第93話 魔力欠乏症

 楽園の都市は全部で六つの区画に分けられており、数字が小さいほど重要度の高い施設が集められている。一般の人が立ち入れるのは公共施設や冒険者ギルドなどが集中する第三区までで、第二区の貴族街や第一区の王城がある区画には許可無く立ち入ることが出来ないようになっていた。

 魔法学院や椎名が門前払いを食らっていた大図書館・・・・があるのも、この第三区だ。

 そこから南西に下ったところに第四区があり、商店が建ち並び賑わう繁華街の一角に男二人の姿があった。

 アインセルト家の嫡男イグニスと、精霊の一族出身のソルムだ。

 アインセルト家はレイチェルと同じく他国から逃れてきた一族の末裔で、この国の貴族の多くは〈楽園の主〉の導きによって移住した民だった。だからこそ〈楽園の主〉に対する忠誠心が高く、それは一種の信仰とも呼べるもので錬金術に対して並々ならぬ思い入れがあるのだ。

 だから錬金術師を自称する椎名が許せなくて、決闘を挑んだ。

 その結果は言うまでもなく、圧倒的な力の前に敗北を喫したのだが――


「先生は僕に仰られたんだ。『認めて素直になれ。そうしなければ、一歩も前に進むことは出来ない』とね」


 その時のことを思い出しながら感動に身を震わせ、熱く語るイグニス。

 彼は決闘のあと心を入れ替え、椎名に対する態度を一変させていた。

 その態度は尊敬を通り越して信仰と言っても良いほどで、そんな風に態度を変えたのは戦いのなかで進むべき道を諭されたことが理由として大きかった。

 その証拠に、椎名から攻撃を仕掛けてくることは一度もなかった。

 あれは教師として生徒を教え導こうとしていたのだと、イグニスは考えていた。


「僕はアインセルト家の嫡男として生まれながら魔法を上手く使えないことに劣等感を抱いていた」


 アインセルト家が他国から逃れてきた民だと言うのは話したと思うが、彼の家が楽園の三大貴族の一角にまで数えられるようになったのはダンジョンで富を築き、冒険者として大成したことに理由があった。

 しかし、アインセルト家の嫡男として生まれながら、イグニスは幼い頃から魔法が余り得意ではなかった。

 その上、ダンジョンの祝福・・で得られた恩恵スキルは戦闘系のものではなく〈魔力同調〉というサポートスキルだったのだ。

 これだけでは分かり難いかもしれないが、魔力と言うのは人によって波長が異なり、それが得意な魔法に影響している。同様に魔導具の扱いにも得手不得手があって、炎の魔剣など属性が付与された魔導具などはその属性にまったく適性がなければ使えない。〈魔力同調〉とは魔力の〈波長〉を合わせるこで、様々な魔導具を扱えるようになると言ったスキルだった。

 一見すると強力なスキルに思えるが、魔力の波長を合わせるだけなので自分自身が強化されると言ったスキルではない。強力な攻撃魔法が使える訳でもなく、ただ単にどんな魔導具も人より多少上手く扱えると言ったスキルに過ぎないのだ。

 高位の魔法使いであれば、スキルなしでも同じような芸当は出来る。冒険者として大成するには、強力なスキルが必要だと言うのは冒険者の常識だ。だからイグニスは魔法が上手く使えないばかりか、そんな微妙なスキルに目覚めた自分に劣等感を抱いていた。

