第198話 賢王の策
「避難民どもがいなくなっただと!? どういうことだ!」
斥候からの報告を聞き、怒鳴り声を上げる青白い鎧に身を包んだ男。
四十半ばのチョビ髭を生やした彼は神殿騎士の一人で、教会から派遣された先行部隊の指揮官だった。
本隊が到着するまでの間、〈紫の国〉の避難民が暮らす集落の監視を命じられていたのだが、斥候から避難民の姿を発見するどころか痕跡すら見つけることが出来なかったと報告を受け、焦っていた。
「ありえん! どこに消えたと言うのだ!? 本当に森の中を隅々まで捜したのだろうな!?」
彼がありえないと断じるのには理由があった。
紫の国の王都はモンスターの巣窟と化し、引き返すことなど出来ない状況だ。
その上、紫の国の西側には〈魔女王〉の張った結界があり、大陸の東西を分断していた。
だから〈緑の国〉に避難民の受け入れを要請したはずだ。
なのに――
「もしや〈魔海〉を迂回したのではないか?」
「そちらにも別働隊が展開していますが、報告は入っていません」
「なら、どこに消えたと言うのだ!?」
魔海を迂回したのではないかと指揮官は考えるが、それを部下は否定する。
当然そうした行動にでることは、教会も想定して作戦を立てていた。
だから南側から迂回するルートにも部隊を配置してあったのだ。
しかし、そちらの部隊からも連絡は入っていなかった。
「どうなさいますか?」
「決まっているだろう! 捜せ、どんな手を使っても奴等を見つけ出すんだ!」
指揮官に命じられ、急いで任務に戻る兵たち。
避難民を見失ったと報告すれば、間違いなく指揮官の首は飛ぶ。
誇張ではなく、文字通り物理的に首が飛びかねない。
肝心の魔族が見つからないのであれば、〈紫の国〉に攻め入る理由がないからだ。
「困りましたね」
「誰だ――ミカエル団長!?」
慌てて姿勢を正し、敬礼する指揮官。
いつからそこに立っていたのかは分からないが、金色の瞳に炎のように赤く染まった長い髪の若い騎士が立っていた。
指揮官が慌てるのも無理はない。
彼の目の前にいる人物こそ、教皇に次ぐ地位を与えられた人物。
神殿騎士の頂点に立つ男、団長のミカエルであったからだ。
「避難民が消えたと言うのは、事実なのですか?」
「目下捜索中であります!」
「私は事実だけを聞いているのです。見つからなかったのでしょう?」
「……はい」
金色の瞳に睨まれ、観念して答える指揮官。
顔が青白く染まり、ガタガタと小刻みに身体が震える。
自らに待ち受ける最悪の未来を想像して、脅えているのだろう。
「妙ですね。まさか、王都に戻った? そのようなことが……」
ありえないと口にしながらも、逡巡するミカエル。
いまから王都に戻るのは自殺行為だ。しかし、そうでなければ避難民が消えた理由の説明が付かないと考えたからだ。
仮に王都に戻ったのだとすれば、王都をモンスターから奪還する手立てを見つけたと言うことになる。しかし、現在の魔王軍の戦力だけではモンスターから王都を奪還するのは難しいと教会は考えていた。
だから魔王の帰国を阻もうとしたのだ。
「魔王の消息は?」
「国境の砦で暴れてからの消息は不明です。南の山道を封鎖しておりますが、そちらにも現れていないと……」
指揮官の話を聞き、ミカエルは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
あの男の仕業だと――ガブリエルを殺した錬金術師の顔が頭を過ったからだ。
だとすれば、避難民は王都に向かった可能性が高いとミカエルは考える。
イレギュラーと魔王が一緒なら、王都の奪還も不可能ではないと考えたからだ。
「すぐに全部隊を召集しなさい。王都へ向かいます」
「まさか! 魔族どもは王都に戻ったと?」
「恐らくは魔王と合流したのでしょう。それ以外に考えられません」
「し、しかし、王都に攻め込むには大義名分が……あの女王がなんと言うか」
「理由など、あとからでも用意できます。なんでしたら〈紫の国〉をモンスターから解放するため、軍を向かわせたと〈緑の国〉の女王には説明すればいい」
