第114話 モンスター化

 エミリアがアドリスと対峙していた頃――


「……どうにか、助かったようですね」


 崩れた土の壁から出て来る〈アルケミスト〉の姿があった。

 土埃が充満する中、レイチェルは思わずハンカチで口元を押さえる。


「ありがとう、ソルム。キミのお陰で助かったよ」

「よしてくれ。当然のことをしただけだ。それにエミリア先生が注意してくれなかったら間に合わないところだった」


 全員が無事だったのは、ソルムが咄嗟にドーム状の土壁を作って仲間たちを崩落と爆風から守ったからだ。

 少しでも気付くの遅れていれば、全員が生き埋めになっているところだった。

 そのため、自分の手柄と言うよりはエミリアのお陰だとソルムは話す。


「ごめん。警戒は私の仕事なのに……」


 どこか落ち込んだ表情で、皆に頭を下げるアニタ。

 周囲の警戒を任されていたのに、ダンジョンの崩落に気付けなかったことを反省しているのだろう。

 しかし、


「いえ、ダンジョンの崩落なんて普通は予想できませんから……」


 アニタが悪い訳ではないと、レイチェルは励ます。

 モンスターへの警戒を怠ったならまだしも、ダンジョンの崩落というイレギュラーを予見するのは不可能に等しいからだ。

 ベテランの冒険者であっても気付けたか怪しい。

 実際、崩落に気付いたのはエミリア一人だったのだ。

 アニタだけを責められないとレイチェルは考えていた。

 そして、


「アニタだけの責任じゃないよ。エミリア先生以外、誰も気付けていなかったんだから……」

「そうそう、気にするな。結果的に無事だった訳だしな」


 それはイグニスとソルムも同じ考えだった。

 中層まで苦もなく来られたのは、アニタがモンスターや罠を警戒してくれていたからだと理解しているからだ。


「お前もそう思うよな。イスリア――」


 イスリアにも同意を求めようと振り返ったところで、ソルムの動きが止まる。

 まだ土魔法で作ったドームの中にいると思っていたら姿がなかったからだ。


「イスリアがいないぞ!」

「え……どういうことだ!? まさか――」

「崩落に巻き込まれた? イスリアさん!」


 イスリアだけ避難が間に合わなかったのでは、と慌てるソルムとイグニス。

 そんな二人に釣られて、レイチェルも慌ててイスリアの姿を捜し始める。

 そんななか、


「……あっちの方から人の声がする」


 アニタが何者かの話し声を捉える。


「なにも聞こえませんが……」

「獣人は耳が良いから」


 アニタの言うように、獣人の聴力は人間の数倍はあると言われている。

 内容までは聞き取ることが出来ないが、間違いなく誰かの話し声をアニタは捉えていた。

 それも一人は聞き覚えのある声を――


「たぶんエミリア先生の声。誰と話しているのかは分からないけど」


 アニタの話を聞き、顔を見合わせて頷く他の三人。

 イスリアの向かった先に予想がついたからだ。


「アニタ、案内してくれるか?」

「ん……任せて」


 イグニスの頼みに真剣な表情で頷くアニタ。

 エミリアとイスリアの無事を祈りながら、四人は声のする方へ急ぐのだった。



  ◆



 全速力でダンジョンを疾走するエミリアの姿があった。

 黒いトロールのような姿に変貌したアドリスから逃げているためだ。


「まさか、人がモンスターに変わるなんて――」


 そんな話は聞いたことがなかった。

 少なくともエミリアの知る限りでは、人がモンスターに変わるなんて話は聞いたことがない。

 しかし、いま思えば最初からアドリスの様子はどこかおかしかった。

 前から自己中心的な性格をしてはいたが、あそこまで考え知らずな人間ではなかったからだ。

 椎名に敗れてプライドを傷つけられたのは間違いないだろう。

 だからと言ってダンジョンで椎名の生徒たちを襲い、エミリアを人質にとって椎名を殺すなんて短絡的な計画をオリハルコン級にまで登り詰めた冒険者がするとは思えない。既に冷静な判断ができなくなるほど、おかしくなっていたと考える方が自然だった。

 だとすれば――


「……私がアドリスから加護を奪ったことが原因かもしれない」


 モンスター化の要因の一つに、加護を剥奪したことが絡んでいるのではないかとエミリアは考える。

 実際、加護を失ってからのアドリスの様子は常軌を逸していた。加護のお陰で辛うじて理性を保てていたのだとすれば、加護を失ったことで理性を失いモンスター化したと考えると話の辻褄が合う。


