第159話 商売繁盛(後編)

「霊薬に次ぐ効果を持った最上級の回復薬に、稀少なマナポーション……信じられないわ。娘から講義の話を聞いてはいたけど、いつの間にこんなものを作れるようになってたのよ……しかも、それを聖金貨五枚で販売したって」


 どういうことかと問い質すような視線をサリオン家の当主ロゼリアに向けられ、額に冷や汗を滲ませながら緊張した面持ちでマルタ商会の会頭は答える。


「錬金術師様のご要望でして……誰でも買える・・・・・・価格にしてくれと……」


 聖金貨と言うのは〈青き国〉で流通している通貨の一つで、一枚あたり大凡一般的な四人家族の世帯が一ヶ月は不自由なく暮らせる程度の価値がある。それが五枚と言うのは大金ではあるが、ある程度の稼ぎがある冒険者であれば払えない額ではない。

 そもそも最上級の回復薬ともなれば、聖金貨二十枚が相場だ。マナポーションも同程度が相場であった。しかも、椎名の生徒たちが作った薬の品質は文句の付けようがないくらいに高いものだ。相場の倍以上の値を付けたとしても欲する貴族や商人は少なくないだろう。

 それを誰でも――いや、この場合は冒険者であれば手の出る金額に抑えた。

 その意味を考えさせられる。


「やはり〈大災厄〉に備えて、冒険者の生存率を可能な限り高めることが狙いなのだろう」


 四ヶ月後に世界の滅亡が迫っていることは、アインセルト家の当主の耳にも入っていた。国際会議に確実な参加を促すため、星詠みの内容を事前に各国の首脳部へと報せておいたからだ。

 それだけに椎名の取った一連の行動は、来るべき日に備えたものだと察せられる。 

 一般の兵士では、深層クラスのモンスターが相手では無力だ。そのため、モンスターとの戦いに慣れたベテランの冒険者たちに期待するしかない。彼等の生存率を高めることは国を守り、多くの命を救うことに繋がる。それが椎名の考えなのだろう。


「あの方は本気で世界を救うつもりなのね。そして、可能な限り多くの命を救おうとされている……」


 楽園の主の後継者にして、三人目の新たな神人である椎名にここまでのことをさせたのだ。

 この世界のために自分たちが出来ることを真剣に考えさせられる。なのに何処の国が主導権を握るかで水面下の攻防が繰り広げられ、冒険者の引き抜き工作まで行っている国があるのが実情だ。

 世界の滅亡が迫っているこんな時にまで、人間は手を取り合うことが出来ず自分たちのことばかりを考えている。


「ロゼリア」

「分かっているわ。主導権争いなど二の次だと言うのでしょう? 神に等しい御方にここまでのことをさせて、そんな恥ずかしい真似が出来るはずもないわ」


 椎名の考えを知れば、政治の話を持ち込むことなど出来るはずもなかった。

 ただ、すべての国がそうした考えを持っているのであればいいが、そうも行かないのが政治の世界だ。冒険者の引き抜き工作を行っている国も我が身可愛さと言うだけでなく、国を守るために取っている行動でもある。

 そうした者たちに椎名の考えを押しつけるのは難しいだろう。


「協力できない国は無視すればいいわ」

「いや、それは……」

「女王陛下だって、最初からそのつもりだと思うわよ? 現実を直視できない愚かな人間は必要ないって、あの御方ならその国に生まれた者たちも同罪と見做して切り捨てるわ」


 そうした冷酷さを持っているからこそ〈至高の錬金術師〉は恐れられ、いまも歴史に名を遺しているのだ。それはロゼリアに言われるまでもなく、アインセルト家の当主も理解していた。

 しかし、椎名の人柄に触れると本当にそれでいいのかという考えが頭を過るのだ。

 闇ギルドの一件から見るに誰に対しても甘い訳ではなく、罪を犯した者には容赦のない一面があることも分かっている。それでもすべてを同罪と見做すのではなく、臨機応変に対応する柔軟さと度量も持ち合わせている。そこが女王との違いだとアインセルト家の当主は考えていた。 

 甘いという考え方もある。しかし、厳しさだけが王の器ではない。

 優しさもまた、王に必要な資質の一つではないかと椎名を見ていると考えさせられるのだ。

 あの方であれば、真の楽園を築けるかもしれない。そんな期待を抱かせてくれる。

 それがアインセルト家の当主から見た椎名という人物だった。


「……世界の滅亡が迫っていることを公表し、希望者は楽園で受け入れる。それが他国から民を引き抜く結果に繋がったとしてもだ」

「いいの? 無事に災厄を乗り越えることが出来たとしても最悪の場合、戦争になるわよ?」

「構わん。どのみち地上が滅びてしまえば終わりだ」


 国がなくなってしまえば戦争どころの話ではないと、ロゼリアの問いにアインセルト家の当主は答える。それに〈大災厄〉を無事に乗り越えたとしても、国同士で争うほどの余力が人類に残されているとは思えなかった。

