第230話 楽園のメイド

 野次馬や逃げる人々の頭上を軽々と跳び越え、表通りに到着すると――


「やっぱり――」


 クロエはこの騒動を引き起こした犯人と思しき探索者・・・の姿を捉える。

 ここ最近、探索者の引き起こす事件が増えていた。

 その原因となっているのは〈月の楽園〉――正確には月面都市に理由があった。

 と言っても、楽園が地球に工作を仕掛けていると言った訳ではない。

 月面都市に行けるのはB級以上の探索者もしくはギルドからの推薦があるC級以上の探索者に限られているが、それでも申請が後を絶たないほどに月を目指す探索者が急増していることに要因があった。

 ようするに、高ランクの探索者が不足するという事態が各国で起きているのだ。


 探索者というのは基本的に荒くれ者が多く、なかには犯罪に手を染めるような輩も少なくない。しかし最低のEランクであっても一般人とは隔絶した力を持つ。そのため、探索者ライセンスを持たない普通の警察官では探索者を取り締まることが難しい。

 だから治安組織に協力して探索者を取り締まり、秩序を保っていたのもまた探索者であったのだが、取り締まる側の探索者が減ったことで事件が増えたという背景があった。

 悪いのは目先の利益に目が眩み、こぞって自国の探索者を月へ送り込んだ各国の政府なのだが、自分たちが非難されることを恐れた為政者たちはギルドに責任をなすりつけようとした。

 そんな真似をすれば、余計に探索者たちの反感を買うと分かっているのにだ。

 クロエがダンジョンのあるグリーンランド自治州ではなく母国のイギリスに帰ってきているのは、そうした政府の尻拭いをするためでもあった。

 クロエは世界に五人・・しかいないSランクの探索者だ。クラン〈円卓ラウンズ〉のリーダーにして〈剣聖〉の二つ名を持つことからも分かるように、世界一の剣士としても有名な欧州の英雄であった。

 そして、先に話した探索者による事件に対応するため、いま〈円卓〉のメンバーは欧州の各地に散っていた。クロエがテレジアを〈円卓〉に誘ったのも、副長のオリヴィアがこの件で奔走しているのを知っているので、少しでも力になりたいと考えたのだろう。

 

「おい! あれって、もしかして――」

「〈剣聖〉だ! 逃げるぞ!」

「くそ、なんだって〈剣聖〉がこんなところに!」


 クロエに気付き、逃げようとする三人の探索者。しかし、簡単に逃がすほどクロエは甘くなかった。

 散り散りに逃げる探索者との距離を一気に詰めると魔力を込めた拳を叩き込み、一瞬で対象の意識を刈り取る。そして、次のターゲットを確認して驚異的なスピードで間合いを詰め、二人目を蹴り飛ばす。

 Sランクの肩書きは伊達ではない。武器やスキルを使わずとも、並の探索者であれば一方的に制圧できるだけの力がクロエにはあった。

 しかし、


「止まれ! こいつがどうなってもいいのか!?」


 最後の一人が人質を取りながらクロエに叫ぶ。

 通行人と思しき女性を人質に取り、首にナイフを突きつける男。

 仲間をクロエに倒され、追い詰められて気が立っている様子が見て取れる。

 切迫した状況ではあるが、それでも冷静に男の隙を窺うクロエ。


「そうだ。なにもするなよ。余計な真似をすれば、この女の命はない」


 素直に要求に従うフリをするクロエ。

 相手の力量はD級程度。取り押さえることは難しくない。

 とにかくチャンスを待ってとクロエが男の隙を窺っていた、その時だった。


「は? なんだ、これは!」


 手足に糸のようなものが巻き付き、男の動きを奪ったのは――

 その直後、クロエが足を踏み出すよりも先に、なにかが男の頭上から接近する。

 そして、


「が……」


 後頭部に強い衝撃を受け、男の意識は闇の中へと沈むのだった。



  ◆



(テレジアも凄かったけど、この二人もかなりの実力者ね)


 テレジアの仲間と言うことで只者ではないと思っていたが、スカジとレティシアの見事な手際に驚くクロエ。

 男を拘束した糸はスカジによるもの。最後に男の意識を刈り取ったのは、レティシアの手刀だった。

 最低でも、Cランク以上はあると二人の実力を判断する。

 Cランクと言えば、ベテランの探索者だ。探索者と一口に言っても、その大半はDランク以下の探索者が割合を占めており、Cランク以上のベテランと呼ばれる一流の探索者は全体の一割に届かない。

 クロエがスカジたちの正体に疑問を持つのは、当然のことだった。

 しかし、


(シイナからは少しも魔力を感じなかったのよね。彼女たちは彼の護衛ってことなのかしら?)


