第209話 崩壊

 突然だが、いま俺はダンジョンの深層にある先代の研究所に来ていた。ホムンクルスの健康診断や避難の件もあるが、一ヶ月後に控えた作戦を前に〈天国の扉ヘブンズ・ドア〉を封印する装置の最終確認をしておきたかったからだ。

 いざ、本番で使用したら失敗しましたでは目も当てられないしな。

 こんなところにいて大結界の方は大丈夫なのかって?

 テレジアとオルテシア。それにレティシアもいるから問題ない。

 魔物が結界を越えるとアラートが発動し、転移陣が起動するように仕掛けを施してある。結界を越えてきた魔物やモンスター程度であれば、テレジアたちが対処してくれるだろう。念のため、〈空間転移〉を付与した〈技能の書スキルブック〉をテレジアに預けてきたしな。

 テレジアやオルテシアも強いが、完全武装したレティシアの力は〈原初〉に匹敵する。仮に〈奈落〉のモンスターが相手であっても後れを取るようなことにはならないはずだ。

 で、ホムンクルスたちはと言うと――

 

「マスター。こちらの作業は完了しました」


 ユミル以外は全員、研究所のポッドのなかで眠っていた。

 見覚えのある光景だ。ユミルに案内されて、ここをはじめて訪れた時のことを思い出す。でも、俺がユミルから聞いている話では、彼女たちを封印したのはユミルなんだよな。そこに先代は登場しなかったはずだ。

 まあ、これは封印と言うほどのものではないけど。

 どちらかと言うと、研究に協力してくれないかとセレスティアに頼んだ件に近い。

 暴走を引き起こすほどではないが、僅かに呪いの浸食と見られる症状が確認できるホムンクルスがいたことから、全員をポッドに入れてメンテナンスを行うことにしたのだ。

 自覚はないようだが疲労も蓄積しているようだし、このまま地上の作戦が終わるまでは眠っていてもらおうと思っている。あとのことは先代が上手くやってくれるだろう。


「これで全員か。それじゃあ、次はキミの番だけど」


 あとはユミルだけなのだが、なんか忘れている気が――


「まだ全員ではありません。エクストラナンバーが任務から帰還していません」


 エクストラナンバー?

 それって、アインセルトくんの家にいたホムンクルスのことだろうか?

 そう言えば、そんなことを先代が言っていたような記憶がある。

 でも、アインセルトくんの家にいたメイドは記憶にないんだよな。

 少なくとも現代の楽園に彼女はいなかった。

 ということは、たぶんそのまま月の楽園に残ったんじゃないだろうか?


「ん? 誰かが施設内に入ってきた?」


 ユミルとの話の途中で、装置の画面にアラートが表示される。

 施設内に誰かが入ってきたみたいだ。

 しかし、

 

「ご命令を頂ければ、排除してきますが?」

「いや、待ってくれ。悪いけど、ついてきてくれるかい? 手はださないように」


 画面にはシステムに登録されたIDが表示されていた。副会長のものだ。

 だが、それだけならアラートが表示されるのはおかしい。

 どうやら同行者がいるようで、侵入者を検知するシステムが起動したようだ。

 ユミルを向かわせると、問答無用でその侵入者を排除しそうだしな。

 ここは俺が確認に向かうべきだろう。


「せんせ――女王陛下!?」

「やっぱり副会長だったか。それに、もう一人は――」


 俺を見て、先代と勘違いした様子で慌てふためく副会長。

 そう言えば、変装したままだったな。

 もう、かれこれ二ヶ月近くこの格好でいるので忘れていた。

 とはいえ、近くにユミルがいるので正体を明かす訳にもいかないしな。


「アルカ様! 失礼しました」


 もう一人、副会長と一緒だったのは褐色美少女の従者さんだった。

 急いで膝をつく二人。この慌てよう何かあったに違いない。

 誤解を解くよりも先に、事情を尋ねた方が良さそうだな。


「随分と慌てている様子だけど、なにがあったんだい?」

「……大結界が消滅しました」


 従者さんから緊急事態を告げられるのだった。



  ◆



 二人の話によると今朝、突然〈大結界〉が消滅したそうだ。

 レティシアから魔導具を使った通信が褐色美少女の元に入り、話を聞いてすぐに状況を察した褐色美少女が『このことをシイナに伝えるのじゃ!』と従者さんに命じたそうだ。

 副会長はその案内役と言う話だった。

 今朝ってことは――


「既に半日以上が経過しているのか」

「申し訳ありません。これでも随分と急いだのですが……」


 申し訳なさそうに頭を下げる従者さんだが、彼女を責められない。

 ここはダンジョンの深層だ。普通は深層に辿り着くだけで片道三日は掛かる。

 それに〈紫の国〉のダンジョンに繋がるゲートは、ここから随分と距離があるはずだ。

 普通は半日で辿り着けるような距離ではなかった。


「転移のスキルを使ったのかい?」

「あ、はい。ただ、俺のスキルはダンジョンの階層をまたげないので……」


 どうやら深層までの道程は従者さんに頼ったようだ。

 言い難そうにしているところを見ると、たぶんテレジアの時のように荷物みたいに運ばれたんだろうな……。

 とはいえ、同じフィールド内であれば副会長のスキルは普通に使える。

 深層に辿り着いた時点で副会長のスキルで、ここまで転移してきたと言う訳か。

 確かにそれなら半日で辿り着けても不思議ではない。

 とはいえ、


「急いだ方が良さそうだね」


 半日しか経っていないのではなく、既に半日も経過していると今は考えるべきだ。

 急いだ方がいいだろう。しかし、どうなってるんだ?

