第212話 異世界の勇者

(私は……)


 次々に襲い来る天使の群れと戦いながら、ユミルの意識は別のことに向いていた。

 いままでに感じたことのないの心の変化に戸惑っていたからだ。

 それが不安や戸惑いと言った人の持つ感情だと言うことに、彼女は気付かない。

 錬金術によって生み出された人工生命体――道具であるホムンクルスに感情も迷いも必要ない。どのような命令であってもマスターの指示に従い、遂行する。それがホムンクルスの使命であり役割だ。

 故に、これまで一度も悩みを抱いたことなどなかった。


(あの方はマスターで間違いない。あの御力は〈楽園の主〉でなければ、ありえないものだった。それに――)


 ホムンクルスが自分たちのマスターを見間違えることは絶対にない。

 すべてのホムンクルスは〈楽園の主〉と魂の契約で結ばれているからだ。

 だからこそ、誰一人として椎名がアルカに変装しているなどと疑わなかった。

 姿を偽ることは出来ても、魂まで偽ることは不可能だからだ。

 しかし、


(私はマスターを疑っている? でも……)


 ユミルは椎名の正体に気付き始めていた。

 なにか明確な証拠がある訳では無い。ありえないと言うことも理解しているのだ。

 それでも椎名は間違いなく〈楽園の主〉ではあるが造物主マスターではない。

 そうユミルの直感が訴えかけていた。

 しかし、仮に偽物であったとしても〈楽園の主〉であることは疑いようがない。

 それが、矛盾を生む。魂の契約は間違いなく椎名を〈楽園の主〉と認識しているからだ。


「お待たせ。随分と数を減らしてくれたみたいだね」


 後ろから追いついてきた椎名に声をかけられ、ユミルの〈心臓コア〉がドクンと音を立てて跳ねる。

 声や口調。それに仕草なんかも完全にユミルの知るマスターと同じだった。

 しかし、やはり違う。違和感を覚える。

 正直に尋ねてしまった方が、疑念を晴らしてしまった方が楽になる。

 そうと分かっているのに、喉元まで出ている言葉が口から出て来なかった。


(マスターが偽物だったとして、私はどうしたいの?)


 仮に偽物であったとしても〈楽園の主〉であることに変わりは無い。

 その資格を間違いなく目の前の人物は持っているのだ。

 なら道具ホムンクルス所有者マスターに従うべきだ。

 そうあるべきだと、ユミルは考える。


「どうかしたのかい?」

「いえ……これから、どうなさいますか?」

「〈天国の扉ヘブンズ・ドア〉のあるところに向かいたいけど、その前に寄りたいところがあるんだ。ついてきてくれるかい?」

「はい。ですが、その前に――」


 倒しても倒しても無限に湧き出る顔のない天使たちに向かって、ユミルは再び〈昏き終焉の光ラグナレク・ロア〉を解き放つ。

 そこに――


「――〈拡張魔法エクステンション〉」


 ユミルの攻撃に合わせるように、椎名がカドゥケウスの杖を使用する。

 数十、いや何百倍にも増幅された終焉の光が大地と空を覆い尽くし、視界に映るすべての天使を一瞬にして消滅させる。

 そのありえない力に驚き、やはりと確信するユミル。

 これだけの力。〈楽園の主〉でなければ、なしえないことだ。

 なら、考えるべきことは目の前の人物が本物か偽物かなどではなく――


「すっきりしたね。それじゃあ、行くか」

「仰せのままに」


 契約に従いマスターに付き従うだけだと、ユミルは疑念を振り払うのだった。



  ◆



「これならどうだ――怒れる大地の咆吼グランアース!」


 大地が揺れ、隆起した無数の岩がレティシアに襲い掛かる。

 しかし――


「無駄です」


 ウリエルの魔法は直撃することなく、レティシアの身体をすり抜ける。

 魔法・物理を問わず、ありとあらゆる攻撃を無効化する〈不可視の光鎧〉の力だった。

 熾天使のなかで、ミカエルを最強たらしめた神器。まさか、ミカエルを殺して神器を回収していただけでなく、ただの人間が神器を使いこなせるとは思ってもいなかったのだろう。

 いや――


「貴様、人間ではないな!?」


 人間であるはずがないと、ウリエルは叫ぶ。

 誰でも神器を持てば強くなれるのであれば、国の宝物庫になど仕舞っておかず使用するはずだ。しかし、大半の神器は国やギルドによって厳重に管理され、使い手が現れることのないまま秘蔵されていた。その理由は危険だからだ。

