第80話 神竜

「いまの咆吼は……」

「シオンさん、あれ……」


 空を覆い尽くすほどのドラゴンの群れが二人の目に映る。

 百――いや、三百は軽く超えているかもしれないほどの大軍。

 そして、その先頭には見たことがないほど巨大なドラゴンの姿があった。

 山のように巨大なドラゴン。身体を覆う鱗は黄金に輝いており、目にしただけで身震いがするほどの強大な魔力を纏っていた。

 一目で格が違うと分かる存在。あれが――


「ドラゴンロード……」

「違うのですよ」


 サーシャが思わず口にした言葉を否定する声が響く。

 声のした方を二人が振り返ると、そこにはレミルがいた。


「あれはドラゴンロードじゃないのです」

「え、でも王様は……」


 どういうことなのかと困惑した様子を見せるサーシャ。

 しかし、


「マイスターは〈竜の谷〉のボスを倒しに行くとしか言っていないわ」

「あ……」


 椎名は〈竜の谷〉のボスを狩りに行くと言ったのだ。

 ドラゴンのボスと言うことで、サーシャの頭に真っ先に浮かんだのは竜王だった。

 しかし、椎名の言っていたボスと言うのが竜王でないのだとすれば?


「レミル姉様、ならあれは何なの?」

「たぶん、前にユミ姉が言ってた神獣・・なのです」


 シオンの問いに答えるレミル。

 神獣――名前から察するに幻獣種に属するモンスターだと分かるが、明らかに普通のモンスターでないことが察せられる。

 なにせ神の名を持つモンスターだ。


「昔、ユミ姉が狼の神獣を狩ったと言っていたのです」

「狼の神獣をユミル姉様が?」

「大きな銀色の狼で、サーシャが使っている杖の材料になっていたはずなのです」

「こ、この杖って神獣の素材で作られているんですか!?」


 レミルの口から次々に飛び出す情報に、戸惑いと驚きを隠せない様子を見せるシオンとサーシャ。

 二人が混乱するのも無理はない。竜の谷のボスがそんな化け物だと知らなかった上に、椎名から授かった武器がそれほど稀少な素材で作られた魔導具だとは思っていなかったからだ。

 しかし、同時に納得させられる。

 これほどの性能を持つ武器であれば、そうした素材が使われていても不思議ではないからだ。

 サーシャの杖がそうなら、この刀もと――

 そんなシオンの考えを、


「シオンの刀も確か、神獣の素材が使われていたはずなのです。そっちはスカ姉とレギ姉の二人で倒したと言っていた気がするのです」


 レミルが肯定する。

 やっぱりと納得すると共に、シオンの頭にもう一つ疑問がよぎった。


「ちょっと待って……レミル姉様、神獣ってもしかして〈原初〉の方が二人掛かりで相手にするようなモンスターなの?」

「ユミ姉なら一人でも狩れるですよ?」


 ユミルなら一人でも狩れる。

 それは即ち、ユミル以外の〈原初〉なら複数で協力して討伐するような怪物と言うことを意味していた。

 背筋に寒気が走った、その時だった。

 強大な魔力が更に膨れ上がり、竜の咆吼が峡谷に響いたのは――


「まずい! みんな散って――」


 神竜の口から放たれたブレスが大気を震わせる。

 そして、レミルも、シオンも、サーシャも――

 すべてを黄金の光に包み込むのだった。



  ◆



 土埃に塗れながらも、どうにかシオンとサーシャは生きていた。

 咄嗟にサーシャが前にでて〈銀狼の杖〉に付与されたスキル〈白銀の加護〉を発動したからだ。


「助かったわ。サーシャ」

「間に合って良かったです……。でも、さっきの一撃で眷属さんたちが……」


 白銀の加護の効果とは、身代わり・・・・だった。 

 本来、自身が受けるはずのダメージを眷属に肩代わりさせるスキル。

 いまのサーシャであれば、凡そ十万の命をストックしているのと同じであった。

 しかも〈皇女の黒き守護者ニグレド・ゲニウス〉で使役するゴーストは不死の存在だ。

 倒されても時間が経てば自動的に復活する。

 サーシャのスキルと、これほど相性の良い武器は他にないと言えるだろう。

 とはいえ、たったの一撃で一万もの眷属が行動不能に陥ったことにサーシャは驚きを隠せずにいた。それほどの破壊力があの神獣――いや、神竜の放ったブレスには込められていたと言うことになるからだ。