 確かに霊脈を流れる魔力量は減っていたし、結界への魔力供給は足りていない状態だった。それでも俺の見立てでは、まだ一ヶ月近くは結界が保つと予想していたのだ。

 多少のずれがあるにしても、さすがに早すぎる。


「あの……アルカ様。一つよろしいでしょうか?」

「ん?」

「シイナ様はどうされたのですか?」


 そうだった。二人は先代ではなく俺を呼びに来たのだった。

 しかし、ユミルが一緒である以上は正体を明かす訳にはいかない。

 二人には悪いけど、ここは上手く誤魔化すしかなさそうだ。


「彼には作戦の準備で動いてもらってる。心配しなくていいよ」


 本当のことは言っていないが、嘘も言っていないしな。

 どことなく腑に落ちない様子を見せる二人だが、一応は納得してくれたようだ。

 考えようによっては、これで良かったのかもしれない。このまま先代の功績にしてしまえば、あとの面倒事は先代に押しつけて、俺は気兼ねなく元の時代に帰れるからだ。

 うん、我ながら妙案の気がしてきた。

 副会長や従者さんには悪いけど、このまま通させてもらおう。


「とにかく先を急ごう。〈帰還の水晶リターンクリスタル〉を使えば一瞬で――」

「マスター」


 帰りのために用意してあった〈帰還の水晶リターンクリスタル〉を取り出したところで、ユミルに声をかけられる。


「私も連れて行っては頂けないでしょうか?」


 まさか一緒に行きたいと言われると思っていなかっただけに驚かされる。

 この時代のユミルは未来のユミルと違って感情が希薄で、機械的なところがある。

 言ってみれば、受け身なのだ。

 こちらが命じたことしかしないし、命じられなければ何もしない。

 ホムンクルスとは本来そういうものだと、レティシアは言っていた。

 だから、こんな風に自分の意志を見せるとは思っていなかったのだ。


「それは、どうしてだい?」


 それだけに気になって尋ねる。

 一瞬、俺の知るユミルと彼女の姿が重なって見えた気がしたからだ。


「マスターを御守りするのが、私たちの使命です。危険な場所に出向かれると言うのであれば、どうか私たちをお使いください」


 そう思ったのだが、どうやら俺の勘違いだったようだ。

 とはいえ、どうしたものか。確かにユミルが一緒に来てくれるのなら大きな戦力になる。だが、同時に呪いのこともある。呪いの影響を防ぐ手段があるとはいえ、万が一がないとは言えないからだ。

 そう言う意味では、本音を言えばテレジアにも避難して欲しかったのだ。

 しかし、彼女は一緒に戦うことを望んだ。


「やはりダメでしょうか? 私ではマスターのお役に……」

「いや、いいよ。一緒に行こう」


 置いて行くことを考えたが、やはり未来のユミルと姿が重なる。

 話し方に抑揚が見られるというか、意志のようなものを感じる。

 もしかしたら少しずつ彼女のなかで感情が芽生えはじめているのかもしれない。

 もしそうなら、ユミルの願いを無碍にしたくなかった。

 俺もそうやって彼女に助けられてきたからだ。


「その前に、これをつけてくれるかい?」


 テレジアに渡したものと同じチョーカーをユミルにも渡す。

 と言っても、この魔導具もどこまで効果があるのか分からないと言うのが、正直なところだ。

 俺やセレスティアに掛かっている呪いと、人をモンスターに変える呪いでは効果も仕組みも異なる。ある程度は効果があることは確認済みだが、これをつければ安心と断言できるほどのものではなかった。

 だから――

 

「一つだけ約束してくれ。身体に異変を感じたら、すぐにこれを使用してダンジョンに退避すると――」


 そう言って〈空間転移〉を付与した〈技能の書スキルブック〉をユミルに手渡す。

 転移先は〈紫の国〉のダンジョンだ。

 ユミルであれば、しばらくは呪いに耐えられるはずだ。

 なら魔力暴走を引き起こす前にダンジョンのなかに退避すればいい。


「マスターのご指示に従います」


 まだ少し固い気がするが、いまはこれで十分だろう。

 打てる手は打った。あとは――


「みんな集まってくれ」


 まだ皆が無事でいてくれることを祈りながら、俺は〈帰還の水晶リターンクリスタル〉を使用するのだった。

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