第201話 レシピ本

「バ、バカな……」


 唖然とするミカエル。

 彼にとって絶対にありえない想定外の出来事が起きていた。

 紫の国へと進軍を開始したのは、一刻ほど前のことだ。

 国土の三分の一を覆う広大な森に差し掛かろうとした、その時だった。

 空が白く染まり、霊脈を押し流すかのように黄金の魔力が大地を奔ったのは――

 その影響で軍は半壊。兵士や騎士の多くが意識を失い、昏倒する事態になっていた。

 理由は考えるまでもない。


「呪いが浄化されたと言うのか!? ありえんだろう!」


 そう、呪いが浄化されたのだ。

 紫の国を侵食していた呪いだけでなく、兵士や騎士たちに掛かっていた呪いまで綺麗さっぱりと解除されていた。

 長い歳月をかけて準備をしてきた計画が一瞬にして水泡に帰したのだ。

 ミカエルが取り乱すのも無理はない。


「なにが起きたと言うのだ……。仮に〈浄化〉を使用したのだとしても、これだけ広範囲に効果を及ぼせる魔法など聞いたことがない。一体、なにが起きている」


 カドゥケウスを教会が管理していたのは、こうなることを恐れたからだ。

 しかし、あの杖にここまでの力がないことは教会も把握していた。

 だから聖女によって教会から持ちだされた後も、その所在を把握するだけに留めていたのだ。

 運良く杖が使えなくなったことを知り、回収は事が終わってからでも構わないと後回しにしていた。

 それが、まさかこのような事態に発展するなどと予期せぬことだった。


「――ミカエル団長!」

「今度はなんだ!?」


 天幕に駆け込んできたチョビ髭の指揮官に、苛立ちを隠せない様子で反応するミカエル。ミカエルの迫力に気圧されながらも報告しない方がまずいと思ったのか、指揮官は話を続ける。


「目を覚ました兵士たちが軍を離脱し、撤退を始めました」

「なに!?」

「神殿騎士からも離反者がでている模様です……」

「くッ!」


 なにが起きているのかを察するのは難しくなかった。

 呪いが解けた影響で、教会の施した〈精神支配〉も解除されてしまったのだ。

 教会が施した〈精神支配〉とは、思考や判断能力を鈍らせるものだ。これも呪いの効果を応用したもので、長い歳月をかけてマインドコントロールのようなものを反抗的な者たちに施していた。

 教会に逆らうことが出来ないように、信仰に疑念を抱かせないために――

 それが解けたと言うことは――


「しまった! このままでは教会が――」


 先程の光は〈緑の国〉にまで達していた。

 となれば、貴族たちに施した〈精神支配〉も解除されたに違いない。

 女王の考えに反対する者が減れば、内乱へと発展しかけていた情勢も大きく変わる。それだけであればいいが、信徒のなかにも〈精神支配〉の影響を受けている者たちは少なくなかった。

 正気を取り戻した者たちが、教会に殺到する光景が目に浮かぶ。


「終わるのか? 我々が準備してきた計画が……こんな一瞬で……」

「ミカエル団長……?」


 ミカエルの様子がおかしいことに気付き、戸惑う様子を見せる指揮官。

 しかし、そんな指揮官に気付く様子もなく、ミカエルは呆然とした表情でブツブツと念仏のように何かをつぶやき続ける。

 そして、


「そうだ。すべて、あのイレギュラーの所為だ。そうに違いない」


 すべてを悟ったミカエルの瞳に憎悪が宿る。


 「ミカエル団……ひいっ!」


 ミカエルの赤い髪が銀色に染まったかと思うと、背に三対六枚の翼が現れる。

 天幕を一瞬にして吹き飛ばすほどの強大な魔力に怖じ気好き、涙と鼻水を流しながら指揮官は一目散に逃げる。

 そして、


「どうやったのかは知らないが、後悔させてやるぞ。イレギュラー!」


 翼を羽ばたかせ、ミカエルは空の彼方に姿を消すのだった。



  ◆



「本当にこれだけでよろしいのですか?」

「ああ、十分だ」


 俺が選んだのは、魔導具が全部で十個に魔導書が九冊。

 そして、タイトルの記されていない本の合計二十点だった。

 このタイトル不明の本だが、魔導書のなかにまったく魔力を感じない本が混ざっているのが気になって手に取ってみたのだが、面白いことが書かれていたのだ。

 なんと、この本。レシピ本だった。

 レシピ本と言っても料理のレシピではなく錬金術のレシピが記された本だ。

 と言っても、似たような本は楽園の図書館にもたくさんあった。そのほとんどが既に知っているものや参考にならないような偽物ばかりだったのだが、この本は違った。

 俺の知らない本物と思しきレシピが記されていたのだ。

 それも〈拡張〉を使えるようになる前であれば、試せなかったレシピが――

 勿論、本物ぽいと言うだけで、本物であるかどうかは実際に試してみなければ分からない。

 しかし、なんとなく運命を感じて、この本を選んだと言う訳だ。

 