緑の国が教会からの要請を拒んでいることは、ミカエルの耳に入っていた。
現在、女王が教会の調査を命じたことで、教会を擁護する貴族たちと女王派の間で対立が起き、内乱の一歩手前にまで状況は悪化していた。しかし、それこそがあの女王の狙いなのだとミカエルは考える。
伊達に〈賢王〉などと呼ばれてはいない。〈緑の国〉の女王は国を存続させるために貴族たちを煽り、内乱を起こす道を選んだのだ。内乱となれば、教会を擁護している貴族たちも援軍をだす余裕などなくなる。
そうして時間を稼ぎ、巫女姫が介入する理由を用意するつもりなのだろう。
「まったく厄介な人間だよ。もっと早く始末しておくべきだった」
慎重に事を進めようとしたのがあだになったと、ミカエルは歯軋りする。
「なにをしている、早く行け! 夕刻には本隊が到着する。それまでに準備を終わらせるんだ。間に合わなければ――分かっているね?」
「はッ!」
慌てて天幕を飛び出して行く指揮官を見て、ミカエルは溜め息を漏らす。
神に選ばれし者と、そうでない者。その差は明白だ。
なのに〈楽園の主〉と〈巫女姫〉はそんな人間たちの味方をしようとした。
神の試練を乗り越えるほどの才能に恵まれながら、恩寵を拒んだのだ。
それが、ミカエルには理解できなかった。
「まあ、いい。もう、この世界は終わっているのだから……」
ガブリエルは殺されたが、彼の遺した
紫の国だけではない。世界を呪いで覆い尽くす日も遠くはないだろう。
魔女王の張った結界が壊れるのが先か、呪いが世界を覆い尽くすのが先か――
いずれにせよ、この世界が滅亡することはミカエルのなかで決まっていた。
「精々、足掻くが良い。我等の計画に狂いなど、あるはずもないのだから――」
◆
「あの女がそこまで考えておるかの?」
王都まで退けば〈緑の国〉は教会の要請に応じず、攻めてこないというエレノアの主張に一度は同意したものの納得の行かない様子を見せるサテラ。
頭では理解しているのだが、相手が相手だけに素直になれないのだろう。
サテラが〈緑の国〉の女王を良く思っていないことは、エレノアも承知していた。
しかし、
「あの方は〈賢王〉と呼ばれるほどの名君ですよ。力が尊ばれる魔族と違い、謀略が渦巻く人間の貴族社会で政争に勝利し、若くして女王となった才覚の持ち主です」
「その言い方じゃと、妾が脳筋みたいに聞こえるのじゃが……」
「実際、コルネリア様に口で言い負かされて、のらりくらりとかわされていましたよね? 口では勝てないと思ったら、すぐに力で解決しようとするのは悪い癖ですよ」
「ぐ……御主、どっちの味方なんじゃ……」
「勿論、陛下です。ですが、なんでも肯定するのは陛下のためになりませんから」
エレノアの正論に、まったく反論が出来ずに唸るしかないサテラ。
口では勝てないと悟り、話題を変えようと空を見上げる。
王都の遥か上空に椎名の姿があった。
漆黒の外套を纏い、右手には〈カドゥケウス〉が握られている。
「シイナが失敗すれば、王都の民と心中を図るしかないの」
「信じておられないのですか?」
「信じておらぬなら頼ったりはせぬよ。じゃが、本当にこれでよかったのかと考えることがある。一人でも多くの民を救うために、妾はシイナを頼った。しかし、それはシイナに民の命を託すと言うことじゃ」
サテラがなにを迷っているのかを、エレノアは理解する。
本来であれば魔王である自身が追うべき責任を、この国とは無関係の椎名に押しつけてしまったことを後悔しているのだと――
しかし、エレノアはサテラが間違ったことをしたとは思っていなかった。
民のために涙を流し、頭を下げられる王がどれだけいるだろうか?
サテラは若く、魔王としてはまだまだ未熟だ。
それでも、この方が魔王で良かったとエレノアは心の底から思っていた。
それに――
「信じましょう。シイナ様を」
椎名であれば、自分たちには想像もつかないような奇跡を見せてくるかもしれない。
そんな予感をエレノアは感じるのだった。
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