 家族はそんな彼にも優しかったが、どうしても劣等感を拭うことが出来なかった。

 そんな時だった。椎名と出会ったのは――


「そんな僕に先生は道を示してくれた。こんな恩恵スキルでも、使い方によっては強くなれると言うことを教えてくれたんだ」


 イグニスの唯一の取り柄と言えるものが、魔導具の扱いに長けていることだった。

 だからイグニスの父は、嘗てアインセルト家が〈楽園の主〉より賜った魔剣を息子に託したのだ。

 その〈炎の魔剣〉をイグニスは使いこなせていなかった。

 自分では完璧に使いこなしているつもりでいて、魔剣の状態にも気付いていなかったのだ。

 しかし、椎名は違った。

 魔剣の異常に気付き、その場で完全な状態に調整してみせたばかりか、魔導具の扱いを極めれば強力なスキルがなくとも遙か高みに至れることを証明して見せてくれた。

 天に立ち上る炎の柱が、いまもイグニスの脳裏に焼き付いて離れない。


「だから僕は――」

「もう、その話は何度も聞いた。お前が先生を尊敬しているのは分かってるよ」


 イグニスの話を聞き、やれやれと肩をすくめるソルム。

 もう何度目か分からないほど、同じ話を聞かされているからだ。

 それだけイグニスが椎名を尊敬していることは理解できる。

 実際、ソルムも椎名のことを凄い人だとは思っていた。

 間違いなく〈魔女王〉と並ぶ、世界屈指の魔法使いだと認めるほどに――

 しかし、尊敬はしていてもイグニスほど妄信的かと言うと違う。

 精霊の一族には〈至高の錬金術師〉と並ぶ現人神アラヒトガミ――〈巫女姫〉がいるからだ。

 人でありながら神の位に至った存在。〈青き国〉の民にとっては文字通り女神とも呼べる存在だ。


(あの人が凄いことは間違いないが、さすがに現人神には敵わないだろう)


 椎名がどれだけ凄くても、世界に二人しかいない現人神には敵わないとソルムは考える。

 それほど、雲の上の存在として認知されているからだ。

 そんな話をイグニスとしていると、ふと耳にした噂がソルムの頭を過った。


「そう言えば、お前。〈巫女姫〉様に会わせてくれと、エミリア先生に直談判したんだって?」

「う……どこで、それを……」

「食堂の騒ぎは噂になっていたからな。例の決闘騒ぎも、その件が関係しているんだろう?」


 なにも言い返せずに俯くイグニス。その件は、いまも後悔しているからだ。

 あの後、椎名とエミリアには謝罪したとはいえ、それで許されたとはイグニスも思ってはいなかった。


「どうして、そんな真似をしたんだ?」


 しかし、ソルムには不思議に思っていることがあった。

 イグニスは悪人ではない。暴走気味なところはあるが、根は真面目で良い奴だ。

 それだけにエミリアに強引に迫ってまで、どうして〈巫女姫〉との面会を望んだのかが分からなかったのだ。


「〈巫女姫〉様なら陛下と仲が良いから取り次いで貰えるかと思ったんだ」

「どういうことだ? お前、この国の大貴族なんだろう?」


 巫女姫と〈楽園の主〉が旧知の仲であることは有名だ。

 しかし、イグニスの家も楽園を代表する三大貴族の一角だ。

 他国の人間に頼まずとも〈楽園の主〉に謁見することくらいは出来るはずだとソルムは考えたのだろう。

 確かにソルムの言うとおり不可能ではない。

 イグニスはまだ跡取りに過ぎないが、父親であれば謁見を求めることは可能だ。

 しかし、


「普通に謁見を申し入れても無理だと思ったんだ」

「無理?」

「妹の病気を治すために薬が必要なんだ。でも、陛下はここ数百年――魔法薬や魔導具を臣下に下賜されたことがない。貴族からも求めてはいけないと暗黙の了解ができているくらいだ」


 その話はソルムも耳にしたことがあった。

 楽園の主――〈至高の錬金術師〉が製作した魔導具は〈神器〉とも呼ばれ、一度市井に出回れば天文学的な価格で取り引きがされ、場合によっては戦争の引き金となるほどだった。

 それで滅びた国が幾つもあり〈巫女姫〉の忠告を聞き入れた〈至高の錬金術師〉は、自らの魔導具を他人に譲り渡すことがなくなったと言う噂を――


「……妹が病気なのか?」

「もう一年になる。神官の話によると稀にある症状で、スキルに身体が適合できていないそうだ。日常生活を送る分には支障が無いって話だけど、少しずつ体力が衰えていて……」

