第116話 伴わない実力
ダンジョンに潜り始めて三日。ようやく深層に到着したのだが、
「ここって楽園の近くの荒野だよな? こんなだったっけ?」
三十年以上もダンジョンのなかで生活している俺にとって、この辺りは庭のようなものだ。だから同じような景色が続いていても、いま自分がどの辺りにいるのかくらいは大体わかる。
そう、分かるはずなのだが妙な違和感を覚える。
楽園の近くのはずなのだが、この違和感の正体は――
「ああ、世界樹が見えないからか」
この辺りなら楽園の中心にそびえ立つ世界樹が見えるはずなのだ。
しかし、楽園の都市がある方角を観察しても世界樹の姿を確認できない。
とはいえ、それも当然かという考えに至る。
楽園の世界樹は先代が植えたと言う話だ。ここが二万年以上も過去の世界なら、まだ苗や若木である可能性が高い。街を囲う壁が見えないところから察するに、都市の建造も進んでいないようだしな。
(できることなら研究施設は確認しておきたいが……)
さすがに、いまから確認するのは難しそうだ。
試験監督として来ている以上、仕事を放棄する訳にもいかないしな。
だが、まだ機会はある。時間のある時にでも一人で確認にくればいいだろう。
この辺りなら、それほど危険なモンスターもでないしな。
荒野のモンスターと言えば――
「気を付けろ! デスハウンドだ!」
生徒会の副会長が言うように、灰色の狼――デスハウンドが定番だった。
名前は大仰だが、下から数えた方が早い雑魚モンスターだ。
数がそれなりに多いので厄介ではあるが、俺でも簡単に片付けられる程度の相手でしかない。
「く――なかなか、やるじゃないか!」
「副会長、援護します!」
雑魚モンスターのはずなのだが、なぜか苦戦している様子だ。
ううん、やっぱり生徒会長以外は実力が伴っていない気がする。最初は力を隠しているのかと思ったけど、ここまでの戦闘を見ている感じだと、そういう風には見えなかったしな。
これは、あれだな。恐らくは生徒会長の実力に引っ張られて、生徒会のメンバーも過剰な評価を受けてしまったのだろう。
優秀な人間が周りに一人でもいると、同じように期待されてハードルが上がることがある。実際、生徒会長の方は難無く一人でデスハウンドの相手が出来ていることを考えると、実力に見合わない期待を背負ってしまったのだろう。
「……こっちにも来たか」
生徒会で対応しきれなかったデスハウンドが二匹、こっちへと向かってきた。
さて、どうしたものか。手をだすなとは言われているが、自分の身くらいは守っていいんだよな?
取り敢えず、倒すのは良くないと考え、
「――
生徒会の方に風魔法でモンスターを吹き飛ばそうとしたのだが――
「あ、やりすぎた……」
加減をミスった。
宙を舞い、遥か彼方に吹き飛ばされるデスハウンド。楽園周辺のモンスターの掃除は普段メイドたちがしてくれているから、ここまで歯応えがないとは思っていなかったのだ。
「嘘……デスハウンドを一撃で……」
「しかも、いまのって初級魔法よね……」
驚くようなことはしていないと思うのだが、生徒たちの反応がおかしい。
あれは書記と庶務の女の子たちだな。
初級魔法でも使い方次第では、深層のモンスターが相手でも通用する。そもそも初級や中級と区別されてはいるが、魔法はどれも使い方次第だと俺は考えていた。
魔力を込めれば魔法の威力は上がる。
初級や中級の魔法でも、より高位の魔法に匹敵する破壊力をだすことは不可能ではないからだ。
「くっ……なんで、あんな奴が!」
「偶然に決まってます! きっと魔導具の力ですよ!」
副会長と会計の男子生徒が騒いでいた。
とはいえ、言っていることは正しいので否定するつもりはない。実際、俺の戦闘スタイルは魔導具頼りだしな。
ちなみに、さっき使った魔法も指輪に付与されたスキルを発動しただけだ。
「くそ! 残りは俺たちで片付けるぞ! あんな奴に助けられてたまるか!」
そう言って、残りのデスハウンドに向かっていく生徒たち。
実力は伴っていないようだが、俺が手を貸すと失格になってしまうしな。
苦戦はしているが倒せない相手ではなさそうだし、ギリギリまで様子を見ることにするのだった。
◆
「はあはあ……なんとかなりましたね」
「と、当然だ。深層のモンスターが相手とはいえ、僕たちは〈英雄の集い〉なんだぞ……」
デスハウンドを相手に疲労困憊と言った様子の仲間の姿を見て、溜め息を漏らすオルテシア。最初から分かっていたことだが、オルテシアが考えていた以上に生徒会メンバーの実力が低かったためだ。
そう彼女が感じるのも無理はない。彼等が三匹のデスハウンドに苦戦している間に、オルテシアが倒したデスハウンドの数は十二匹だ。しかも、オルテシアはまだ余力を残していた。
