第220話 魂の束縛と解放

 目を覚ますと、オルテシアは宮殿のような場所にいた。

 壁や床。それに天井のすべてが白く輝いていて、顔が映り込むほど丁寧に磨かれていることが分かる。塵一つ落ちていないことからも、手入れが行き届いて居ることが見て取れた。

 しかし、不思議なことに人の気配がまったくしない。

 厳かな静寂がその場を支配していた。


「ここは一体……」


 どうして自分がこんなところにいるのか分からず戸惑うオルテシアの耳に、


「ここは〈白亜の宮殿ヴァルハラ〉――英雄の魂が眠る場所です」


 凛と澄んだ声が響く。

 警戒しながらオルテシアが振り返ると、長身の女性が立っていた。

 腰元まで伸びた青みを帯びた黒髪・・に、白のワイシャツ。しなやかな足のラインが際立つ黒のスキニーパンツ。現代の日本でも通用しそうな格好をした女性の正体に気付き、オルテシアは慌てて膝をつこうとするが――


「そういうことはしなくていいわよ。あなたは私の家臣じゃないのだから」


 そんなことはしなくていいと、やんわりとした口調で女性はオルテシアを嗜める。

 女性の名はカルディア。この姿こそが、〈魔女王〉の本来の姿だった。


「あの……カルディア様。〈白亜の宮殿ヴァルハラ〉って……」 

「ああ、ここは〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉の中よ」

「え……」

「いまのあなたは魂だけの存在。なにがあったのか、覚えてない?」


 カルディアに尋ねられ、記憶を辿るオルテシア。

 魔王軍の前に現れた天使の片割れ、ラファエルと戦闘をしていたことは覚えていた。しかし〈魔剣創造ソードクリエイション〉を用いても決定的なダメージを与えることが出来ず、戦いは膠着状態に陥り――


「私は……そう、天使を殺せる武器を召喚しようとして……」


 オルテシアは〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉を再現しようとした。

 神すら殺せると伝えられる魔槍の力なら、天使も倒せるはずだと考えたからだ。

 しかし、それは魔導具の力を大きく超えるもので椎名から貰った〈魔剣創造ソードクリエイション〉が付与されたペンダントは砕け散り、そのあと意識を失ったことをオルテシアは思い出す。


「でも、あれは失敗したんじゃ……」

「いいえ、魔導具は壊れてしまったけど、召喚には成功した。ただ、呼び出したのは偽物ではなく本物・・だったのだけど」


 偽物ではなく本物を召喚したと聞かされ、驚くオルテシア。


「もっとも、天使を追い詰めたまでは良かったけど、魔力暴走を引き起こしたのは失敗だったわね。アルカが止めなければ、あなたは間違いなくモンスター化していたわよ。まあ、私も同じようなことを過去にしてるから強くは言えないけど……」


 魔力暴走を引き起こしてアルカに自分を殺させたことを、カルディアは今も悔やんでいた。

 だからオルテシアが同じような結果にならなくて良かったと思っている。

 しかし、


「陛下が……でも、どうやってモンスター化を止めたのですか?」  

「魔槍を奪って心臓に突き刺したのよ。いえ、魔槍にあなたの魂を吸収させたと言った方が正確ね」


 その結果、オルテシアの魂は魔槍に囚われることになった。

 魔女王に仕えた英雄たちと同じように――

 ただ、そうした英雄たちとオルテシアでは大きく異なる点があった。 

 それは――


「これだけなら肉体に魂を戻せば解決する話だったのだけど、あなたは魔槍に選ばれてしまった」

「それって、どう言う意味ですか?」

「そのままの意味よ。あなたがこうして意識を保ち、私と話が出来ているのは〈白亜の宮殿ヴァルハラ〉の管理者に選ばれたから。〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉の契約者になったと言うことよ」


 この〈白亜の宮殿ヴァルハラ〉は英雄たちの魂が眠る霊廟のような場所だ。

 主である女王が呼び掛けなければ、彼等が眠りから目覚めることはない。

 しかし、オルテシアはカルディアの呼び掛けなしに意識を保っていた。

 それは即ち、〈白亜の宮殿ヴァルハラ〉の管理者に認められたと言うことだ。


「でも、問題はそれだけではないのよね。あなた、既に契約してるでしょう?」


 カルディアにそう尋ねられ、〈魂の契約書ギアスロール〉のことがオルテシアの頭に過る。


「あ、はい。主様と……」

「あなたの主って、彼のことよね? とにかく、それが原因で二重契約になってしまって〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉が誤作動を起こしたというか、面倒なことになってしまっているのよね」

