第85話 預言者
月面都市で開かれた式典から三ヶ月。
冬も終わりを迎え、日本では花見のシーズンが近付いてきた頃、アメリカにあるギルドの本部ではアレックスを始めとしたギルドの幹部たちが月面都市に派遣する探索者の選定に頭を悩ませていた。
候補者の選出は各国の支部に委ねられているとはいえ、楽園との関係を見据えれば、前科はなくとも問題を起こしそうな人物を月面都市へ送る訳にはいかないからだ。
しかし、探索者とは高ランクの者ほど好戦的で、我の強い人間が多い。道徳や常識を持ち合わせた普通の人間であればモンスターと言えど命を奪うことを本能的に忌避し、命の危険を冒してダンジョンに潜ろうとは考えないからだ。
だから下層で活躍するような高ランクの探索者には、頭のネジが外れたどこかおかしい人間が多い。
これが候補者の選定に手間取っている第一の理由だった。
そして、第二の理由が各国の動きだ。
候補者に工作員を紛れさせようとする国が後を絶たない。その思惑が理解できない訳ではないのだが、楽園のことをよく知るアレックスからすれば藪をつついて蛇を出すような行為はやめてくれと言うのが本音にあるのだろう。
とはいえ、すべてを排除するのは難しいとも考えていた。そのため問題行為さえ起こさなければ、情報収集を目的とした諜報活動程度は黙認する方向で話は進んでいる。
そして最後にもう一つ。厄介な問題が残っていた。
月面都市のギルドを統括するギルド長の選出だ。
「これが候補者のリストだ」
ホワイトハウスで、アレックスは大統領と面会をしていた。
英語で『極秘』と書かれた資料には、各国が候補として挙げてきた人物の詳細なプロフィールが記されていた。それぞれの国がこの人物をギルド長にと、自分たちの息が掛かった人間を候補者に擁立してきたのだ。
既にロビー活動が始まり、ギルドの理事の間でも駆け引きが繰り広げられていた。
今頃は他の国の理事も政府の要人と会合し、対策を練っている頃だろうとアレックスは考える。
ギルドの理事は全員で十五人いて、現在アメリカがそのうちの四席を占めている。残りの十一席を五カ国で分け合っている状況で、中国とロシアが三、エジプトと日本が二、そしてグリーンランドが一と続いていた。
基本的には、所属する探索者の数や実績。ギルドへの貢献度で順番に枠が割り振られている訳だがグリーンランドだけは例外で、この国の席が一となっているのはギルド設立から変わらず、ずっとこの国の理事がギルドの代表を務めているからであった。
「候補者の選出を行った人物の中に、ミス・エミリアの名前があるようだが……」
「事実だ。俺も目を疑ったが、本人にも確認済みだ」
ギルド創設の立役者であり、欧州各国との交渉を纏め、グリーンランドを独立に導くことで戦争を回避した人物。救国の英雄とも呼ばれ、ある意味でエジプトの〈聖女〉よりも聖女らしい実績を持つ女性。
名はエミリア。ギルドの代表理事にして〈預言者〉の二つ名を持つ探索者でもあった。
彼女を各国の重鎮が信頼し、ギルドの代表に擁立するのには世界でただ一人だけ――彼女だけが持つスキルに理由があった。スキルの名や詳細は伏せられているが、預言者の名が示すように一つだけはっきりとしていることがある。
彼女の予知した未来は
だからこそ、各国の重鎮が彼女を頼り、彼女の言葉に耳を傾ける。
そうして救われた命や国が、これまでに数え切れないほど存在するからだ。
その彼女が――
「信じられん。あのミス・エミリアが〈聖女〉をギルド長に推薦するなど……」
月面都市のギルド長の選定に介入してきたとの話をアレックスから聞き、信じられないと言った表情を見せるアメリカ大統領。
無理もない。これまでエミリアがギルドの内情に口を挟んだり、政治に関与してきたことはほとんどない。例外はグリーンランドの独立だが、あれも予知した未来を回避するためであった。
彼女が介入しなければ、ダンジョンを巡る大きな戦争が起きていたであろう。そうなれば、世界大戦の引き金となっていた可能性すらある。だからこそ、当時アメリカは彼女の考えに賛同し、協力したのだ。
エミリアがギルドの代表に選ばれたのは、そんな彼女を周りが放って置かなかったからでもあった。
「Sランクの探索者だぞ? エジプト政府はそれを容認したと言うのか?」
