈迦具土〉の代表、一文字鉄雄に製作を依頼したものだった。

 世界で三本の指に入る魔導具技師が製作した大剣だ。その代わりになるものなど簡単に見つかるはずがない。そもそもオリハルコンを加工できる職人ともなれば引っ張りだこで、仮に製作を依頼できたとしても何年も待つことになるのが普通であった。

 それに素材の問題もある。ダンジョンの素材のなかでも特にオリハルコンは稀少な金属で、市場に出回ることは滅多にない。ヴァレンチーナがオリハルコンを手に入れたのも本当に偶然で、ダンジョンの探索で運良く手に入れたものをクリステルのツテで〈迦具土〉に依頼し、大剣を作ってもらうことが出来たのだ。


「クリステルには相談したの?」

「したけど、肝心の素材がないことにはどうにもならないって言われてな。それに今はオーダーメイドの製作依頼を受けてないらしくて、何年先になるか分からねえって……」


 オリハルコンがなければ、武器は造れないというのは当然のことだった。

 それに一文字鉄雄は現在、活動を休止していた。

 彼ほどの職人は探しても簡単に見つかるものではない。

 一応、他に心当たりがない訳ではないが――


「無理ね。諦めなさい」


 肝心の素材がないのであれば、どうしようもないと言うのがオリヴィアのだした結論だった。

 そもそもオリハルコンがあったとしても武器を造ってもらうのに何年も待つ必要があるだろう。

 結局、いまはあるもので代用するしかない。


「それじゃあ、全力をだせねえよ」


 とはいえ、ヴァレンチーナの言っていることも理解できない訳ではなかった。

 彼女の力に耐えられる武器など、そうあるものではないからだ。

 市場に流通しているような武器では、まず彼女の力に耐えられない。

 ましてや〈悪竜を滅する光の剣バルムンク〉を放つことは不可能に等しいだろう。

 しかし、ダンジョンの攻略を進めるのであれば、 ヴァレンチーナの力は必要だ。クランにとっても痛手なのは間違いないが、だからと言ってないものはどうしようもない。

 どのみちクランの活動はしばらく休止せざるを得ないことから、ヴァレンチーナには我慢してもらうしかないと考えるオリヴィアだったが、


「だからさ。〈楽園の主〉に頼んでもらえねえかなって」

「……は?」


 想像もしていなかった、とんでもないことを言われて固まる。


「お前の装備って〈楽園の主〉から貰ったものなんだろう? そんなすげえのが作れるなら、武器くらいパパッと作ってくれねえかなって思ってさ。金ならだす! 条件があるならなんだってする! だから頼む! 頼むだけ頼んでみてもらえねえか?」


 そう言って手を合わせ、頭を下げるヴァレンチーナ。

 いま抱えている問題など些事に思えるほどの難題を持ち込まれ、オリヴィアは頭を抱えることになるのだった。

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