「それって……」

「魔槍の意志があなたの魂を〈白亜の宮殿ヴァルハラ〉に封じ込めようとしている。魂を奪われないようにするためにね」


 本来この手の契約がぶつかった場合、より強い拘束力を持つ契約の方が優先されるようになっている。悪魔の契約に例えるなら下級悪魔と爵位持ちの悪魔であれば、後者の契約が優先されると言ったようにだ。

 その点から言えば、力関係から言って〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉の契約が優先されるはずなのだが、そこは椎名の作った魔導具だった。契約の拘束力と言う一点に置いては、椎名の〈魂の契約書ギアスロール〉の方が強力だったのだ。

  

「普通ならありえないのだけどね。だから〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉も困惑しているのだと思うわ。こんなこと過去に一度もなかったから……」


 その結果、〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉はオルテシアに力を与えながらも、契約の対価を得ることが出来ない状態に陥ってしまっていた。

 だからオルテシアの魂を宮殿に封じ込めようとしているのだと、カルディアは説明する。


「だとすると、ここからでられないと言うことですか?」

「そこで提案があって、声をかけたと言う訳よ。私としてはあなたに残ってもらって、このまま話相手になってもらっても構わないのだけど、どうする?」


 意地悪な笑みを浮かべながら、オルテシアにそう尋ねるカルディア。

 それはオルテシアがどう答えるか、最初から分かっていての質問だった。 

 とはいえ、


「内容を教えてください。主様のもとへ戻れるのであれば、なんでもします」


 まったく迷う素振りなく即答するオルテシアに、カルディアは苦笑する。

 生き返れる方法があるのなら飛びつく者も当然いるだろう。

 しかし、オルテシアの場合は目的が違っていた。

 それは主との契約。椎名にメイドとして仕えることが彼女の望みだからだ。


「私と契約しましょう」


 カルディアはオルテシアに契約を持ち掛ける。


「契約の内容は、私が持つ魔法の知識と技術をすべてあなたに預けるわ。でもその対価に、あなたは〈白亜の宮殿ヴァルハラ〉の英雄たちを統べる〈守護者ゲニウス〉になるのよ」


 そうすれば、魔槍も諦めるはずだとカルディアは説明する。

 ようするに〈墓守〉をしろと言われているのだと、オルテシアは察する。

 確かにそれなら〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉を納得させられるかもしれない。

 しかし、


「私は主様以外の方を、主君と崇めるつもりはありません。それでも、よろしいのですか?」

「ええ、むしろあなたには家臣ではなく友達・・になって欲しいと思っているわ。これから長い付き合いになりそうだし、話相手になってくれる人が欲しかったのよね」


 カルディアの言葉に嘘はないと、オルテシアは判断する。

 確かにここは荘厳で美しい場所ではあるが、それだけに何もなく退屈な場所でもあった。

 話相手くらい欲しいとカルディアが思うのは、当然の願いだろう。


「分かりました。その提案、受け入れます」


 そう口にした直後、ガラスがひび割れるような音が響き――

 オルテシアの見ている景色が崩れ去るのだった。



  ◆



「お迎えがきたみたいね。まったく、アルカには困ったものね」


 オルテシアの魂が解放されたことを確認して、溜め息を漏らすカルディア。

 実はオルテシアに言っていないことがあった。

 オルテシアが〈魔女王の槍レジーナ・ハスタ〉と契約し、〈白亜の宮殿ヴァルハラ〉の管理者となった時点で、カルディアの魂は解放されていたのだ。だから本来であれば、カルディアは自由になることが出来た。

 きっと、それをアルカは見越して、オルテシアに魔槍を突き刺したのだろう。

 まだ力は完全に戻っていないが、それでもオルテシアの身体を奪い、復活するくらいのことは出来た。

 しかし、そんなことをカルディアは望んではいなかった。


「アルカ……あなたは今も自分を責めているのかもしれないけど、私は少しも後悔していないわ。心残りがあるとすれば、あなたに辛い役割を押しつけてしまったことだけね」 


 確かにカルディアは後悔しているが、それはアルカに仲間を殺すという罪を背負わせてしまったことだけだ。自らが取った行動については、少しも後悔していなかった。

 命を落とすことになっても、あれが最善だったと信じているからだ。

 それに――


「あなたが思っているほど人間は弱い生き物じゃない。次の世代はちゃんと育っているわ。〈三賢者わたしたち〉が必要とされない時代がやってくるのも遅くはないと信じている」


 英雄と呼ばれる人々を数多く見てきたカルディアは、人間の可能性を信じていた。

 だから自らを犠牲にしてまで国を、世界を救う行動を取ったのだ。

 この世界を滅亡から救うため、未来に繋げるために――


「だから、あなたも過去に縛られずに生きて……それが私からのお願いよ、アルカ」


 そう言って別れを告げると、カルディアは手の平を空に向け――

 小さな魂・・・・を解き放つのだった。

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