第103話 神樹の酒
椎名が帰路についた頃、アインセルト家の屋敷では――
「入れ」
執務室で
髪の色からも察せられるように、彼女は人間ではない。
この国の女王――〈至高の錬金術師〉によって造られたホムンクルスだ。
創造主より与えられた名ではないが、屋敷では『ノウェム』と呼ばれていた。
「どうかしたのか?」
ノウェムがこの時間にやってくるのは、いつものことだ。
その日にあったことを報告するため、彼女は決まった時間に当主の前に現れる。
もう二十年以上、繰り返されてきた日課だ。
しかし、今日の彼女はいつもと様子が違っていた。
「申し訳ありません。正体に気付かれました」
「なに――」
この屋敷で彼女が人間でないことを知る者は、アインセルト家の当主だけだ。
ホムンクルスの存在自体、一部の権力者が知るだけで秘匿されている。
当然、家族にも教えてはいない。イグニスやミラベルも知らないことだ。
「気付かれただと……それは、まさかイグニスが連れてきた客人にか?」
「はい。一目見て、ホムンクルスだと見抜かれました」
予想だにしなかった状況に放心する当主。
まさか、ノウェムの正体が見抜かれるとは思ってもいなかったからだ。
そもそもの話、正体を知らされているだけで、当主も彼女のことを詳しく知っている訳ではなかった。
彼女がアインセルト家に仕えているのは、楽園の主の命令に従っているからに過ぎないからだ。
「一つ聞かせて欲しい。お前の目から見て、彼はどう映った?」
娘の恩人を疑うような真似はしたくないと思っているが、アインセルト家の当主として確かめない訳にはいかなかった。
椎名が本物の〈錬金術師〉であるかどうかはアインセルト家の行く末だけでなく、この国の未来を左右する問題になりかねないからだ。
「あの方は私を見て、ホムンクルスを
「家族だと……?」
「はい。それに懐かしいとも……」
ノウェムの話を聞き、やはり間違いないと当主は確信する。
懐かしいということは、ホムンクルスを見たことがあると言うことだ。
それにホムンクルスを家族と呼ぶのは、自らの子供のように思っているからとも捉えることが出来る。
即ち、それはホムンクルスを
そんな真似が可能なのは〈楽園の主〉と同じ〈錬金術師〉以外にいない。
「当主様。そちらの瓶は?」
「ん……ああ、これは客人から貰ったものだが……」
机の上に置かれた酒瓶をノウェムに指摘され、もしかしたらという予感が当主の頭を過る。
この酒を椎名は自分が作ったものだと言っていた。
椎名が本物の錬金術師であるなら、渡されたものが普通の酒であるはずがない。
「間違いありません。それは〈神樹の酒〉です」
「〈神樹の酒〉だと!?」
もしやとは思ったもののノウェムの言葉に驚く当主。
神樹の酒は〈青き国〉の中心にそびえ立つ大樹――世界樹の実から造られる幻の酒だ。
青き国で十年に一度開催される〈精霊祭〉の招待客に振る舞われるだけで市場に出回ることはほとんどなく、この酒瓶一つで城が建つと噂されているほどの代物だった。
それが、三本も机の上にはある。
「一体、彼はどういうつもりで、これを私に……」
本物の錬金術師だとすれば、神樹の酒の価値を知らなかったとは考え難い。
椎名の置き土産をどう扱うべきかで、当主は頭を悩ませることになるのであった。
◆
「シーナ、昨日はどこかに行ってたの?」
いつものように学院の食堂で朝食をとっていると、金髪エルフに昨晩のことを尋ねられた。
話を聞くと、どうやら馬車で寮に帰ってくる姿を見られていたらしい。
昨晩は遅くなったので、アインセルト家の馬車で寮まで送ってもらったのだ。
変な誤解をされると面倒なので、生徒から相談を受けて家にまで行っていたことを説明する。
「それって、アインセルト家?」
「なんだ? 知ってたのか?」
「ええ、まあ……相談を受けたのって、ご令嬢のことよね? 病に伏せているって話の……」
プライベートなことなので詳細を伏せようとしたのだが、どうやらアインセルトくんの妹のことを知っていたらしい。
「〈巫女姫〉様に会わせて欲しいって、しつこく迫られてたでしょ?」
