第227話 王の帰還
椎名の失踪から現代の地球では
その間にも地球の情勢は刻一刻と変化し、概ね楽園を巡る各国の対応は二分化されていた。
楽園の存在を容認し、その力を利用しようとする者たち。
楽園を危険視し、社会から排除しようとする者たちの二つにだ。
とはいえ、こうなることは楽園の存在を公表する前から分かっていたことだ。
なによりサンクトペテルブルクの一件が、楽園が危険視される大きな要因となっていた。世界に五人しかいないSランクの探索者が殺されたというニュースが世界を震撼させたためだ。
そして、その事件の裏に楽園の暗躍があったという噂が囁かれていた。
ただ、それだけであれば大きな問題ではない。問題は――
「いま、〈狩人〉たちが情報源を探っています」
そう話すのはレギルだ。
いま彼女は月面都市に建設されたホテルのスイートで、ユミルと密談していた。
レギルから提出された資料に目を通しながら、ユミルは小さく溜め息を溢す。
そこには〈
裏社会で暗躍する魔法使いの集団だ。その起源は古くダンジョンが出現する前から存在する秘密組織らしいと言うことまでは分かっているのだが、〈狩人〉でさえ完全に動向を掴めないでいた。
サンクトペテルブルクの一件から、この組織の名前が浮上したのだ。
楽園の噂を流し、世論をコントロールしようとしている者たちの裏に〈結社〉の暗躍があると――
「噂の出所は問題ではないわ。私たちを排除しようとする存在がいることは分かっていたことでしょう? 大事なのは対応と対策よ」
「その件で、探索者ギルドの代表が主様への謁見を求めておりますが……」
そう言えばその件があったと、レギルからの報告に眉をひそめるユミル。
実のところ〈楽園の主〉との謁見を望む声が、ギルド以外からもたくさん寄せられていた。
気持ちは理解できるし、理由も察せられる。しかし、椎名が不在の状況を素直に明かせるはずもなく、いろいろと理由を付けて対応を先延ばしにしている状況であった。
幸い、三十年以上も楽園は存在を秘匿し、椎名もダンジョンに引き籠もっていた実情がある。そのため、いまのところは不審に思われていなかった。
楽園の主は、余程の事情がない限りは人前に姿を見せることは滅多にない。
そういう認識を持たれているからだ。
謁見を要請している国や組織もダメ元のようなところがあるのだろう。
「いつも通り断っておきなさい。人間たちの要請に応じる必要はないわ」
そのため、ユミルも断りを入れるようにとレギルに指示する。
そもそも人間たちの要請に応じる義務は〈楽園の主〉にはない。
先代の〈楽園の主〉も滅多に人前に姿を見せることはなく、二百年近く引き籠もっていた実例がある。
それが許されるのが〈楽園の主〉であるとユミルは考えていた。
なにせ〈楽園の主〉とは只人ではなく神人――この世界で言うところの現人神だ。
神が人の都合に振り回されると言うのもおかしな話だろう。
「私もそのつもりだったのですが、少し気になることがありまして」
ユミルの前に、魔導具と思しき腕輪を置くレギル。
見た目はなんてことのない普通の腕輪だが、ユミルは目を瞠る。
「これは、まさかマスターの?」
「はい。代表理事の使いを名乗る女性がこれを……」
「なるほど」
いつものように楽園で報告をするのではなく、レギルが月面都市に自分を呼んだ理由をユミルは察する。
恐らくそのギルドの使いは、いま月面都市に来ているのだと――
魔法薬であれば〈トワイライト〉から手に入らなくもないが、椎名の製作した魔導具は市場にほとんど流通していない。まったくないと言う訳ではないが、個人で所有している人間は稀だ。
それこそ、椎名から直接下賜される以外に入手の方法はないからだ。
なにより、この腕輪。間違いなく天使の素材で作られたものだった。
ユミルの知る限りで、そんな稀少な魔導具を人間に下賜したという話を聞いたことがない。
「いいわ。会ってみましょう」
「そう仰ると思い、ホテルのロビーで待たせています」
「さすがに用意周到ね。では早速――」
椎名の知り合いであれば、無碍にする訳にもいかない。
それに腕輪を手に入れた経緯は確かめておく必要があると考え、ギルドの使いに会うことを決めるユミルであったが、
「失礼します」
音もなく一人のメイドが姿を見せる。
花冠のように見えるカチューシャ編みの長い銀髪。
紺と黒を基調としたダークなメイド服に身を包んだホムンクルスだ。
彼女は〈
普段はレギルの秘書として〈トワイライト〉の仕事に携わっていた。
「〈狩人〉から連絡がありました」
スカートの裾をつまみながら恭しく頭を下げ、報告を続けるヘルムヴィーゲ。
「スカジ様が現在確認に向かっているとのことですが、地球で主様の姿をお見かけしたとのことです」
◆
俺は今、イギリスのロンドンにいた。なんで、そんなところにいるのかって?