「ああ、そうだ。これ」

「はい? これは……な、まさか!?」


 ここまで案内してくれた宮廷魔法使いの人に紙の束を手渡す。

 宝物庫の魔導具や魔導書を〈解析〉した結果を〈転写〉のスキルで紙に写し取ったものだ。

 簡単ではあるが、効果や使い方も記載してある。

 扱いに注意が必要な魔導具もリストにして分けておいた。

 かなり雑に保管されていたしな。これでちょっとは管理がしやすくなるだろう。

 これだけでいいのかと聞かれたが、二十点も貰えば十分過ぎるしな。

 正直、貰いすぎなくらいだと思っているくらいだ。

 だから、その分はバランスを取っておかないとな。

 あとは――


「扉の封印も少し弄っていいか?」

「え、はい。そのようなことが可能なのですか?」


 宝物庫を開ける度に十人掛かりで封印を解いて、また封印を施すなんて手間が掛かり過ぎるしな。

 ちょっとした改良を加えようと考えていた。

 以前、俺が開発したもので霊基情報を記録させることの出来る魔導具があった。

 それと組み合わせれば、


「〈構築開始クリエイション〉」


 魔導具に登録された人物であれば、簡単に封印ロックを解除できる扉のできあがりと言う訳だ。ついでに封印の方も術式が古いので新しいものに変え、セキュリティを強化しておく。

 こういうのは古いのをずっと使っていると、対策されやすくなるからな。


「完成だ」 

「まさか、術式を書き換えたのですか? この一瞬で……?」


 楽園の〈工房〉でも使っている既存の技術だしな。

 あるものを組み合わせただけなので、このくらいなら造作も無い。

 それよりも実験だ。早速、手に入れた魔導具も使ってみたい。

 それに、


「これが封印の鍵になる魔導具と説明書だ」

「あ、賢者様!?」


 レシピ本に書かれている内容が本物なのかも確かめておきたいしな。

 実験に丁度良い人気のない場所を探して、城の外へと向かうのだった。



  ◆



「宝物庫の鑑定リストじゃと……?」

「はい。それも、効果や使い方まで記された詳細なものです。その上……」


 宝物庫の封印を強化してもらったと聞き、その鍵となる魔導具を宮廷魔法使いに渡されて、サテラはなんとも言えない複雑な表情を見せる。

 御礼のつもりで宝物庫の品を譲ったというのに、これでは更に借りを作ったようなものだからだ。

 本来であれば、宝物庫の宝をすべて差し出しても釣り合わないほどの恩を受けていると言うのに――


「選んだのは二十だけじゃと……? それもよく分からない魔導具や魔導書ばかり……これでは礼にならんではないか」

「そう思い、私も確認を取ったのですが『これで十分』だと仰いまして……」


 なんと欲がないと、サテラは困った顔で溜め息を吐く。

 しかし、よく考えれば相手は〈楽園の主〉の後継者に選ばれた錬金術師だ。

 宝物庫に収められている程度の魔導具や魔導書など、必要とは思えない。

 となれば、最初から報酬が目的ではなかったと考えるのが自然だった。

 受けた恩をなにも返さなければ、国の面目が立たない。

 だから体裁を整えるために、宝物庫の宝を対価に要求したのだと――


「まったく……欲がないというのも困ったものじゃな」

「神に等しい御方ですから無理もないかと……。あの方のために我々が出来ることは少ないと考えます。ですから王都の中心に賢者様の彫像を建てるのは如何でしょうか? 我々の感謝を示すことが出来ますし、賢者様の偉大さを後世に伝えるのに一役買ってくれるかと」

「それはよいな! できるだけ大きな像を建てるのじゃ! 素材はそうじゃな。オリハルコンはどうじゃ?」

「さすがにそれだけの量のオリハルコンを用意するのは……せめてコーティングが可能か、協議してみます」

「うむ、任せたぞ」


 宮廷魔法使いの案に満足した様子で頷くサテラ。

 さすがの椎名も自分の与り知らぬところでオリハルコンの像を建てる計画が進行しているとは知る由もないのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る