第113話 契約と加護の違い
むせるほどの土煙が視界を覆い隠す。
ダンジョンの壁や天井は並の魔法では傷つかないほど頑丈で、中層のモンスター程度の攻撃では崩落を招くほどの被害がでることはない。そもそもダンジョンの崩落自体が滅多に起きる現象ではなかった。
しかし、
「そこに隠れているのは分かっているわ。出て来なさい――アドリス」
中層のモンスターの攻撃程度では傷つかないダンジョンの壁や天井も、より強力な攻撃を受ければ話は別だ。
深層のモンスターを傷つけることが可能なほどの攻撃。
オリハルコン級の冒険者であれば、不可能な芸当ではない。
「まさか、あのタイミングで気付かれるとはな。〈星詠み〉で危機を察知したのか? 本当に厄介な力だ」
土煙の中から薄い金色の髪をした耳の長い男が姿を見せる。
エミリアと同じ〈精霊の一族〉の出身で〈勇者〉の二つ名を持つオリハルコン級冒険者アドリスだ。
爆発が起きる直前、アドリスが椎名にも放った雷魔法でダンジョンを崩落させる光景を、エミリアは〈星詠み〉で目にしていた。だからこそ、崩落の前に生徒たちに危険を報せることが出来たのだ。
本当ならもう少し早く〈星詠み〉が発動していれば危険自体を回避できたかもしれないが、エミリアの力はそれほど便利なものではない。〈巫女姫〉と違い自分の意志で任意に発動することができないからだ。
大抵は今回のように危険が迫った状況でしか発動することはない。
遠い未来を見通すほどの力は、いまのエミリアにはなかった。
それに――
「やっぱり、あなただったのね。こんな卑怯な真似をする人じゃないと思っていたわ」
未来は見えても〈星詠み〉では人の心まで見通すことはできない。
性格に難はあるが、仮にもアドリスは〈勇者〉という二つ名が与えられたほどの冒険者だ。態度が横柄なのは自分の力に自信を持っているからで、闇討ちなんて卑怯な真似をする人間ではないと思っていた。
少なくともエミリアはそう信じていたのだ。
「お前には厄介な護衛がついているからな。負ける気はしないが、逃げられる可能性がある。だからチャンスを窺っていた」
「どうして……」
「どうして? 俺という婚約者がいながら、あんな奴を選んだお前が言うのか?」
「そんなのあなたが勝手に言っていることでしょ! 申し出は断ったはずよ!」
「はあ……これは長老会の決めたことだ。〈勇者〉と次代の〈巫女姫〉が結ばれることは、一族の未来に必要なことだと長老たちが認めた婚約だ。お前の我が儘で拒否できるような話じゃないと、どうして分からない」
自分が正しいと本気で信じ切っているのだろう。
自身満々に話すアドリスに呆れ、エミリアは冷ややかな視線を向ける。
確かに長老会は〈青き国〉の政治を司る存在だ。〈精霊の一族〉のなかでも特に力を持った十家から構成されていて、エミリアやアドリスの家も長老家の一角に数えられていた。
しかし、彼等にエミリアの婚約者を決める権利はない。
そもそもエミリアは〈巫女姫〉の後継者に選ばれたほどの〈精霊使い〉だ。精霊の一族にとって〈世界樹の精霊〉は神のような存在。だからこそ、そんな精霊と契約した〈巫女姫〉は神の御遣いとして扱われてきた。
だから〈巫女姫〉は神のように崇められ、政治には関与しないというスタンスを取ってきたのだ。しかしそれは同時に〈世界樹の精霊〉や〈巫女姫〉を政治に利用しないという不文律にもなっていた。
同じことは〈世界樹の精霊〉と契約し、〈巫女姫〉が後継者に選んだエミリアにも適用される。アドリスが言うように長老会がそのような決定をしたなら、それは長きに渡って守られてきた不文律を破ると言うことだ。
これまで保たれてきた〈巫女姫〉との関係にひびを入れる行為となりかねない。
「私は〈巫女姫〉様の後継者よ」
「俺は〈勇者〉だ」
前から身勝手な性格をしていたが、ここまで話が通じないとはエミリアも思っていなかったのだろう。
なにを言っても無駄だと諦める。
とはいえ、
「こんな真似をして、どうするつもりなの?」
一応、確認の意味を込めてエミリアは尋ねる。
長老会の決定がどうあれ、アドリスのしたことは犯罪行為だからだ。
冒険者がダンジョン内で魔法学院の生徒や講師を襲ったとなれば、ギルドも当然黙ってはいないだろう。
「お前には人質になってもらう。アイツを誘き寄せるためのな」
椎名のことを言っているのだと、エミリアは察する。
大方そんなところだろうとは予想が出来ていたからだ。
冒険者たちの前で椎名にやられたことが、彼のプライドを傷つけたのだろう。