 神器は強力な魔導具ばかりだが、その反面で扱いの難しいものが多い。

 発動に魔法使い一人では到底賄えないような魔力を必要としたり、魔法の制御を誤れば暴走を引き起こすものなど危険なものばかりだ。

 本人が自滅するだけならば良いが、それで消滅した都市もあるほどだった。

 神器はその名が示す通りか、それに準じるものでなければ使用できない。それが、この世界の常識だ。

 なら、その神器を三つ・・も同時に扱えるレティシアが人間であるはずがないとウリエルが考えるのも当然であった。


「失礼な方ですね。まだ人間を辞めたつもりはありません」


 しかし、レティシアは否定する。

 そもそも〈人類最強〉の二つ名は、彼女が人間あることの証明でもあった。

 レティシアは間違いなく人間だ。神人に至っている訳でも、魔王でもない。

 ただ一つ言えることがあるとすれば――


規格外・・・とは、陛下にもよく言われていますけど……」


 そう、彼女は規格外だった。

 人間でありながら、すべてにおいて規格外な存在なのだ。

 どんな達人の技も一目で理解し、本人以上に使いこなすことが可能な実力を持ち、どのように扱いの難しい魔導具でも一瞬で使い方を理解し、完璧に使いこなしてみせる。アルカでさえ、完全武装したレティシアとは戦いたくないと口にするほどの規格外だった。

 弱点があるとすれば、レティシアは放出系の魔法を使うことが出来なかった。

 簡単な探知や補助的な魔法であれば使用できるのだが、攻撃系の魔法や高度な魔法は一切使用することが出来ない体質をしていた。とはいえ、それで困ったことなど一度もないのだが――

 彼女には、聖剣がある。

 この世界に存在しない物質で作られた聖なる剣。

 これこそ、まさに伝説の武器と呼ぶに相応しい聖剣が――


「だが、貴様の攻撃も俺には通らんぞ!」


 確かにレティシアの攻撃もウリエルには通用していなかった。

 聖剣で何度も斬りつけているが、ウリエルの防御を突破することが出来ない。恐らくは〈不可視の光鎧〉のように、攻撃を無効化するスキルを所持しているのだろうと察せられた。

 レティシアは椎名のように〈必中〉のスキルが使える訳ではない。攻撃系の魔法も使用することが出来ず聖剣も通用しないとあっては、負けないまでも勝つことは難しいだろう。


「確かに、このままでは攻撃が通りそうにありませんね。ですから、ここからは本気でいかせてもらいます」

「なんだと……」


 いままで本気でなかったと聞き、ありえないと言った表情を見せるウリエル。

 レティシアが嘗て無い強敵であることは、ウリエルも認めていた。

 だからと言って、人間を相手に天使である自分が負けるとは微塵も考えていなかった。

 冒険者として活動していた彼が〈要塞〉の二つ名を得ていたのは、鉄壁の防御を誇るからだ。ミカエルのように神器に頼った力ではない。熾天使の中でも〈最強の盾〉と自負するだけの能力が――。そのため、どんな攻撃も魔法も通さない自信がウリエルにはあった。

 ウリエルの能力は、単純に攻撃を通さないと言ったものではない。自身に向けられた力を、すべて無効化するというものだからだ。

 攻撃に限らず状態異常の類も一切通用せず、この世界に存在する力であれば、どんなものでも無効化する。魔法だけではない。星霊力を用いた秘術でさえもウリエルには通用しない。

 自分だけを世界の法則ルールの適用外に置く、神の摂理・・に干渉する能力。

 まさに熾天使に相応しい権能だ。

 故に、はったりだとウリエルは断じる。

 この世界に自分を倒せる者など存在しないと確信しているからだ。

 しかし、


「――聖気解放」


 レティシアの身体から人間のものとは思えないほどの力が溢れる。

 魔力でも、闘気でもない。まったくの未知の力。

 星霊力を疑ったウリエルだが、それとも違っていた。


「なんだ、それは……貴様、その力は一体!?」

「なにって聖なる気・・・・――聖気ですよ? 教会の関係者なのに知らないのですか?」


 聞いたこともない力に戸惑うウリエル。

 この世界で主に使われている力は、魔力と星霊力の二つだ。

 聖気なんて力は聞いたことがない。

 レティシアがなにを言っているのか分からず、益々混乱するウリエル。

 しかし、ある可能性がウリエルの頭に過る。

 未知の力。この世界にあるはずのない力を持つ存在など、たった一つしか思い浮かばないからだ。


「貴様、渡り人か!?」

「渡り人? ああ、異世界人のことですか。はい、そうですよ」


 ――異世界の勇者です。

 そう言って、レティシアが聖剣を抜いた直後――


「聖技――断滅」


 白い閃光が奔り、ウリエルの身体が縦に引き裂かれるのであった。

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