それだけの実力差が、オルテシアと生徒会メンバーの間にはあると言うことだ。
単純な実力だけの話ではない。実戦経験の差が大きく結果にでていた。
それに――
(やっぱり凄い……)
二匹とはいえ、椎名は初級魔法でデスハウンドを撃退して見せた。
やはり思ったとおりだと、オルテシアは椎名の実力を評価する。
勿論、より威力の高い魔法を使えばデスハウンドを倒すのは容易だ。生徒会のメンバーなら誰しも上級以上の魔法が使えるので、いつものように戦えていれば、ここまで苦戦をすることはなかっただろう。
しかし、初級魔法でデスハウンドを倒せるかと言えば、自分たちには無理だとオルテシアには言い切れる。
(デスハウンドは素早い上、連携を取ってくるから厄介。だから彼等も苦戦した)
デスハウンドのように素早いモンスターを相手にする場合、通常は近接戦闘を得意とする者が前衛を務め、後衛の魔法使いがトドメを刺すというのがパーティーの基本的な戦術だ。
英雄の集いであれば、オルテシアと会計の男子が近接タイプの魔法使いなので二人が足止めをしている間に、仲間の魔法使いがデスハウンドを殲滅するというのが理想の戦い方だった。
しかし、会計の男子にデスハウンドの群れを相手にできるだけの実力はない。そのため、群れの大半をオルテシアが引き受けた訳だが、それでも対処しきれずにデスハウンドを後衛に通してしまったと言う訳だ。
その所為で、後衛の三人も魔法の発動をデスハウンドに邪魔されて思うように戦えなかったのだろう。
実戦経験の乏しい魔法使いは強力な魔法を使えることが実力のある魔法使いの証だと考えている節があるが、魔法式の構築に時間の掛かる魔法を使う機会など実際の戦闘ではほとんどない。
その点から言えば、
(先生の戦い方は、お手本のようだった)
椎名の戦い方は熟練の魔法使いを彷彿とさせるものだった。
魔法式の構築に時間の掛かる上級魔法ではなく、敢えて初級魔法を使ったのはモンスターを倒せる程度の威力の魔法を適切に選んで放ったと言うことだ。
口にするのは簡単だが、それを実戦するのは難しい。モンスターの力を見抜く観察眼が必要だし、初級魔法を実戦で使えるレベルの威力にまで高めることは、普通の魔法使いに出来ることではないからだ。
(彼等だけを責められないか。連携を疎かにしてきた責任は私にもある)
オルテシアがモンスターの相手をしている間に、他のメンバーが魔法を放ってトドメを刺す。それが、これまでに〈英雄の集い〉が成果を残してきた戦術のセオリーだった。
そのため、今回のような乱戦を経験するのは、これがはじめてだったのだ。
下層までのモンスターが相手なら、オルテシアの実力であれば完璧に抑え込むことが出来るが、深層のモンスターが相手となると話は別だ。
デスハウンドが深層に出現するモンスターのなかでは弱い方だと言っても、下層に出現するモンスターよりは強い。その上、迷路のような洞窟が続く下層までと違い、深層からは空の見える広大なフィールドが広がっていることもあって、オルテシア一人で戦場をカバーすることは不可能に近かった。
それが、これほどデスハウンドに苦戦した要因だとオルテシアは分析する。
「副会長、さっきの狼ってどのくらいの強さなんですか?」
「俺たちが苦戦したくらいだし、恐らく深層でも相当に危険なモンスターのはずだ」
そんなはずがないと、呆れるオルテシア。
群れで行動しているため厄介なだけで、デスハウンドは深層のモンスターのなかで最底辺のモンスターだ。これは深層で活躍する冒険者なら誰でも知っているようなことだった。
とはいえ、学生なら知らなくても当然と言える。
そもそも深層に足を踏み入れる機会など、ミスリル級以上の冒険者でもなければ経験することもないからだ。
その点から言えば、同情する気持ちはオルテシアのなかにあった。
本来の実力を考えれば、下層のモンスターの素材を持ち帰るというのが課題の内容だったはずなのに貴族の計略に利用され、深層のモンスターを相手にすることになったのだから実力が伴わないのも当然だからだ。
(もう少し先生の実力を確かめたかったけど、このままだと彼等が保ちそうにない……)
デスハウンドでこの有様なのだから、レッドオーガと戦えるはずもない。
それに、先程の戦闘で彼等の体力と魔力は随分と消耗している。
いまデスハウンドに襲われれば、今度こそ全滅は免れないだろう。
自分は大丈夫でも、誰かが命を落とすことになるとオルテシアは考える。
だから、こうすることが最善だと考え、
「先生、少しよろしいですか?」
「ん? どうかしたのか?」
「〈英雄の集い〉は試験を辞退します」
オルテシアは試験の辞退を申し出るのだった。
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