第101話 万能薬

 突然だが俺は今、例の決闘騒ぎを起こした問題児――アインセルトくんの家を訪れていた。

 事情はよく分からないが、妹を助けて欲しいと相談を受けたためだ。

 なんでも妹が病気らしい。昨晩から容態が急変し、慌てて俺に助けを求めたと言う話だった。

 しかし、俺は錬金術師であって医者ではない。

 そういうことは、まず医者に相談するようにと促したのだが――


(神官に相談したって……魔法が当たり前の世界だから、医療技術の発達が遅れているのか?)


 医者ではなく神官が病気を診るのが、この時代では当たり前のようだ。

 しかし魔法は怪我を治すことは出来るが、病気には効果が薄い。

 状態異常を治す魔法もあるが、すべての病気に効果があると言う訳ではなかった。

 そもそも一般的な回復魔法というのは、肉体の治癒力を高めることで傷や病気を治療している訳で、体内のウイルスを殺したり病そのものを治す効果がある訳ではないからだ。

 その点から言えば、俺を頼ったのは正しい判断とも言える。

 魔法薬には、回復魔法で治療できない傷や病を癒すものがある。

 それが〈エリクサー〉と呼ばれる霊薬であり、そして――


「……これが、万能薬?」

「ああ、どんな病でも治す効果のある薬だ。正確には状態異常に侵された身体を、元通りの正常な状態に戻してくれる薬なんだけどな。ほら、さっさと妹に飲ませてやれ」


 万能薬と呼ばれる薬だった。

 正式名称は〈アゾートの秘薬〉と言うそうなのだが、俺は分かり易く〈万能薬〉と呼んでいる。身体に起きている異常をなかったものとして、元通りの健康な状態に修復してくれる薬だ。 

 だから毒だけでなく、どんな病気にでも効果がある。その上、この薬で治療すると同じ病にかかることは二度と無い。

 修復とは言ったが、正確には錬金術における〈再構築〉に近く、肉体を最適化することで正常な状態へと戻しているため、毒や病気に対して高い免疫を確保することが出来るからだ。


「先生、ありがとうございます! 早速、妹に飲ませてきます!」


 そう言って頭を下げると、万能薬の入った瓶を持って妹の元へと向かうアインセルトくん。トラブルばかり持ち込んでくる生徒だが、やはり悪い奴ではないのかもしれない。


「余程、妹のことが心配だったみたいだな。良いお兄ちゃんをしてるじゃないか」


 家族のために必死になれる奴に、悪人はいないと思うからだ。

 しかし、さすがは貴族の家だ。ヨーロッパ風の平面幾何学式庭園に、部屋数だけで五十はありそうな大きな屋敷。通された応接室も高そうな調度品ばかりで、寮の部屋の十倍くらいの広さがある。

 お坊ちゃんなのは知っていたが、正直ここまでとは思っていなかった。

 それに――


「お客様、紅茶をお持ちしました。よろしければ、こちらの焼き菓子もご自由にお召し上がりください」


 本職のメイドさんが、この屋敷にはたくさんいるのだ。

 しかも、執事と思しき人も確認している。まさに本物の貴族と言った感じだ。

 本職はもっと簡素な作りかと思ったらメイド服の意匠も凝っているんだよな。

 かなり上質な生地を使っているようだし、この時代のメイドも侮りがたい。

 しかし、

 

「あの……なにか?」

「いや、たいしたことじゃないんだが、キミはもしかしてホムンクルスか?」

「――どうして、それをッ!?」

「やっぱりそうか。ああ、気分を害したなら許してくれ。俺にもホムンクルスの家族が大勢いてね。その髪の色を見てたら懐かしくなっただけで、他意がある訳じゃないんだ」


 このメイドさん。楽園のメイドたちと同じ綺麗な銀色の髪をしているのだ。

 人間のなかにも白みがかった金髪と言った感じのプラチナブロンドに近い髪の人は稀にいるのだが、ここまで鮮やかな銀色に輝く髪というのは楽園のメイドたち以外に見たことがない。そのため、人間ではなくホムンクルスなのではないかと思った訳だ。

