第254話 動き始める計画
『次のニュースです。イギリス政府は先の報道を受けて――』
テレビでは〈暁の夜〉とネットで騒がれているニュースについて報じられていた。
イギリスのロンドンで起きた不思議な事件。まだ朝陽が昇るには早い時間だと言うのに、空から暁の光が降り注ぐ光景を目にしたと言う人々が相次いだのだ。
それと時を同じくしてロンドンの各地で魔導具が消失すると言う事件が起き、レッドグレイヴ家の本邸で爆発が起きたと言う噂や、政治家と大企業の癒着や不祥事が露見するなど、いまイギリスは多くのニュースで混乱に陥っていた。
そうした流れを受けて政府にも動きがあり、この報道に繋がっていると言う訳だ。
「大変なことになっているようですね」
「まったくだ」
自分には関係ないと言った態度で優雅に紅茶を口元に運ぶ女性を、アレックスは訝しげな視線で睨み付ける。
アメリカのSランク探索者にしてギルドの理事を務めるアレックス・テイラーは、目の前の女性がイギリスの件に関与していると考えていた。
いや、正確には彼女の所属する
その国とは――
「それで、お話とは? 生憎と会長は
楽園だ。
そして、花冠のように見えるカチューシャ編みの長い銀髪。
紺と黒を基調したメイド服に身を包んだ彼女こそ、楽園のメイドの一人。
名はヘルムヴィーゲ。ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』に登場する〈
レギルが留守にしている時は、こうして彼女が来客の対応するのが決まりとなっている。アレックスもヘルムヴィーゲと顔を合わせるのは、これがはじめてのことではなかった。
だから彼女がこうして出て来ると言うことは、交渉に応じる意志がないと言うことも理解していた。
しかし、
「出張先と言うのは
今回に限っては、何も成果を得ずに帰る訳にはいかない事情がアレックスにもあった。
楽園とアメリカとの間で開発されたばかりのジェット機がイギリスで確認されたばかりか、今朝グリーンランドに向けてスタンステッド空港を飛び立ったとの報せを受けたためだ。
イギリスの件はこの際、自国のことではないと目を潰ることも出来るが、グリーンランドだけは話が別だった。
せめて、楽園の真意を確認しないことはアレックスも引き下がる訳に行かなかった。
「あそこはデンマークから独立し、現在は欧州連合の庇護下にあるのでしたね」
「そうだ。だから――」
「だからアメリカは手をだすことが出来ない。二十年前の取り決めで、欧州連合との間に交わされた約束。如何なる国家、組織もグリーンランドに干渉せず、独立を妨げてはならないでしたか」
ヘルムヴィーゲの言うとおりだった。
グリーンランドに出現したダンジョンの帰属を巡り、戦争の一歩手前まで進みそうになったところを止めたのが、世界探索者協会――通称ギルド。その代表理事に就任したばかりのエミリア・コールフィールドだった。
その時に交わされた条約が、グリーンランドの独立と自治を保障するものだったのだ。
デンマークがグリーンランドの独立を認めざるを得なかったのも、こうした背景があってのことだ。
外交的にも繊細な立ち位置にあるのが、いまのグリーンランド自治州だ。
探索者の出入りは自由だが、政治を持ち込まないことが暗黙の了解となっている。
世界で唯一、国の管理下にない開かれたダンジョン。
それがグリーンランド自治州のダンジョンであった。
なのに――
「〈楽園の主〉が飛行機に乗っていると言うのは、本当なのか?」
アメリカの情報局は問題の飛行機に〈楽園の主〉が搭乗しているという情報を掴んでいた。
これが、アレックスが慌てている最大の理由だった。
この二年の間、ずっと楽園に引き籠もって沈黙を守ってきた〈楽園の主〉が突然姿を見せたかと思えば、イギリスで騒動を起こし、更にはグリーンランドへ向かったとの情報を得たのだ。
なにかあると考えるのが自然だ。これで、なにもないと考える方がおかしい。