「ガアアァァッ!」

「――ッ!」


 突如、速度を上げて背後まで迫ったアドリスが巨大な腕を振り上げ、エミリアの頭上に拳を振り下ろす。

 咄嗟の判断で飛び退くようにアドリスの攻撃を回避するエミリア。

 放たれた拳が大地を割り、壁に亀裂を奔らせ、再びダンジョンを崩落させる。

 それは即ち、モンスター化したアドリスの一撃は最高位の攻撃魔法に匹敵する破壊力を秘めていると言うことだ。


「なんて破壊力なの! これでは、まるで――」


 深層のモンスターと同等。いや、それ以上だとエミリアは険しい表情を見せる。

 アドリスがオリハルコン級の冒険者になれたのは、世界樹の加護のお陰だ。

 加護を失ったアドリスの実力は、ミスリル級の冒険者にも劣っているはずだった。

 だからモンスター化したとしても、ここまでの強さがあるとはエミリアも思っていなかったのだろう。


(私の力じゃ、いまのアドリスに勝てそうにない。でも上には、まだ学院の生徒が大勢いる。逃げるとすれば……)


 このまま深層を目指すしかないと、エミリアは覚悟を決める。

 下層や深層で活躍する冒険者であれば、事情を話せば助力を乞えるかもしれない。

 それに深層には――椎名がいる。 

 また椎名に頼ることには抵抗があるが、そうも言っていられない状況だ。

 椎名ならアドリスを元に戻せるのではないかと、そんな期待もあった。


「はやい――」


 しかし、アドリスのスピードはエミリアの想像を超えていた。

 身体の変化にようやく慣れてきたのか?

 先程までとは比較にならない速度で、アドリスはエミリアに迫る。

 二撃目もどうにかギリギリのところで回避するエミリアだったが、


(なんてスピードなの。これじゃあ……)


 逃げ切れないと、最悪の可能性が頭を過った、その時だった。


「姉さん、伏せて!」


 妹の――イスリアの声が響いたのは――


風の大精霊シルフィード、お願い力を貸して――」


 イスリアの呼び掛けに応え、羽衣のようなものを纏った緑髪の女性が顕現する。

 イスリアが大人に成長すれば、こんな見た目になるのではないかと言った美女。

 彼女こそ、風の精霊の頂点に立つ大精霊――シルフィードだった。


暴風龍の咆吼テンペスト・ロア!」


 両腕を正面にかざし、シルフィードと共に魔法を放つイスリア。


「グガアアアアァァァッ!」


 為す術なく暴風に呑み込まれるアドリス。

 イスリアの放った魔法は硬いダンジョンの壁を削り、アドリスを吹き飛ばす。

 精霊を召喚するほどの力を持った〈精霊使い〉は〈精霊の一族〉のなかでも稀だ。

 膨大な魔力と卓越した魔力操作の技術がなければ出来ない芸当。

 ましてや大精霊を召喚できた者は歴史上、片手の指で足りるほどの数しかいない。

 しかし、


「あなた、いつの間にそんな……」

「私も先生の生徒なのよ。姉さん」


 イグニスたちと同じように、椎名の講義を受けたことでイスリアも成長していた。

 イスリアの成長を喜ぶエミリア。だが、しかし――


「逃げて、イスリア……あいつはこの程度じゃ……」


 エミリアは警戒を解いていなかった。

 イスリアの放った魔法は風の最高位魔法だが、それで倒せるような相手でないと分かっているからだ。


「ガアアアアアアアアアアアア!」


 ダンジョン内に大気を震わせるような咆吼が響き渡る。

 肌がビリビリと震えるような魔力に、イスリアの表情も自然と引き締まる。

 確かに強敵であることは間違いない。それでもエミリアをおいて逃げるなんて真似が出来るはずもないからだ。


「イスリア! よかった、無事だったんだな!」

「ん、エミリア先生もいる」


 その時だった。

 イグニスとアニタの声が聞こえてきたのは――

 エミリアとイスリアが声のした方を振り返ると、レイチェルとソルムの姿もあった。

 全員で後を追ってきたのだと察するが、


「こっちにきてはダメ! みんな逃げ――」


 ここは危険だからとエミリアは生徒たちを逃がそうとする。

 しかし、その声が最後まで生徒たちに届くことはなかった。イスリアの魔法で吹き飛ばされたはずのアドリスが、いつの間にかエミリアと生徒たちの間に割って入ってきていたからだ。


「な――」


 突然目の前に現れたアドリスに驚き、身体が硬直するイグニス。

 その僅かな隙を突くように、アドリスの豪腕がイグニスの頭上に振り下ろされる。

 咄嗟に魔法で援護しようとするソルムであったが、


(ダメだ! 間に合わない――)


 魔力を練る時間が足りず、魔法の発動が間に合わない。

 そこに――


「なにをぼーっとしてるのよ! 避けなさい!」

「え……」


 イグニスの身体を弾き飛ばすようにイスリアが割って入るのだった。

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