 それに――


「仮に戦争を仕掛けてくるようなら分からせてやればいい」

「その考えは嫌いじゃないわ」


 アインセルト家当主の力強い言葉に、笑みを浮かべながら同意するロゼリア。

 これまで楽園は中立を保ってきたが、それは〈楽園の主〉に領土的野心がなく楽園の人々もまた地球に関心がなかったからだ。錬金術によって整えられた環境は月の上だと思えないほど快適で過ごしやすく、天候の変化による自然災害や飢えの心配をする必要がない。楽園に辿り着いた人々にとって、まさに楽園はその名の通り理想郷と呼ぶべき場所であった。

 だからこそ、これまで楽園の方から地球の国々に干渉するようなことはなかったのだ。

 しかし、関心が薄く中立であることが無力であるとは限らない。

 むしろ楽園に辿り着くまでの道程が過酷であることから、楽園のギルドに所属する冒険者のレベルは地球の国々と比べてもかなり高い。ミスリル級以上の冒険者パーティーでなければ、深層で活動することなど不可能だからだ。

 その上、錬金術師の作った国と言うだけあって技術水準も高く、アインセルト家に伝わる〈炎の魔剣〉のように錬金術師が製作した魔導具が貴族の家には代々継承されていた。

 それに――


「だが、そもそも楽園に辿り着けると思うか?」

「まあ、無理でしょうね」


 少数精鋭なら楽園に辿り着ける可能性はあるが、軍隊が無傷で楽園に辿り着くことは不可能だろう。

 ダンジョンを数で攻略しようとした国は過去にもあるが、いずれも上手くは行った試しはない。全員がミスリル級以上の力を持っているならともかく、そんな軍隊など存在しないからだ。

 むしろダンジョンでは、モンスターと戦えない兵士など足手纏いでしかなかった。


「明日の会議は荒れるわね」

「最初から分かっていたことだ」



  ◆



「一人当たり聖金貨二百枚とか……どうするんだよ。これ……」


 何度も聖金貨の枚数を数えて、頭を抱えるソルム。

 彼が頭を抱えるのも無理はない。全員で分けても一人当たり聖金貨二百枚という大金が手に入ってしまったからだ。

 勿論、こんな大金は受け取れないと辞退しようとしたのだが、受け取ってもらわないと困るとマルタ商会の会頭に泣きつかれ、強引に押しつけられてしまったのだ。


「……イグニスとレイチェルは平気そうだな」

「大金だとは思うけど……」

このくらい・・・・・の金額なら見慣れていますから」

「そう言えば、こいつら超絶お坊ちゃんとお嬢様だった……」


 大貴族の跡取りに尋ねたのが間違いだったと、ソルムは溜め息を漏らす。

 そんなソルムの反応にイグニスは首を傾げる。


「ソルムの家も十家の仲間入りをしたんだろう? 僕たちと変わらないんじゃ?」


 青き国の十家と言えば、楽園の三大貴族に相当する立場だ。

 立場的には変わらないというイグニスの主張は間違ってはいないのだが――


「選ばれたと言っても、うちの家はお前等の家みたいに貴族でもなんでもないしな」


 お金に困っている訳ではないが、それでもアインセルト家やサリオン家と比較すれば、ソルムの家は一般庶民と言っても差し支えのないレベルだ。楽園の大貴族と同じ扱いをされても困るというのがソルムの本音だった。


「いっそ、使い道に困るくらいなら先生に突き返すか?」


 椎名の仕業だと察した上で、ソルムは皆にそう提案する。

 お金が欲しくないと言えば嘘になるが、それでも限度がある。学生の自分たちがこんな大金を持っていても、面倒なことに巻き込まれる未来しか見えないと考えたからだ。


「それはやめた方がいいと思う」

 

 しかし、アニタはそんなソルムの提案に待ったをかける。

 ソルムの心配は理解できるが、商会から渡された報酬を椎名に突き返すような真似をすれば困るのはマルタ商会だ。それに商会を通じて報酬が支払われるように根回しをしたと言うことは、素直に受け取って貰えるとは思えなかった。

 むしろ、シラを切られる可能性が高いとアニタは説明する。


「だとすれば、このお金の使い道を考えた方が良さそうですね」


 ミラベルの案に渋々と言った様子だが、観念した様子で頷くソルム。

 いっそ使ってしまえば、トラブルに巻き込まれる可能性は低くなると考えたのだろう。

 とはいえ、聖金貨二百枚の使い道など簡単に思い浮かぶはずもなかった。

 どうしたものかと悩む仲間たちに――


「なら、このお金で装備を新調しない?」


 と、イスリアは提案するのだった。

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