「例の条約は欧州連合とアメリカの間で交わされたものでしょう? 我々には関係のないことです」
「詭弁だ。仮にそうだとしても、いまになってどうして――」
楽園がグリーンランドに興味を持つ理由がアレックスには分からなかった。
グリーンランドだけではない。楽園が地球にそれほどの関心を持っているとは思っていなかった。
アメリカに対しても、これまでの楽園はどこか消極的と言うか、積極的に関わろうとする意志が見えなかったからだ。
楽園が〈トワイライト〉を窓口にしたのも、その意志の表れだとアレックスは考えていた。
なのに今回に限っては〈楽園の主〉が直接動いた。
これまでの楽園の行動を振り返れば、まずありえないことだ。
それに――
「代表理事はギルドに……いや、この世界に必要な御方だ」
アレックスが最も危惧しているのが、代表理事の――エミリアの安否だった。
領土的な野心がなく政治への関心も薄く、これまであらゆるものに興味を示すことがなかった〈楽園の主〉が自ら動く理由がグリーンランドにあるのだとすれば、それはエミリアの持つ
世界でも一人しか確認されていないユニークスキル所持者。
神託のエミリアの力に――
「なるほど。あなたがなにを危惧しているのかは分かりました。ですが未来を予知する程度の能力を、いと尊き御方が危惧されることはありません。あの御方にもまた未来が視えているのですから――」
確信はなかった。
だが、もしかしたらという考えはアレックスのなかにもあったのだろう。
楽園の主は複数のスキルを使いこなす存在だと噂されているが、それでも未来予知まで使えるはずがないと心の何処かで願っていたのだ。それはもはや人ではなく神と呼ばれる存在に等しいからだ。
「あなたは会長もお認めになった聡い人間ですから、既に気付いているのでしょう?」
「……やはり〈楽園の主〉は人ではなく神なのか?」
「神という存在をどう定義するかは人それぞれですが、そう呼ばれるに等しい力をお持ちなのは確かです」
ヘルムヴィーゲの言葉を重く受け止めるアレックス。
神に近い存在だとは思っていた。それでも自分の予想が外れていることを祈っていたのだろう。
神を相手に、まともな交渉など出来るはずもないからだ。
それにこの国の人々にとって、神とは特別な意味を持つ存在だ。ダンジョンが出現した今でも――いや、魔法やスキルと言った神秘が身近になったからこそ、人々は神の存在を身近に感じている。
そんななか本物の神が現れたと知れば、人々はどういう反応を示すだろうか?
(まさか、聖女は最初から気付いていて……)
十分にありえる話だとアレックスは考える。
エジプトのSランク探索者〈聖女〉シャミーナは最初から〈楽園の主〉に強い関心を抱いていた。
いや、あれは関心と言うよりは崇拝に等しい反応だった。
これまでは実体のなかった〈教団〉の神の正体が〈楽園の主〉なのだとすれば――
(やられた! 最初から〈聖女〉は〈楽園の主〉の正体を知っていた。だとすれば、楽園と〈教団〉は密かに繋がっていたと言うことだ。いつからだ。楽園はいつから計画していた)
アメリカやギルドの把握していないところで、楽園は着実に手を広げていた。
だとすれば、いまになって動き始めたのは準備を終えたからだと、アレックスは考える。
「楽園の主は……これから、なにをするつもりなのだ? いや、我々になにを求めている?」
なら、この状況でさえ〈楽園の主〉の手の平の上なのではないかとアレックスは考え、尋ねる。
相手が本物の神で未来が視えているのだとすれば、この場に自分が導かれた意味があるはずだと考えたからだ。
アレックスの問いにヘルムヴィーゲは薄らと微笑みを返すと――
「地上に楽園を築く。それが、いと尊き御方の願いです。
「それは……」
グリーンランドに楽園を築く。
そう言っているのだと、アレックスは理解するのだった。
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