とはいえ、決闘を仕掛けたのがアドリスである以上、完全な逆恨みだ。
「アイツが死ねば、お前の目も覚めるだろう」
「目を覚ますのは、あなたの方よ」
いい加減、会話をするのも疲れたと言った様子で、エミリアは
「バカな真似はよせ。お前じゃ俺には勝てない」
エミリアはミスリル級の冒険者だが、アドリスはオリハルコン級の冒険者だ。
椎名にあっさりと敗北したとはいえ、アドリスがギルド内でトップクラスの実力者であることに違いはない。エミリアも自分の実力では、アドリスに勝てないことは分かっていた。
しかし、
「エミリア・フォルメウスの名において――」
それなら、まともに戦わなければ良いだけの話だ。
アドリスの薄い金色の髪は〈世界樹〉の加護を受けている証だ。
だから彼は全属性に適性を持ち、ありとあらゆる魔法を使うことができる。
しかし、
「アドリス・エンバーの称号を剥奪します」
「な――」
アドリスは大事なことを忘れていた。
精霊使いの力とは契約した精霊に依存する。
それは即ち、精霊の力であって術者の力ではないと言うことを――
そして、
「なんだ、これは……力が抜けていく……」
アドリスはただ加護を与えられたに過ぎないが、エミリアは違う。
世界樹の精霊と契約を結んだ〈契約者〉だ。
そして〈世界樹の精霊〉と契約した〈巫女〉には、世界樹の加護を宿す〈騎士〉を自由に選任する権限が与えられる。
加護を与えることが出来れば、加護を剥奪することも自由にできると言うことだ。
「昔のあなたはそんな風じゃなかった。でも……」
アドリスは覚えていないかもしれないが、彼に加護を与えたのはエミリアだった。
冒険者として名を馳せていたエミリアの両親に憧れ、幼い頃のアドリスは毎日のようにエミリアの家に押し掛けてきていた。そんな彼の熱意に根負けして、剣や魔法を教えたのがエミリアの両親だ。
『見てろよ、エミリア。俺はこの国一番の冒険者になる!』
そう言って雨の日も雪の日も、毎日のように剣を振り続けるアドリスをエミリアは見ていた。歳が近かったこともあり、生意気な弟が一人できたような感覚だったのだろう。
しかし、威勢が良く夢は大きいもののアドリスに才能はなかった。
精霊の一族に生まれた者であれば、誰でも出来ること。
ましてや長老家に生まれた者であれば出来て当たり前のことが、彼には出来なかったからだ。
精霊との契約が――
『なんで、どうして! 俺の呼び掛けに応えてくれないんだ!』
その所為で彼は両親にも見捨てられ、出来損ないとして一族のなかでも孤立していった。
だから、なのだろう。
アドリスの夢を応援したくて、エミリアがあんな願いをしてしまったのは――
『精霊様、お願いします。アドリスの願いを叶えてあげて――』
エミリアは〈世界樹の精霊〉に願い、アドリスに加護を授けたのだ。
当時はまだ幼く自覚があってやったことではなかったが、もしかしたらという予感はあった。
そして、いまなら確信できる。
アドリスに加護を授けたのは自分だったのだと――
「ごめんなさい……あなたをそんな風に変えてしまった原因は、私にあるのかもしれない」
その結果、アドリスは変わってしまった。
力に溺れたのはアドリスの心の弱さが原因とはいえ、責任の一端は自分にもあるとエミリアは考える。
しかし、自分だけでなく生徒たちも巻き込み、椎名にまで危害を加えようとするアドリスを放置することは出来なかった。だから、アドリスから加護を奪ったことを後悔はしていない。
むしろ、これを切っ掛けに昔のアドリスに戻ってくれることを願っていた。
しかし、
「クソッ、なんで魔法が発動しない! おい、バカ精霊ども! 俺は〈勇者〉だぞ! 俺の命令を聞きやがれ!」
精霊に向かって怒号を上げるアドリスを見て、エミリアは悲しげな表情を浮かべる。彼から加護を奪えば、こうなることは分かっていたとはいえ、こんな姿のアドリスを見たくはなかったからだ。
それでも――
「アドリス。お願い。もう……」
できることなら罪を償って欲しいと、エミリアはアドリスを説得しようとする。
だが、その願いが叶うことはなかった。
「あ、あ、ああ……」
突然、アドリスの様子が豹変しからだ。
崩落したダンジョンの天井を見上げ、呻き声のようなものを漏らすアドリス。
そんな彼の身体から黒いモヤのようなものが噴き出し、
「アアアアアアアアアアアアアア!」
空気を震わせるかのようなアドリスの奇声が、ダンジョンに響き渡るのだった。
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