「防御に回ってもジリ貧ね。サーシャ、攻めるわよ」


 神竜の放った一撃で変わり果てた景色を見ながらシオンは覚悟を決める。

 こんな攻撃を繰り返されたら、さすがにサーシャでも耐えるのは難しいと考えたからだ。

 神竜が放った魔力は二人を凌駕し、レミルに迫るほどだった。

 まともに正面からやり合えば、自分たちに敵う相手でないことは分かっていた。


「でも、あんな化け物を相手にどうすれば……」

「私に秘策があるわ。数秒でいい……隙を作ってくれれば、一撃で決められると思う」


 なら不意を突き、必殺の一撃で勝負を決めるしかないとシオンは考える。

 椎名から授かった刀の力を解放すれば神獣にも通用するはずだと、シオンのなかには確信があった。

 問題は斬撃が届く距離にまで近付き、魔力を練る時間が必要なことだった。

 それに恐らくチャンスは一度しかない。

 一撃を放てば全身の魔力をほとんど持って行かれることが予想できるからだ。


「わたしの命をあなたに預けるわ。無茶だと思うけど、頼める?」

「……はい、任せてください。眷属さんたちの仇を討たないとですしね!」


 神竜と戦う覚悟を決める二人。

 いざ、反撃にでようとしたところで、


「あれ? そう言えば……」


 何かに気付き、キョロキョロと周囲を見渡すサーシャ。


「レミル姉様は……?」

「あそこよ」


 そう言ってシオンが指さす先には、ドラゴンの群れと対峙するレミルの姿があった。



  ◆



 翼もないのに宙に浮かび、群れの前に立ち塞がるレミルに神竜は警戒を強める。

 レミルの纏う魔力の量が、自身に匹敵するほどだと感じ取っていたからだ。


『何者だ。貴様は……』


 頭に直接響くような声が渓谷に響く。

 それは神竜の声だった。

 喋るモンスターというだけでも驚きだが、神竜には紛うことなき知性があった。


「ユミ姉から聞いていた通りなのです。神獣は話が出来るって」

『――! 我以外の神獣を知っておるのか? まさか、貴様――』


 レミルの話を聞き、なにか思い当たる様子を見せる神竜。

 それは――


『我が盟友ともの命を奪ったのは貴様たちか!?』

「友達ですか? それって狼の神獣? それとも――」


 一角獣の神獣ですかとレミルが尋ねた、その直後。

 神竜の顎から金色のブレスが再び放たれ、レミルに襲い掛かる。

 しかし、


「お前の相手はレミルじゃないのです」


 ブレスが直撃するかと思った直後、レミルの姿が神竜の視界から消える。

 そして、


「お父様に任された仕事は雑魚の掃除なのです」


 神竜の頭上を取ると、レミルはスキルを発動した。


「――蒼き夢魔の世界グリム・ワールド


 スキルの影響範囲内にいる対象を、夢の世界に取り込む精神干渉系スキル。

 しかし、このスキルも万能と言う訳ではない。精神干渉に抵抗する魔導具やスキルを持っている場合や、自分と同等の魔力を持つ相手にはスキルが不発に終わるという弱点があった。

 即ち、神竜にはレミルのスキルが通用しないことを意味しているのだが、


「これで終わりなのです」


 レミルが狙ったのは神竜ではなく、周囲の百を超すドラゴンの群れだった。

 夢の世界に取り込まれたドラゴンたちの瞳から光が消え、地上に自由落下を始める。


『貴様、我が眷属になにをした!?』

「夢を見せてやっただけなのです」


 ユミルがしたことは悪夢・・を見せただけだ。

 夢のなかで体験したという概念が、現実に反映されただけの話。

 このスキルの前には、どれだけ頑丈で硬い鱗に覆われていようと関係ない。

 夢の世界に取り込まれたが最後、逃れる術はない。

 それが、精神世界を支配する夢魔の王の力であった。


『おのれええ! 許さんぞ!』

「だから、お前の相手はレミルじゃないと言ったのです」


 咆吼を上げて激昂する神竜に、呆れるレミル。

 レミルが呆れたのは、話が通じないからではない。

 最初の忠告を無視したからだった。


『――な!』


 レミルに向かって神竜が飛び掛かろうとした、その直後。

 右の翼が切断・・され、バランスを崩した神竜は眷属の後を追うように地上へと落下する。

 自分の身に何が起きたのか理解ができないまま、大地に叩き付けられる神竜。


『くッ、一体なにが――』


 顔を上げようとした直後、神竜の視界を黒い何かが覆った。

 光輝く身体を覆い隠すように、黒いゴーストの群れが神竜に襲い掛かったのだ。

 その数、凡そ九万。神竜からすれば一体一体はたいした敵はないが、これだけの数に纏わり付かれては、まともに身動きが取れない。


『ええい、鬱陶しい! これは亡者どもか!? どうして、こんなところに――』


 混乱する神竜の頭上を光が照らす。

 暗闇に覆われた視界の中に一筋の光が差し、神竜はゴーストを振り払うように身体を起こす。

 そして、顔を上げた直後、


「――断ち斬れ、神斬かみきり!」


 開けた視界に映ったものは――世界を断つ白銀の斬撃だった。 

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