本当は〈
ただ不幸中の幸いと言うか――
「ひさしぶりだな。スカジ」
「はい。まさか主様とこのような場所で再会できるとは思ってもおりませんでした」
俺も思ってなかったよ……。
実はイギリスに来るのは、これがはじめてではない。昔、両親と一緒に訪れたことはあるのだが、まさかこんなカタチで再びこの地に足を踏み入れることになるとは思ってもいなかった。
「若様、外を見てきてもいいですか?」
ホテルの窓から外の景色を眺め、好奇心に満ちた目で尋ねてくるレティシア。
この高級ホテルのスイートは、スカジが用意してくれたものだ。
なんでも〈トワイライト〉の支社が、このロンドンにもあるらしい。会社経営にはノータッチなので詳しくは知らないが、本当に手広くやってるんだなとレギルの経営手腕に感心させられる。
「あの……主様。そちらのお二人は?」
レティシアとテレジアのことが気になるらしく、尋ねてくるスカジ。
そう言えば、二人のことを紹介していなかったなと思い出す。
「レティシアとテレジアだ。レティシアは異世界の勇者で、テレジアはお前たちと同じ楽園のメイドだな」
俺が二人のことを紹介すると首を傾げ、念話で尋ねてくるレティシア。
『どうして今更、自己紹介を……? 彼女、
『一部の例外を除いて、ホムンクルスは人間であった頃の記憶を覚えていない。だから今はスカジと名乗っているけど、彼女にはオルテシアであった頃の記憶がないんだ』
『ああ、そういうことですか』
しかし俺の説明に納得した様子を見せ、席を立つと――
「レティシアです。先代の〈楽園の主〉のもとで騎士団長をしていました」
優雅にお辞儀をしながら挨拶する。そのあとに続くテレジア。
「テレジアです。ご主人様に命を救って頂き、いまはこうしてお仕えしております。皆様の話はご主人様より伺っております。同じ主に仕えるものとして、よろしくお願いします」
「あ、うん……えっと、よろしく?」
珍しくスカジが困惑していた。
とはいえ、異世界の勇者だ。新しいメイドだと紹介されれば、困惑するのも無理はないか。
しかし、この反応。やっぱり二人のことを覚えていないんだな。
少し寂しく感じるが、こればかりはどうしようもない。
いまのところ生前のことをちゃんと覚えているのはシオンだけだからだ。
テレジアも記憶を取り戻したと言っても、それは断片的なものに限られている。
ただ、テレジアが一部とはいえ記憶を取り戻したと言うことは、スカジも可能性はあると言うことだ。
そうだ。それで思い出した。忘れる前に確認を取っておかないとな。
「スカジ、一つ頼みがあるんだけど」
「はい、なんでしょうか?」
「身体を見せてくれないか?」
たぶん大丈夫だとは思うが、スカジは他のホムンクルスと少し違う。
人間がベースになったホムンクルスのようだしな。
テレジアと同じと考えると、一度は検査しておいた方がいいと考えていた。
ん? レティシアはなんで、そんな目で俺を見てるんだ?
「こ、ここでですか? あ、主様が望まれるのでしたら、覚悟は出来ていますが……ああ、こんなことならもっと可愛い下着をつけてきたのに……」
ただ診察するだけなのに慌てふためくスカジ。
別に服まで脱がなくてもいいんだけどな。診察だけなら〈解析〉で済む話なので。
『……マスター。鈍感ってよく言われません?』
失礼な。これでも勘は鋭い方なんだぞ?
『天然ですか……いえ、これも
容赦の無い言葉を浴びせてくるアカシャ。酷い言い掛かりだ。
どうして呪いのことを知ってるんだと思ったが、全知だしな。
そう言えば呪いの話で思い出したが、三大神器の残り一つがなんなのか褐色美少女に聞きそびれたままだったな。
『第七観測世界の三大神器のことですね。それでしたら既にマスターはご存じのはずですよ』
は?
カドゥケウスと〈黄金の蔵〉がそうだと分かっているけど――
『最後の一つは、神槍グングニール。世界樹から――――が作り出した神槍。本来の力を制限し、人間にも扱えるように調整されたものが〈
後書き
これにて過去編は終了です。
総括は後で近況ノートの方に投稿しておきます。
次回から現代編ならぬ〈円卓〉編に突入するので、お楽しみに。
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