 椎名はどこからどう見ても一般人だ。

 魔力を感じないし、武術を嗜んでいるようにも見えなかった。

 となれば、三人は椎名の護衛と考えるのが自然だ。

 自分が知らないだけで、日本の偉い人なのかもしれないとクロエは考える。

 それなら探索者でもないのに、マジックバッグを持っていた理由にも説明が付くからだ。

 それならそれで〈剣聖〉のことを知らなかったのは疑問が残るが――


(ギルドの関係者じゃなくて、どこかの御曹司かもしれないわね)


 それならリヴィに聞けば、なにか知っているかもしれないとクロエは考える。

 リヴィというのは〈円卓〉の副長、オリヴィア・レッドグレイヴのことだ。

 レッドグレイヴ家と言えば、英国を代表する大商会を経営する一族だ。

 政財界に顔の利く彼女であれば、なにか知っているかもしれないと考えたのだろう。


「レティシア、突っ走りすぎだ。殺してないだろうな?」

「あ、若様。剣は抜いていないから大丈夫です。街の治安維持は騎士の仕事でしたから、殺さない程度の手加減は出来ますよ?」

「そうなのか? 先代のことだから犯罪者はみんな悪・即・斬だと思ってた」

「なんですか、それ……」


 騎士や先代という言葉を聞いて、やはり立場のある人物なのだとクロエは察する。

 そうでなければ、これほどの実力者を護衛に従えることなど出来ないからだ。

 

「助かりました。ご助力に感謝します」


 そう考えたクロエは騎士らしく振る舞い、椎名に感謝を口をする。

 暴走しがちなところはあるが、これでも彼女は欧州の英雄と讃えられる探索者だ。

 公の場での作法や礼儀は相応に心得ていた。 

 円卓の騎士に恥じない立ち居振る舞いを、と普段からそうしたことに副長が厳しいからと言うのも理由にあるのだが……。

 それだけに――


「まったく、状況も確認しないで飛び出すなんて何を考えてるんだ?」


 子供を叱り付けるように椎名に注意され、まるでリヴィみたいとクロエは心の中で呟くのだった。



  ◆



 レッドグレイヴ家が所有するロンドン郊外の屋敷で――


「凄腕の探索者と出会った?」


 爆破事件のあらましをクロエから聞かされた屋敷の主――オリヴィア・レッドグレイヴは怪訝な顔を見せる。てっきりクロエが一人で事件を解決したと思っていたら協力者がいたと聞かされたからだ。

 しかも、クロエが凄腕・・と評価するほどの探索者ともなれば気にならないはずがない。


「何者なの?」

「分からない。でも、名前は聞いてるよ。シイナって名前の日本人で、使用人と護衛と思しき二人が一緒だった」


 聞き覚えのない名前にオリヴィアは首を傾げる。

 凄腕の探索者であれば、大体の人物は把握しているからだ。

 日本であれば〈勇者〉や〈神槍〉が有名だ。


「ああ、シイナは探索者じゃないよ。魔力をまったく感じなかったしね」


 そういうことかと、クロエの話にオリヴィアは納得する。

 それなら護衛の二人が犯人を捕らえたのだと察したからだ。


「使用人も凄かったけどね。探索者のひったくりを、あっと言う間に取り押さえてたし。レヴィより体術は上じゃないかな?」

「……それ、本当に使用人なの?」


 自分よりも上だと言われて、俄には信じがたいと言った顔を見せるオリヴィア。

 クロエの見立てを疑っている訳ではないが、オリヴィアはAランクの探索者だ。

 その自分よりも体術だけとはいえ、強い使用人がいるなどと簡単に信じられる話ではなかった。

 しかし、


(使用人……まさかね?)


 使用人と聞いて、ある存在がオリヴィアの頭に過る。


「でも、綺麗な銀髪だったなあ……。強いし、美人だし、テレジアが〈円卓〉に入ってくれたら、もっと人も集まると思うんだよね」

「銀髪? いま銀髪って言った?」

「あ、うん。それがどうかしたの?」


 銀髪と聞いて、まさかと言った表情で戸惑うオリヴィア。

 無理もない。クロエが認めるほどの実力者。メイド。それも銀髪と――

 これだけの条件が揃えば、あの国家のことが頭を過らないはずがないからだ。


月の楽園エリシオン


 楽園に所属する銀髪・・のメイドたちのことが、オリヴィアの頭を過るのだった。

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