 とはいえ、さすがに不躾な質問だったかもしれないと反省する。

 差別的な意図があっての質問ではなかったのだが、そう捉えられても仕方がないからだ。


「待っている間、ぼーっとしているのも暇だし、よかったら話相手になってくれないか?」


 いつになく積極的じゃないかって? それはそうだ。

 以前にも話したことがあると思うが、俺は理想のメイドを追い求めてAIの開発を独学でするくらいメイドさんが好きだ。

 リアルのメイドさんから話を聞ける機会など、そうあるものではないからな。少しくらい積極的にもなろうというものだ。

 それに彼女はユミルたちと同じホムンクルスのようだしな。

 この時代のホムンクルスが、どんな風に生活をしていたのかを知る良い機会だ。

 楽園のメイドたちの労働環境を改善するためにも、役立てる話が聞けるのではないかと考えるのだった。



  ◆



「万能薬だと――バカバカしい!」

「でも、先生がこの薬を――」

「前に言っていた錬金術師を騙る詐欺師か。そんなもの嘘に決まっているだろう! お前は騙されているのだ!」

「違う! 先生は本物の錬金術師だ!」


 妹の寝室で、父親と口論するイグニスの姿があった。

 椎名から譲ってもらった万能薬を妹に飲ませようとしたのだが、それを父親が制止したのだ。

 理由は至極まともなもので、錬金術師を騙る怪しげな人物から貰った薬を娘に飲ませる訳にはいかないというものだった。

 確かに椎名は〈錬金術師〉を自称しているが、まだそれが正式に認められた訳ではない。賢者の石を作れることを知る者は限られている上、正式に〈錬金術師〉を名乗るには〈楽園の主〉から認められる必要があるからだ。

 アインセルト家は〈楽園〉を代表する三大貴族の一角だ。それだけに〈錬金術師〉を自称する相手に対して態度が厳しくなるのは、仕方のないことと言える。それでも――


「おい、待て! そんな怪しげな薬をミラベルに勝手に飲ませるな!」

「黙れ!」

「――ッ!」


 これほどの分からず屋だとはイグニスも思っていなかった。

 他に妹を――ミラベルを治療する手立てがあるのなら、それでもいい。しかし〈青き国〉の回復魔法に長けた神官ですら為す術のなかった病気で、ミラベルは今も苦しんでいるのだ。

 それに〈錬金術師〉かどうかの真偽はともかく、少なくとも今の魔法学院に椎名の実力を疑う者はほとんどいない。本物かもしれないと噂されるくらいには、学院や生徒から評価されていると言うことだ。

 なのに椎名の人となりや薬の効果を確かめもせず、最初から偽物だと決めつけて反対する父親に呆れ、イグニスは怒りすら覚えていた。


「……飲みます。その薬を……飲ませてください、兄様」

「ミラベル、お前なにを……」

「兄様が……尊敬する先生がくださった……お薬です。なら、私は兄様の信じた〈錬金術師〉様を信じます。それに……ごほっ……」


 咳き込む妹の身体を慌てて支えるイグニス。

 長く美しかった亜麻色の髪は輝きを失い、瞳からも以前のような力強さが感じられない。

 病気で痩せ細った妹の姿を再確認し、イグニスの表情は苦痛に歪む。


「……このままだと長くないことは理解しています。なら、せめて……」


 自分の死期が近いことをミラベルは感じ取っていた。

 どうせ、このままでは死を待つしかないのだ。

 それなら一か八か、助かる可能性に賭けるのも悪くないと考えたのだろう。

 そんなミラベルの決意を感じ取ってか、父親もなにも言えずにいた。

 死を覚悟した娘の決めたことに、親と言えど口を挟めるはずもない。貴族であれば尚更だ。

 自らの決断と行動には責任を持つようにと、普段から貴族の心構えを教え込んできたのは他の誰でもない。アインセルト家の当主にして二人の父親である彼自身だからだ。


「これが万能薬……」


 覚悟を決め、万能薬の入った瓶に口をつけるミラベル。

 そして、中身を一気に飲み干す。

 その時だった。ミラベルの身体が淡い光を放ったのは――


「……?」


 自分の身体に起きたことが理解できず放心するミラベル。

 そんなミラベルを心配して、イグニスは声を掛ける。


「もう、大丈夫なのか?」

「はい……治ったみたいです」


 心配するイグニスに、病気が治ったことを伝えるミラベル。

 彼女自身、驚いていた。

 これまで感じていた胸の苦しさや身体の気怠さが、嘘のように消えていたからだ。


「本当に助かったのですね……」


 ようやく万能薬の効果を実感し、助かったという安堵から涙が溢れてくる。

 そんな彼女の涙に誘われるように、


「よかった。本当によかった!」

「すまない。ミラベル、イグニス……私が間違っていた」


 イグニスも父親と肩を寄せ合い、共に喜びの涙を流すのだった。

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