「スキルの暴走による身体の変調……〈魔力欠乏症〉か」


 イグニスの家族がそんな状況にあったとは思ってもいなかったソルムは険しい表情を見せる。

 スキルとは魂に宿る力だ。だから本来はその人間の魂――霊核・・に適した恩恵がダンジョンから与えられるのだが、稀に扱いきれないほど大きな恩恵を授かることがある。

 過ぎた力は身を滅ぼすといった言葉があるように自分の意志でスキルを制御することが出来ず、その結果、体内を循環する魔力を消費し続け、徐々に衰弱していく症状。

 それが〈魔力欠乏症〉と呼ばれる症状の原因だった。


「先生にそのことを相談したのか?」

「あんなに迷惑を掛けておいて、どんな顔をして頼むんだよ……」


 幸いこの症状は魔力を使わなければ、急激に悪化することはない。

 普通の人よりは長く生きられないかもしれないが、スキルや魔法を使わず普通に日常生活を送っていれば即座に死に至るような病ではなかった。

 だからイグニスも折を見て相談するつもりだったのだろうと考えていたのだが、


「二ヶ月前、妹の症状が悪化したんだ……。内緒でスキルを使ったらしい」

「おい! どうして、それを早く言わない!」


 より深刻な状況を聞かされ、ソルムは声を荒げる。

 使わなければ悪化しないと言ったが、逆に言えば魔力を使えば症状は一気に進行する。

 使えば使うほど症状は悪化し、体力は衰えていくのだ。


「あと、どのくらい猶予があるんだ?」

「神官の見立てだと半年らしい……」


 バカがと悪態を吐くソルム。

 どうして、もっと早く相談しなかったのかと呆れ、怒っていた。

 しかし、気持ちも理解できなくはなかった。


「本当はもっと早く相談するつもりだったんだ。でも、エミリア先生に今更頼む訳にもいかないし、シイナ先生は……」


 魔力欠乏症を治すには、判明している限りでは一つしか方法がない。

 ありとあらゆる病を癒すと言われる万能薬――アゾートの秘薬を使うことだけだ。

 魔力欠乏症は厳密には病気ではないが、状態異常を引き起こしている原因であることに違いはない。そしてアゾートの秘薬には、ありとあらゆる状態異常・・・・を完治させる効果があった。

 正確には病気を癒すのではなく、身体に起きている異常をなかったものとして元通りの健康な状態に修復してしまう効果があるのだ。

 しかし、これは錬金術師にしか調合できない薬とされていた。

 材料に〈賢者の石〉を必要とするからだ。

 そのため、椎名がイグニスの妹を治療すれば、本物の〈錬金術師〉であることを証明することになる。ただでさえ注目を集めていると言うのに、本物の〈錬金術師〉が現れたなんて噂が広まれば、いよいよ周りが椎名を放っては置かなくなるだろう。

 そうなったら間違いなく椎名に迷惑を掛けることになる。イグニスが何を危惧しているのかは察せられた。

 

「そんなこと言っている場合じゃないだろう……妹を助けたくないのか?」

「助けたいさ。だから父さんに相談して、先生に出来るだけ迷惑を掛けない方向で話を進めようと思っていたんだけど……」

「さすがに信じて貰えなかったか」


 コクリと頷くイグニスの反応を見て、それはそうだとソルムは納得する。

 本物の錬金術師が現れたと言う話だけでも俄には信じがたいのに、アインセルト家はその錬金術師に導かれ〈楽園〉に移住して成功を収めた貴族だ。それだけに〈楽園の主〉に対して大恩があり、錬金術師を崇拝していた。

 最初にイグニスが椎名に食ってかかったのも、それが理由だ。

 なら父親も当然、同じような反応をしたであろうことは想像できる。


「しかし、時間がない。俺はちゃんと相談するべきだと思うぞ?」

「分かってる。週明けにでも先生に一度……先生?」


 相談してみると言いかけたところで、イグニスの表情が固まる。

 気になってソルムがイグニスの視線を追うと、見知った顔の二人が並んで歩いていた。

 椎名とエミリアだ。仲良く並んで歩いている姿は、まるで――


「あの二人、付き合っていたのか?」


 恋人のようだとソルムは考えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る