大統領がここまで訝しむのには相応の理由があった。
エミリアがギルド長に推薦した人物が、よりにもよって〈聖女〉であったことだ。
聖女の二つ名を持つエジプトのSランク探索者、シャミーナ。
Aランクでさえ、国外にでるには国の許可が必要なのだ。Sランクが国外にでるのは、余程の事情がない限りは許可が下りることはない。そのまま亡命でもされたら、国が負う損失は計り知れないからだ。
それを恐れて、どの国もSランクを国外へ可能な限りださないようにしていると言うのに、シャミーナが月面都市とはいえ他国のギルド長になることをエジプト政府が承認するとは思えなかったのだろう。
しかし、
「〈教団〉が動いたようだ」
「〈聖女〉が代表を務める例のクランか……」
それならエジプト政府も無視できないのは理解できると、アレックスの話に大統領は唸る。
聖女が代表を務めるクランは老若男女問わず幅広い支持を集めており、エジプトだけでなくアラブの周辺地域すべてに絶大な影響力を持つ組織だ。これまで紛争の絶えなかった地域で平和が保たれているのも〈教団〉の存在あってこそだと言われているほどであった。
それだけに各国の政府も無視できない存在となっている。
「考えてみれば、当然と言えば当然か。あの国も一枚岩ではない」
しかし、どれだけ〈聖女〉が民衆に感謝されていても、権力者からすれば自分たちの地位を脅かしかねない危険な存在だ。本来は命を狙われてもおかしくはないのだが、相手はSランクの探索者だ。モンスターよりも恐ろしい力を持った人間を殺せるはずもない。
どうにかして〈聖女〉を排除したいと考えている者たちが〈教団〉の――いや、〈聖女〉の思惑に乗せられたのだと察せられた。
「だからと言って〈教団〉がなくなる訳ではないと言うのに愚かなものだ」
結局〈教団〉に手を出せば〈聖女〉を敵に回すことになるのだ。
多少は〈教団〉の影響力が落ちるかもしれないが、些細な問題だと大統領は考えていた。
アラブ地域のギルドは〈教団〉に役割を取って代わられているからだ。
実際、エジプト支部に在籍するギルド職員の多くが〈教団〉の関係者だ。
いまのエジプト支部のギルド長も〈教団〉の支持者だった。
「問題はミス・エミリアが〈聖女〉の支持に回ったことだな」
この時点で月面都市のギルド長は、ほぼ〈聖女〉に確定したものと言っていい。
しかし先にも言ったように、エミリアに野心があるとは思えない。
今回の件に介入したのは、他に理由があるはずだと大統領は考えていた。
可能性として一番高いのは――
「未来を予知したと考えるべきなのだろうな」
「ああ、ギルドもそう考えている。恐らくは〈聖女〉をギルド長に据えなければ、よくないことが起きる未来でも見えたのだろう」
エミリアが未来を予知した可能性が高いと、大統領とアレックスは考えていた。
自ら介入したと言うことは、恐らくは良くない未来が見えたのだと推察できる。
そう言う意味では、Sランクをギルド長に据えるのは悪い案ではなかった。
月面都市のギルドにはBランク以上の探索者のみ推薦を受け付けていることから、ギルド長にも相応の力が求められる。
探索者とは実力主義の世界だ。弱者には従わないという荒くれ者も少なくない。
そう言った者たちを従わせ、屈服させることの出来る実力者ともなれば限られる。
その点から言えば、Sランクは実績・実力共に申し分の無い存在であった。
「状況は理解した。我が国も〈聖女〉を支持するとしよう」
アレックスの話を聞き、それがアメリカにとって最善だと大統領は決断する。
反対するよりは支持を表明することで得られる利益もあると考えてのことだ。
それにアラブ諸国は〈黄昏の錬金術師〉に対して好意的な国が多い。
楽園との関係を考えれば、〈聖女〉をギルド長に推すのは悪くないと考えてのことだ。
「それで、ミス・エミリアは次の理事会に出席するのか?」
「ああ、例の薬で体調は完全に快復したらしい。五月に開かれる理事会には出席するとのことだ」
エミリアが公の場に姿を現すのは実に三年振りのことだ。
それだけに、また世界が大きく動くかもしれないと――
そんな予感を二人は覚えるのであった。
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