第217話 神の心臓
大結界の中心、嘗て〈白き国〉の王都があった場所。
その上空に門と呼ぶには余りに異質な――昏く深い
天使たちが〈
直径一キロメートルほどの巨大なゲート。
まるで深淵から何かに覗き見られているかのような錯覚を抱かせる。
天国と名はついているが、地獄へと通じる奈落の入り口と称する方が相応しい。
そんな黒い孔を地上から見上げる一人の女性の姿があった。
「ここに戻ってくるのは十年振りだね」
漆黒のフードの下から覗き見えるのは、灰色の髪と黄金の瞳。
それは
楽園の主にして〈至高の錬金術師〉の名で知られる神人――アルカだ。
「
天使に幻獣。ゲートから出現した無数のモンスターに取り囲まれながらも少しも動じることなく、アルカは腕を前にだす。
そして――
「
そう口にしながら腕を振ると、モンスターが消滅する。
まるで最初から存在しなかったのように〈分解〉され、魔力へと還る。
これが、本来のアルカだった。
理不尽なまでに強く、冷酷で、敵対する者には一切の慈悲もない。
目的を遂げるためであれば、
錬金術の実験と称して十を超える島を地図から消し、世界の果てを死の大地へと変えた。セレスティアと出会わなければ、恐らくこの世界は彼女の手で滅亡していただろう。
「もっとだ。もっと魔力が必要だ」
分解されたモンスターの魔力が、アルカのもとへと集まっていく。
それは椎名の〈
いや、〈魔力吸収〉を〈解析〉することで、自身が持つ知識と技術で〈再構築〉した新たなスキル――
「
これがアルカの導き出した答えにして、辿り着いた
神人などと呼ばれているが、結局のところは神の領域に至った人でしかない。
神に等しい力を手にしても、人のままでは神そのものに成ることは出来ない。
世界樹の巫女となることで人としての生を捨て、星霊そのものと化したセレスティアのように、より高位の次元に適応するためには進化が必要だとアルカは考えていた。
そこでアルカが目を付けたのが、人間がモンスターへと変異する現象だ。
アルカは人がモンスターへと姿を変える現象を、変異ではなく進化だと考えた。
呪いは人類を進化へと導く祝福でもあるのだと――
恐らく呪いに適応できた人間こそが、天使の正体なのだろう。
しかし、天使も結局のところは適応できただけで完成には程遠い失敗作だった。
彼等が至ることが出来なかったのは、適応するだけは不十分だからなのだとアルカは結論付けた。
神へと至るには、資格が必要なのだと――
それが、アルカの導き出した真理。そして、資格は既に得ていた。
「これこそ
集められた魔素が、まるで新たな神の誕生を祝うかのように黄金の輝きを放つのであった。
◆
なにやら凄いことになっていた。
大気中の魔素が渦を巻きながら結界の中心に向かって集まっていくのが確認できる。あの光の下に、恐らく先代がいるのだろう。
だって、こんな真似が出来るのは俺以外だと先代しかいないからな。
まさか、先代も俺と
たぶん先代も気付いたんだろうな。魔力を増やす方法に――
ああ、だからか。こっそりと何も言わずに姿を消したのは、これが目的だったのだろう。
分からなくもない。この手の実験と言うのは、錬金術を学んでいない人には理解されないものだからな。俺も実験のために一人で出掛けようとすると、よくメイドたちの引き留めにあったのを思い出す。
だが、
「独り占めはよくないよな」
この俺を出し抜こうとしたのは見過ごすつもりはなかった。
独り占めしたい気持ちは分かるのだが、さすがに欲張りが過ぎるのではないかと思う。
先代がその気なら俺にも考えがある。
『若様! なにを――』
頭にレティシアの声が響くが、
「
無視してカドゥケウスの力を解放するのだった。
◆
「……おかしい」
アルカの計算では、結界内の魔素をすべて集めれば〈
しかし、想定していたよりも遥かに魔素の集まりが悪い。
「魔素の流れが変わった?」
自身に向かって流れ込んできていた魔素が、別の場所に向かっていることにアルカは気付く。
こんな真似ができる人物は一人しか思い浮かばない。
間違いない。
「そういうことか。やっぱりキミは最初から気付いていたんだね。私の目的に――」
椎名が邪魔をする理由にも察しは付いていた。
この〈
敢えて椎名がいない時を狙ったと言うのに、本当にままならないものだとアルカは溜め息を吐く。
椎名に気付かれたら、止められると分かっていたからだ。
セレスティアに何も告げずに姿を消したのも、理由を話せば止められると分かっていたからだった。
「でも、譲るつもりはないよ。まだ目標の量には達していないけど、この天使の魔石を上乗せすれば――」
アルカが手に持っているのは、ラファエルから回収した魔石だった。
熾天使の膨大な力が封じ込められた魔石。所謂、疑似神核と呼べるものだ。
これを使えば、足りない魔力は補うことが出来るはずだ。
「
天使の魔石が〈分解〉され、アルカの体内に吸収されていく。
その直後、アルカの
まるで全身が燃えるような熱さに汗を滲ませ、悶え苦しむアルカ。
取り込んだ魔素の量が一定値を超え、アルカの身体を蝕み、進化を促そうとしていた。
並の人間であれば、この時点で自我を失い、モンスターと化している。
仮に適応できたとしても、天使のように不完全な失敗作となるだけだ。
しかし、
「
アルカには錬金術の奥義とも呼べるスキルがあった。
身体を蝕む
そして、自分自身の身体に〈再構築〉を使い、取り込んだ力を適応させる。
人が神へと進化するための儀式。
それこそが〈
「待っていてくれ、カルディア。私はこの力で、失ったすべてを取り戻してみせる。この国も、キミも、
地面に横たわるオルテシアに向かって、そう語りかけるアルカ。
国のために命を落とした親友の姿が――
世界樹の巫女となり、世界のために命を捧げた彼女の姿が――
頭に過る中、アルカは決意を口にする。
「私は私のやり方で〈
椎名のような才は自分にはないと認めた上で、アルカが導き出した
椎名と出会わなければ、とっくに諦めていただろう。
しかし椎名と出会い、その力を目の当たりにしたことで
真理を追い求める錬金術師としての魂に、再び火がついたと言ってもいい。
諦めかけていた
なら、手を伸ばさずにはいられない。それが、錬金術師なのだから――
「素晴らしいぞ、人間」
「――ッ!」
あと一歩で儀式が完了しようとしていた、その時だった。
背中から突き出す腕。
何者かの手がアルカの胸を貫いたのは――
「おまえ……は……まさか……」
その手には〈神核〉が握られていた。
アルカの霊核を触媒に魔素を吸収することで〈再構築〉された
「十年振りか? よくぞ、ここまで育ってくれた。錬金術師よ」
――ルシフェル。
そう呟きながら倒れるアルカを見て、六対十二枚の翼を広げながら、その天使は薄く笑うのだった。
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