そんなことあったっけと疑問に思いながらも話を聞いていると、アインセルトくんに〈巫女姫〉に会わせて欲しいと相談を受けていたそうだ。
それが妹の病気についてのことだと、金髪エルフは気付いていたとの話だった。
「会わせてやればよかったんじゃないのか?」
「無理よ。〈巫女姫〉様にお目通りしたいと思っている人がどれだけいると思っているのよ」
妹が病気だからという理由だけで面会を取り次げば、面会を求める人が際限なく押し寄せてくることになると話す金髪エルフの説明を聞き、なるほどなと納得させられる。
俺も楽園のメイドたちが上手くさばいてくれているから必要以上に仕事をしなくて済んでいるが、仮にすべての要望に応えていれば今頃は仕事漬けの毎日を送っていたかもしれない。
これは金髪エルフが薄情だとか言えない難しい問題だった。
「それで〈巫女姫〉は病気を治すスキルや魔法を使えるのか?」
「優れた治癒魔法の使い手ではいらっしゃるけど……彼の目的は別にあったと思うわ」
この国の女王と〈巫女姫〉は古くからの友人らしい。
そのため、妹を治療するための薬を女王と交流のある〈巫女姫〉から譲り受けようとしたのではないかと金髪エルフは説明する。
「この国の女王って〈楽園の主〉だよな? どうしてそんな回りくどいことをするんだ?」
アインセルトくんの家はこの国の貴族だ。
女王に直接頼んで薬を分けてもらえれば、そんな回りくどいことをする必要はない。
実際、万能薬で妹の病気は完治した訳だしな。
先代の〈楽園の主〉なら万能薬くらい作れると思うのだが――
「ダメなのよ。過去に〈至高の錬金術師〉様が下賜された魔導具が市井に出回ったことがあるのだけど……」
国が滅びるほどの戦争に発展したという話を金髪エルフから聞かされる。
魔導具を取り合って戦争とか……いや、でもありえるのか?
先代の遺した魔導具は確かにどれも凄いものばかりだった。
いまの俺ならほとんど再現は可能だが、この〈黄金の蔵〉だけは未だに同じものが作れないしな。
「それ以来、錬金術師様の魔導具が市井に出回ることはなくなったのよ……。家臣にさえ、下賜されることがなくなって二百年以上になると言われているわ。例外は〈巫女姫〉様と〈白き国〉の女王陛下だけね」
ようするに争いの火種となることを恐れて、魔導具の流出を制限したということのようだ。
分からないではないのだが、もう少し融通を利かせられなかったのかと首を傾げる。錬金術師でなくとも調合することが可能な薬くらいは、市場に流通させても問題ないように思うのだが……。
「でも、そうよね。最初からシーナに相談すれば良かったのよ」
否定をするつもりはないが、俺も誰の頼みでも聞くと言う訳ではない。
今回は自分の生徒の頼みだったから、相談に乗っただけの話だ。
まったくの赤の他人なら、相手にもしなかっただろう。
それが薄情だとは思わない。俺は聖人君子ではないからだ。
「それで、アインセルト家のご令嬢の病気はどうだったの?」
「ああ、万能薬を与えたら無事に完治した」
「ん?」
「ん??」
金髪エルフが首を傾げるので、思わず俺も同じ反応を返してしまった。
「万能薬って……もしかして、アゾートの秘薬のことじゃ……」
「万能薬は他にないと思うが? ほら、これだ」
黄金の蔵から実物をだして金髪エルフの前に置く。
万能薬と言えば、これしかないだろう。
他に万能薬と呼ばれる魔法薬があるなんて話を俺は聞いたことがない。
「そうよね……〈賢者の石〉を作れるなら〈万能薬〉くらい作れるわよね……」
ぶつぶつと念仏のように独り言を唱え始めた金髪エルフを見て、俺は席を立つ。
これがなければ、良い奴だと思うんだけどな。
心の病が万能薬で治るとは思わないけど、一本おいておくか……。
そして――
「あ、先生。丁度いいところで会った」
食事を終え、寮に戻ろうとしたところでケモ耳少女に呼び止められるのだった。
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